口吸いとはキス、接吻(せっぷん)のこと。現代の日本語ではキスというのが一般であろう。
さて、キス、接吻、口吸いは同じ行為をさしているが、ふくんでいる意味にはかなりの違いがある。接吻には性愛の匂いはあまりない。というより、初々しい青春の香りがある。まだ性体験のない若い男女が、おずおずと、初めて唇を合わせる情景が目に浮かぶようだ。幕末期に生まれた造語だけに、当時の男女交際のありようが反映しているのかもしれない。
いっぽう、口吸いには性愛の意味が濃厚に込められている。事実、江戸において口吸いは性技そのものだった。
欧米の映画のラブシーンはまず、男女のキスから始まる。現在のわが国の映画やテレビのラブシーンでもキスから始まる。
ところが、江戸において口吸いは前戯ではなかった。春画に口吸いの場面は数多いが、男と女が前戯として口吸いをしている図はない。つまり、単独で口吸いだけをしている光景はない。性行為はまず指くじりなどで始まり、興奮が高まるにつれて、あるいは情交しながら口吸いをするのが常だった。『図本婦美枕』(礫川亭永理、文化7年頃)では、男と女が交接しながら口吸いをしている。
『春色入船日記』(歌川国盛二代、嘉永期)では、男が女の陰部を指でくじりながら口吸いをしている。
さらに、『つびの雛形』(葛飾北斎、文化9年)では、陰茎を挿入したまま男と女が口吸いをしている――。
女が言う。
「なぜこんなに、おめえは女の気をやらせることがじょうずだのう。
「あんまりおめえによがられて、俺もたまらなくなった。サア、息休めに口を吸いねえ」
と、男が唇を合わせる。男は射精をこらえきれなくなってきた。そこで、中休みに口吸いをしようと持ちかけている。口吸いをして、こみあげてきたものをそらす趣向である。ここでも、口吸いは前戯ではない。
江戸の口吸いは現代のキスとは「似て非なる」ものだった。