■囲者になった花魁はどんな暮らしをしてたのか?

 囲者とは、妾のこと。たんに「囲い」や、「てかけ」ともいう。

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写真を拡大 図1『磯ぜせりの癖』(十返舎一九著、文化10年)、国会図書館蔵

 図1は、画中に「志賀山、囲われている所」とある。

 吉原の花魁(おいらん)志賀山が年季の途中、富裕な商人に身請けされ、囲者となって暮らしている様子である。

 左の女中が言う。

「お茶を入れ、おまんまにいたしましょう」

「なんぞ、おいしい物はないかえ」

 志賀山は本を読みながら、のん気なものだった。

 戯作『磯ぜせりの癖』(十返舎一九著、文化10年)の設定では、志賀山は女中ひとりと、下女ふたりの四人暮らしだった。

 左の台所で仕事をしているのが下女のひとりであろう。

 身請けに大金がかかったのは言うまでもないが、妾宅を維持していくのにもかなりの金がかかる。

 旦那である商人は、まず戸建ての借家を借り、三人の奉公人を雇い、さらに月々の生活費も渡さねばならない。かなりの出費だった。

 かつて、「妾は男の甲斐性」という言い方があった。逆から言えば、甲斐性のある男でなければ、妾など持てなかった。

 図1のように、吉原の花魁を囲者にした旦那は、まさに甲斐性のある男と言えよう。

 いっぽう、囲者になった志賀山にすれば、なんとも安楽な暮らしだった。

 女中と下女がいるので、自分は家事労働はいっさい、しなくてよかった。

 風呂に入り、化粧をし、あとは三味線を弾いたり、本を読んだりしながら待機する。旦那が来れば、性的に満足させてやればよい。旦那が求めているのはずばり、性的な快楽だった。

 しかも、大店の主人ともなれば、店の業務全般に目を配らなければならないし、得意先や同業者との付き合いもあろう。また、本妻へ遠慮もあるので、とても毎日のように妾宅に来るなどはできない。

 それこそ、たまに来るだけである。そのとき、旦那がとても本妻には望めないような、濃厚な性的サービスをしてやればよかった。

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写真を拡大 図2『同房語艶以登家奈幾』(為永春水著、天保11年)、国会図書館蔵

 図2は、まさに旦那が来たところであろう。旦那は、さっそく囲者の着物の襟に手を入れている。

 図1のような囲い者はけっして戯作の誇張ではないのは、文政末から天保初期の世相を描いた『江戸繁昌記』(寺門静軒著)でわかる。

なお、同書は漢文で記されているので、現代語訳して簡略に紹介する。

 囲者にも上・中・下の等級があった。

 表通りからはいった新道にある、格子戸の仕舞屋(しもたや)に住まわせ、婆やひとり、下女ひとりを付けてやるーーこれは「中」である。

「上」になると、高い板塀で囲まれた門構えの家に住まわせ、庭には石灯篭と松の木があり、奉公人も複数人、付けてやる。こうした妾宅を維持するには、旦那の負担は一カ月に二十五両を越えた。

 図1は、黒板塀で囲まれており、いちおう庭もあるようだ。また、奉公人は三人いる。「上」の囲者の例といえよう。

 なお、「下」については、後述する。

                           (続く)

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