そんなコンセプトで世界から絶賛されている、知っている様で知らない、日本の食・技術・カルチャー・経済・制度を紹介する『世界が絶賛する日本 われわれが知らない進化する真価』(Japan's best編集部:編)絶賛発売中。 今回は本書の中でも世界を変える、影響を与える日本の制度・文化などを紹介します。
学校にプールがあるというのは、わたしたち日本人からすればとてもふつうのことでしょう。
ところが、外国人からすると、小中学校、高等学校にプールがあるのはとても不思議なこと。
というよりも、とてもうらやましい、アメイジングなことのようです。
実際のところ日本の学校にはどれくらいプールが併設されているのでしょうか?
文部科学省によれば、小学校で87・8%、中学校で72・2%もの学校にプールが設置されています(ともに2008年度)。
これは、ほかの国々ではちょっと見られない数字のようです。
映画やドラマを見ていると、アメリカの豪邸にはプールがあり、くつろぐ光景をイメージしがちですが、学校にプールがある国はほとんどありません。
こうした日本の〝プール付き〟学校をインターネットなどで目にした海外の反応は「驚き!」「クール!」「うらやましい!」と賞賛一色。
海外では、そもそも水泳の授業がないところも多く、日本の学校にプールがあることは信じがたい光景なのです。
プールの普及率が競泳大国・日本を支える。四方を海に囲まれた島国である日本では、江戸時代から水泳の教練(水練)があったといわれています。
最初に水練場をつくったのは、会津藩(現在の福島県)の藩校・日新館と長州藩(現在の山口県)の藩校・明倫館といわれ、17世紀のこと。
こうした学び舎で、武士の大事なたしなみとして、剣術や学問だけでなく、水泳も教えていたわけです。
そして水練は、海ばかりではなく河川も多い日本ならではの重要な軍事教練として受け継がれることになりました。
戦後の日本人に勇気を与えた水泳幕末から明治、大正時代と教育の現場では水泳の授業が盛んに行われ、昭和時代になるとほとんどの旧制高等学校、師範学校にプールが設置されたといわれています。
オリンピックなどでも毎回多くのメダルが期待される水泳・日本ですが、その輝かしい歴史は、何といっても1947年、戦後の日本国民を熱狂させたスイマー、古橋廣之進の功績をおいて語ることはできません。
当時の日本は、敗戦国としてオリンピック出場が認められませんでしたが、古橋選手は、日本選手権自由形決勝で世界記録を打ち破ったのです。
当時、日本は世界オリンピック協会からも除名されていたため、その記録は公式認定されませんでしたが、のちに古橋選手は、このときの悔しさからか全米選手権で世界記録を樹立。
「フジヤマのトビウオ」と呼ばれ、世界中から賞賛されたのです。
こうして戦後の水泳熱が高まるなか、1952年に相次いだ小中学生の集団水難事故が、水泳教育の必要性に拍車をかけたともいわれています。
全国の小中学校ではプール設置が急ピッチに進み、1955年の学習指導要綱には、水泳を授業で行うことが明記されました。
そして現在、外国人の目には、驚きとうらやましさに満ちあふれるプール付きの学校が常識となったのです。
日本では、子どもの習い事でも水泳は上位に入っていて、それにともない幼稚園、保育園でもプールが設置されているところが増えていきました。
北海道、青森県など一部の寒冷地域では、現在もプールの設置率が低い地域もありますが、そういった地域にはしっかりと公設の温水プールがあったりします。
わが国はやはり、水泳大好き国民が住む、海に囲まれた島国なのです。
『世界が絶賛する日本 われわれが知らない進化する真価』より