「オタク」と「サブカル」のあいだの壁が消えつつある

 壁をぶっこわせ! 君とわたしのあいだの

 ヲタもサブカルも どっちだっていいじゃない

 

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 2013年7月に発売され、TVアニメ「げんしけん二代目」のオープニングテーマ曲にも使用された声優・上坂すみれのシングル曲、「げんし、女子は、たいようだった。」の一節である。(作詞・作曲 桃井はるこ)

 「ヲタ=オタク」といえば「サブカル」的なものであると思われている。

だが、ここで「ぶっこわせ!」と歌われているように、かつては「オタク」と「サブカル」との間には、超えがたい「壁」があった。

 もちろん「オタク」とひとことで言っても、アニメ、アイドル、鉄道、ミリタリー……と、無数のジャンル分けがある。その間には超えがたい壁がある場合もあるし、複数のジャンルをかけ持ちできる「オタク」もいたりする。

 「オタク」という言葉では一概に言い尽くせない面もあるが、今回は、アニメや声優などの「オタク」についての話をしたい。

 

 「オタク」と「サブカル」との間にある「壁」とは、どのようなものなのか。「オタク」的なものが、日本における一般的な用法で言うところの「サブカル=サブカルチャー」に含まれることは確かである。もともと「サブカルチャー」というのは、マジョリティに対するマイノリティの文化、支配層に抵抗する側の文化というような意味があったが、日本では上品で高級な文化に対する庶民の文化といったような意味で使われることが多い。

 この「サブカル=サブカルチャー」という言葉は、どこか居心地の悪さを感じさせる言葉である。「〇〇はサブカルだ」と言ったとしても、あまり褒め言葉にはなっていない。「自分はサブカル好きだ」とは、あまり言いたくない。「サブカル」という言葉からは、マイナーであることを気取っているような姿勢、マニアックさに変なこだわりを持っているような姿勢、商業主義的なものやメジャーなものをバカにするシニカルな姿勢を感じさせるからだ。

 「サブカル」的なものを代表する人物であるように思われているみうらじゅんも、『LOVE』という著書に収録されている「メジャーとマイナー」と題されたコラムで「僕はメジャーとマイナーの間にネズミ男のように居座るサブカルチャーってヤツが大っ嫌いだ」と書いている。

 

 「オタク」的なものの中にこういった「サブカル」的な要素が全くないわけではないけれど、それでもやはり、かつては両者の間に大きな違いがあったし、今も少なからず違いがある。

 高円寺や下北沢は「サブカル」の街ではあるが「オタク」の街ではない。秋葉原は「サブカル」の街という以上に「オタク」の街であるような気がする。唯一、中野だけは「サブカル」と「オタク」が同居してきた稀有な街である。

 かつては、インディーズやマイナーな音楽を好んで聞いていたり、独特な作風の漫画を読んでいたり、単館系の映画を見ていたりした「サブカル」好きな人が、「オタク」と同じようにたくさんのアニメを見ることはあまりなかった。見るとしてもせいぜい「エヴァンゲリオン」か「ガンダム」くらいで、「魔法少女リリカルなのは」を熱心に見ていた「サブカル」寄りの若者は、ゼロではないにしても、おそらくほとんどいなかったのではないだろうか。

 

 かくいう私は、高校生から20代中頃にかけて(1990年代後半から2000年代中頃)の時期には、趣味の領域では完全に「サブカル」寄りの位置に居て、音楽雑誌を隅から隅まで読んだり、ディスクユニオンでレコードを掘ったり、世間的にはマイナーなミュージシャンのライブを小さなライブハウスへ見に行ったり、意味もなく下北沢の街をぶらぶらしてみたりしていた。

 アニメは「ガンダム」シリーズの旧作をたまに見返すくらいで、リアルタイムで放送されているアニメを追いかけたり「萌え」にハマることもなかった。

 周りの友人、知人たちは、強いて分類するならば「サブカル」寄りな人ばかりだったので、当時の「オタク」寄りの人たちが「サブカル」をどのように捉えていたのか、実感としてはわからない。

 ただ、少なくとも実際に接してきた「サブカル」寄りの人たちの中に、アニメや声優、「萌え」的なものが好きだと公言している「オタク」寄りの人は居なかったので、「オタク」寄りの人たちも「サブカル」に距離を感じていたのではないかと思う。

 

 たとえば「パンク」と「メタル」は、興味がない人から見ればどちらもうるさい音楽のように思えるかもしれないが、それぞれのファンからすれば思想的に相反するものであると感じられる(もちろん、両方好きな人も多いが)。

 「オタク」と「サブカル」の間にも、「パンク」と「メタル」の違いのように、外から見ればほとんど同じでも、内部からは大きな違いがあったのだ。

 

 しかし、近年ではこの「オタク」と「サブカル」の間にあった「壁」が、以前と比べれば消失しつつあるように感じられる。私が大学で接する大学生たちの姿や、アニメキャラのキーホルダーをカバンにぶら下げて街を歩くほとんど「オタク」っぽい雰囲気のない高校生たちの姿を見ていると、音楽、漫画、映画、お笑い、演劇……といった「サブカル」的なものと同列に「アニメ」という選択肢が置かれているように見えるからだ。

 この原因として、一つは「オタク」であるということが一種のステータスと成り得るようになったこと、もう一つは「深夜アニメ」の興隆が挙げられるだろう。

「オタク」はスティグマからステータスへ 

 かつて「オタク」であることは、ステータスとなるどころか、かなりのスティグマ(負の烙印)を抱えることだった。1980年代から90年代にかけては、連続幼女誘拐殺人事件のような凶悪事件の背景にアニメなどの「オタク」的なものがあるとする風潮があって、「オタク」というのは犯罪者予備軍であるかのように世間から見られていた面があった。それに、そもそも大人になってから子供向けのものと思われているアニメを愛好するのはおかしいという風潮もあった。

 実際に当時の「オタク」の人たちは、現在でもステレオタイプとしてイメージされているような、一般的な観点からすれば「キモい」人が多かったのも確かである。

 

 だが、現在の「オタク」寄りの人たちは、そういったステレオタイプからだいぶ異なってきている。お笑い芸人やミュージシャンでもアニメ好きを公言する人は多いし、ジャニーズのアイドルグループ「Kis-My-Ft2」の宮田俊哉が「ラブライブ!」の熱烈なファンで重度の「オタク」であることも有名である。

 コミケ会場でも、いかにも「オタク」っぽい雰囲気を漂わせている人もたくさんいるが、そうではない、ごく普通の雰囲気の人や、どちらかと言えばオシャレな雰囲気の人、爽やかなカップルもたくさん見かけられる。

 おそらく、現在の高校生、大学生、20代前半くらいの若者には、かつてあったほどには「オタク」に対する抵抗感がないのではないだろうか。スポーツが得意な「体育会系」、地元に密着するちょっとだけワルな人たち、上昇志向が強い「意識高い系」、それからアニメが好きな「オタク」。

こういった形で、様々な集団がある中から、自らのアイデンティティとして「オタク」的なものを志向し、それをステータスとする若者も多いのだろう。

 「オタク」というものがスティグマではなくなり、むしろステータスとなっていった要因として、インターネットやSNSの普及により、「オタク」的なカルチャーへのアクセスが容易になったこと、ネット上で同好の士を見つけて交流しやすくなったことで、「オタク」的な趣味が次第に「秘め事」ではなくなっていったことも挙げられる。

 

 2000年代後半から、アニメは主に深夜帯に放送されるようになった。「涼宮ハルヒの憂鬱」「けいおん!」「魔法少女まどか☆マギカ」「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「進撃の巨人」「ラブライブ!」などの、一般にも名が知られていると思われる近年のアニメは皆、夜の22時台から3時台にかけて、全国ネットの放送局だけでなく、地方の独立放送局で放送されていた。その数は次第に増えていき、現在では玉石混交ではあるものの、多い地域ではだいたい週に30本以上の深夜アニメが放送されている。

 もともと、深夜番組と言えばマニアックなお笑い番組やドラマなどが多かった。これは、どちらかと言えば「サブカル」寄りのコンテンツである。そんな中に、2000年代後半以降は、パッと見は「オタク」向けのように見えても、じっくり見るとクオリティの高いアニメ番組も混ざっていくこととなった。

 すると、なんとなく深夜番組を見ていた「サブカル」的な感性を持つ人たちが、たまたま自分の感性に引っ掛かるアニメを見る機会も多くなる。それをきっかけとして、「オタク」寄りのカルチャーへも興味を持つということもあるだろう。

 かく言う私自身も、深夜になんとなくテレビをつけていた時にたまたま見た「マクロスF」のクオリティに衝撃を受けて深夜アニメに関心を持つようになり、「涼宮ハルヒの憂鬱(2期)」がきっかけとなってズブズブと「オタク」的なものにハマっていったクチである。

 現在の10代後半から20代前半の若者たちにとっても、インディーズの音楽、マニアックな漫画、映画、お笑い、演劇などと同じように、アニメというものが、かつての「サブカル」的な感性に引っ掛かるジャンルの一つとして存在しているのではないだろうか。

 この「オタク」と「サブカル」の関係性の変化は、アニメだけでなく、「ももクロ」以降のアイドルでも見られるが、それについては今回は控える。

 

 いずれにしても、かつてあった「オタク」と「サブカル」との間の「壁」がなくなった後、どのような新しい表現が生まれるのか、とても楽しみである。

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