太平洋戦争最大の謎となる「天一号作戦」、「戦艦大和ノ最期」に迫る最終回。75年前の1945年4月7日、世界最大にして最強と言われた「大和」が海底に沈んだ。
同時にそれは日本の敗戦を意味するものでもあった。「大和」最期の戦いを、戦艦大和の研究並びにコレクターとして第一人者の著者が、アメリカで入手した超精密写真と攻撃記録、生存者への十年来の聞き取り取材による証言により、永遠の謎といわれた戦艦大和の真実を遂に解き明かす。(原勝洋 編著『戦艦大和ノ最期』第9章・写真『戦艦大和建造秘録』より引用)■激しく正確だった日本海軍の対空砲火
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 米海軍雷撃法は、1つ目は高度2100メートル付近からレーダーで探知し、追尾距離7300メートル、気速300ノットで降下角度30度、投下照準点1400メートル付近で発射し、2つ目は高度600メートル、気速260ノット、降下角度30度、投下照準点1300メートル付近で発射するというものだった。

 小隊ごとの縦列陣をとっていた「エセックス」隊が攻撃を開始すると、「バターン」隊第47雷撃機中隊は単機の縦列隊を組んで突撃を始めた。8機の雷撃機は、4機ごとの波状攻撃で「大和」の右舷めがけて魚雷を投下した。搭乗員は「大和」に魚雷6本の命中を主張し、最低4本は確実と見積もられた。

 日本側の対空砲火は、激しく正確であった。

「エセックス」隊は、アベンジャー雷撃機11機とヘルダイバー急降下爆撃機5機がエンジンや翼に被弾、ヘルキャット戦闘機2機も損傷を受けた。しかし、負傷者や撃墜された機はなかった。「バターン」隊は、戦闘機3機と雷撃機1機が被弾し、その雷撃機の搭乗員1名が負傷、機体は破棄された。 「バンカーヒル」隊の第八四雷撃機中隊14機は機上レーダーで日本艦隊を追尾しながら、雲量八の密雲の中に穴を見つけて西方向に降下した。

 この時「大和」が南西方向に右旋回しているのが観測された。

右旋回を続ける「大和」を同時に挟撃するため、第1小隊3機、第2小隊3機、第3小隊2機の8機は左側から、第4小隊3機、第5小隊3機の6機が右側から目標に肉薄した。

 対空砲火はますます激しく、正確になってきた。真っ先に雷撃態勢に入った第4小隊の1機は被弾して炎に包まれ、魚雷投下前に海面に激突して爆発した。

 6機は旋回中の目標艦首内側右に投雷したが、ほかの8機は巨大な大和の左横腹めがけて魚雷を投下した。

 搭乗員は、「大和」の左舷に7本、右舷後部に2本の命中を観測している。

 第29雷撃機中隊9機は、「大和」が右旋回を続け360度の回頭を終えた時点で最良の雷撃位置につくこととなった。そして魚雷2本の命中が観測された。 更に第84戦闘機中隊14機が高度460メートルから500ポンド通常爆弾14発とロケット弾112発を「大和」めがけて発射したことが記録されている。

 短時間に異方向からの攻撃は、報告者の戦果確認において多くの重複と誤認があると思われるものの、相当数の魚雷が「大和」に命中したことは間違いない。

 機関科の糸川重明は、「どんどん魚雷が命中する。初めての経験。うわー、これだけ当たったら駄目だぜ。

いゃ、大和は沈むものか」と連続する被雷時の衝撃のすごさを証言している。そのうち副舵取り機室にも浸水が始まった。 第58任務部隊は、少なくとも魚雷8本、爆弾五発の命中を記録している。ここで「大和」は、左に大きく傾斜すると同時に速力の低下をみた。 この攻撃中に「バンカーヒル」隊は3機が被弾、そのうち1機が撃墜されて3名が戦死、ほかに負傷した1名が7日後に艦上で死亡した。一方、対空砲火の隙を突いて攻撃した「カバト」隊に損害はなかった。

■巨大な戦艦がぐらぐら沈む。戦闘中の記憶を正確に残すことなど困難である
75年前の今日、戦艦「大和」轟沈す【特攻当日】1945年4月7日

 防空指揮所で艦長を補佐し、見張り員の指揮をとる渡辺志郎見張長は、「敵機の攻撃はまるでジョウゴの周りから中心にめがけグルグル水が流れ込むように襲ってきた」と表現している。

 塚本艦長伝令はこの状況を「機銃掃射。魚雷。あそこに来て命中、ここに来て命中、わからないくらい。始終ぐらぐら、ドカァーン、ドアンという感じ、15から20本、水柱となって飛び散る。

巨大な船体がぐらぐら沈んでいく感じ」であったと回想している。 軍艦大和戦闘詳報が記録する

●13時34分、左50度2000メートルに雷跡六を認める。
●13時37分、左舷中部に魚雷3命中、副舵取り舵を取りたるまま故障。

との状況は、「エセックス」と「バターン」の攻撃隊おのおの13機と8機による雷撃を記録していると思われる。そして米軍記録は、雷撃時刻を12時59分および13時8分と記していた。 また、

●13時41分、左60度7000メートルに雷跡四を認める。
●13時42分、単独左に回避。艦首500メートルに雷撃機撃墜(注:「バンカーヒル」隊の雷撃機と思われる)。
●13時44分、左舷中央部に魚雷2命中。

「バンカーヒル」14機と「カバト」9機による猛攻の被害状況を示すと判断できる。米軍雷撃時刻は、12時58分と13時20分と記録されていた。戦闘中の凝縮された記憶は、同時集中被害を正確な時系列で示すことを困難にしたと思われる。

 技術団の調査は第2波の攻撃を次のように報告した。

 第1次攻撃第2波は、午後1時頃と推定される。  

 それは、第1波の去った40から45分後に開始された。 米戦略爆撃調査団報告の証言第133号の中で宮本砲術参謀は、左舷艦尾側に魚雷2本の命中、更に右舷艦中央部2分の1の位置に2本の命中を報告した。しかし彼は、その詳細な実証を示さなかった。

 これは、他の3名の士官の証言とは大きな食い違いである。3名は、すべて左舷艦中央部2分の1の位置に3本の魚雷の命中と右舷への1本の命中に同意した。なお、爆弾命中の証言はなかった。

 左舷を直撃した魚雷は、最下甲板12区の第八罐室と13区の第12罐室、第2船倉左舷15と16区の外側機械室および左舷14区の第4水圧機室に急激な浸水を引き起こした。

 森下参謀長は、この時点でこれらの区画から脱出できたのは下士官兵20人を越えなかったと報告した。浸水の範囲は、魚雷3から4本の命中があったことを示すことができた。 清水副砲術長は、最後部の命中は第2船倉の第143番肋材の隔壁近くで、そこは左舷第4水圧機室と外側機械室を分割する箇所であり、この2つの区画に浸水を引き起こしたと記憶していた。

左舷への確実な魚雷3本の命中と、命中1本の見込みは、この時の攻撃中に起こったものとされた。

 3人の士官全員は、第125番肋材の近くを直撃した右舷への命中によって、急速に最下甲板12区の第七罐室へ浸水したことに同意した。3人は右舷へのいかなる被害をも知らなかった。 しかし、宮本砲術参謀は明確ではないが、魚雷2本目の命中が右舷に起こったことを思い出した。 第1次攻撃第2波の終了時、船体の傾斜は左舷におよそ15、6度であった。士官全員が、艦速は18ノット以下に落ち、後部艦橋付近の火災はなお続いていたことを認めた。右舷への注水が更に実施され、「大和」は左舷への傾斜をゆっくりと5度に復原した。  

■第84雷撃機中隊の雷撃図  

 Ⅰ段階は南西方向に向け緩やかな右旋回する大和への第4小隊3機の攻撃。1機が撃墜された。

75年前の今日、戦艦「大和」轟沈す【特攻当日】1945年4月7日

 右旋回を早める大和に第5小隊3機が攻撃を続行した。右内旋回への雷撃は命中が難しい。

75年前の今日、戦艦「大和」轟沈す【特攻当日】1945年4月7日

 1小隊3機は、大和の右旋回する艦首外側方向から雷撃した。

75年前の今日、戦艦「大和」轟沈す【特攻当日】1945年4月7日

 2小隊雷撃の間合いは他の小隊が大和艦上を飛び越えた時、投雷する絶妙のタイミングだった。

75年前の今日、戦艦「大和」轟沈す【特攻当日】1945年4月7日

 第3小隊は、投雷のあと右旋回を続ける大和に3本の魚雷が命中するのを目撃している。 

75年前の今日、戦艦「大和」轟沈す【特攻当日】1945年4月7日

 

  大和挟撃を狙い13本の魚雷はおよそ1分間の間に投下され、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの順に実行された。

▼第1撃は第4小隊3機。
うち1機(ウォリッシュ中尉)は魚雷投下前に撃墜された。 ベリー大尉の雷撃詳細: 的角は艦首に対し90度、射程距離1280m、投下高度183m、機速240ノット、照準点は全長概略の4分の1艦首前方、魚雷調整深度5.5m、観測報告:護衛艦の外側を旋回するとき命中2本。 メイ少尉の雷撃詳細:的角は艦首に対し70度、射程距離1280m、投下高度122m、機速220kt、照準点は全長概略の8分の1艦首前方、魚雷調整深度5.5m、観測報告:なし。▼第2撃は第5小隊3機。
ウェインライト大尉の雷撃詳細:的角は艦首に対し45度、射程距離1370m、投下高度152m、機速200ノット、照準点は全長の16分の1艦首前方、魚雷調整深度6.1m、観測報告:命中なし。ターンブル中尉の雷撃詳細:的角は艦首に対し30度、射程距離1550m、投下高度122m、機速180kt、照準点は全長概略の16分もしくは8分の1艦首前方、魚雷調整深度6.1m、観測報告:魚雷投下後の回避する艦の前方に2本命中。ウェブスター少尉の雷撃詳細:的角は艦首に対し50度、射程距離1370m、投下高度152m、機速200kt、照準点は全長概略2分の1艦首、魚雷調定深度6.1m、観測報告:命中なし。▼第3撃は第1小隊3機。
スオンソン少佐の雷撃詳細:的角は左艦首5度、射程距離1370m、投下高度152m、機速195ノット、照準点は「大和」の左回頭中の艦首内側、魚雷調整深度6m、観測報告:命中なし。ゴッテンバーガー少尉の雷撃詳細:的角艦首0度、射程距離1830m、投下高度91m、機速220kt、照準点は艦首、魚雷深度6.7m、観測報告:命中なし。 エリングス少尉の雷撃詳細:的角艦首20度、射程距離1370m、投下高度122m、機速210ノット、照準点は艦首、魚雷調整深度5.5m、観測報告:避退中約2マイルで艦首左部に2本命中。▼第4撃は第2小隊3機。
メイ中尉の雷撃詳細:的角は艦首左65度、射程距離1280m、投下高度213m、機速235ノット、照準点は全長概略の半分の長さ前方、魚雷調整深度6.7m、、観測報告:「大和」艦上を飛び越したとき、命中1本。モスリング少尉の雷撃詳細:的角艦首45度、射程距離1280m、投下高度183m、機速220ノット、照準点は全長概略3分の1艦首前方、魚雷調整深度6.7m、観測報告:命中なし。 ハーレイ少尉の雷撃詳細:的角艦首90度、射程距離1550m、投下高度107m、機速235ノット、照準点は全長概略の5分の1艦首前方、魚雷調整深度5.5m、観測報告:命中なし。▼第5撃は第3小隊2機。
ディヴィス少尉の雷撃詳細:的角艦首45度、射程距離1280m、投下高度213m、機速210ノット、照準点は全長概略の3分の1前方、魚雷調整深度6.7m、観測報告:避退中に振り返ると「大和」左艦首部に2本命中、引き続き艦中央部に1本命中。 ウェアー少尉の雷撃詳細:的角30度、射程距離1830m、投下高度183m、機速220kt、照準点は全長概略の半分もしくは4分の3の艦首前方、魚雷調整震度5.5m、観測報告:「大和」から遠ざかる途中、艦首部に同時に2本命中、しばらくして、後部に1本命中。 ウェアー少尉はハディヴィス少尉の後方90mを後続した。  
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