どのように仲睦まじいカップルでも、突然の妊娠は困った問題。授かりたくてできた子どもはうれしいものだが、望まぬ妊娠はその仲を引き裂きかねない大きな問題に発展してしまう。
そもそもコンドームが日本で誕生したのは明治42年。しかし、避妊具というよりはおもちゃ的なものだったそう。今のようなラテックス製の者が誕生するのは昭和9年、これが普及したのが昭和末期というのだから驚きである。その目的も性病の感染を防ぐことが目的で、避妊具としての利用はごく最近のものなのだ。
これだけ遅れてきた避妊技術だが、そうした方法のなかった江戸時代、人はどのようにして避妊をしてきたのだろうか。
そもそも、江戸時代には妊娠についての知識というものが乏しかった。科学的な根拠もなく、迷信的な今では考えられないような方法が世間で横行していたようだ。また処女性に対する倫理観も、今と比べると低かったようで、ある意味、セックスに対して開放的だったのかもしれない。
そうしたことが背景にあったため、この時代の女性というのは割と簡単に、男性からのセックスに応じていたようだ。そのため、妊娠する確率も高く、結果として望まれないものであれば中絶も多かったという。それでも妊娠はしたくない、という意識はあったようで、そのための方法は存在した。
■江戸時代のコンドーム
べっ甲性のペニスに装着する器具だったが、その材質から装着感は非常に悪かった。また、魚の浮袋をペニスに被せて使うこともあったそうだが、非常に破れやすく、妊娠のリスクは高かったという。
■江戸時代の避妊薬
これこそ眉唾の最たるもので、その効果はまったくないとされている。「朔日丸」(ついたちがん)と呼ばれたこの薬は、月に一回服用すれば避妊できるとされていたのだが、水銀が含まれていたようで、体によくないことが想像できる。今でいうピルのような使い方をされていた。
■お灸
へその下にお灸をすることで避妊できたとされる方法。堕胎のツボがあるとされていたのかもしれないが、その根拠はまったくない。
■江戸時代のペッサリー
女性器の奥に薄い紙を詰めることで精子の侵入を防ぐ方法。理に叶ってはいるのだが、この紙が破れやすいこともあって効果はあまり期待できなかっただろう。
■水で洗う
セックス後に水洗いをするという方法だが、射精後の精子がすぐに子宮へと到達することを考えれば、無意味であることがわかる。
このように、一見理に叶っていそうだが効果のない方法が用いられていた避妊術。