いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。
そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? 変わり者中の変わり者、「ディオゲネス」に迫る<第2回>。
「プラトンの授業なんて暇つぶしだよ」あの大御所に噛み付いたデ...の画像はこちら >>
ラファエロ作「アテナイの学堂」に見るディオゲネス・中央の階段付近でだらしなく腰掛けている。

第1回はこちら

ディオゲネスとプラトン

 亡命者としてアテネに住みついたディオゲネスは、プラトンの学園「アカデメイア」などの様々な学園に出入りして、哲学者たちと議論をしていたようだ。しかし、彼はプラトンの授業は「暇つぶし」だと言っていた。事実、残されているエピソードはプラトンを小馬鹿にするようなものばかりである。

 ある時、彼が干しイチジクを食べているとプラトンに出会ったので「分けてあげてもいいよ」と声をかけた。プラトンが受け取って食べると「分けてもいいとは言ったが、全部食べてもいいとは言っていない」と言った。

 またある時は、プラトンがシチリアからやって来た友人を家に招いた際、ディオゲネスは床の絨毯を踏みつけてまわり「プラトンの虚飾を踏みつけているのだ」と言った。プラトンはそれに対して「君は見栄を張っていないと見せかけることによって、かえって多くの見栄を人前でさらしているのだよ」と答えたそうだ。

 プラトンが学園で「イデア」についての講義をして「机というもの」や「杯というもの」(個別の物事の背後に隠れているイデア)について論じた時、彼は「ぼくには机や杯は見えるけど“机というもの”とか“杯というもの”は見えないね」と挑発した。それに対してプラトンは「それはもっともだ。君はそれを考察するだけの知性を持ち合わせていないのだからね」と応じた。

また、プラトンが講義で「人間とは羽のない二本足の動物である」と定義すると、彼は羽をむしった鶏を持って教室に現れ「これがプラトンの言う人間だ」と言った。そのためプラトンの定義は「人間とは平たい爪をした羽のない二本足の動物である」という文言へと変えなければならなくなった。

 プラトンがディオゲネスを「犬」だと言うと、彼は「その通りだ」と答え、以後は自分のことを「犬」と呼ぶようになった。

 ある時、宴席で酔っ払った人が彼に骨を投げ与えた。すると彼は帰り際に、犬がするような格好でその人に小便を引っ掛けていった。 またある時、広場で朝食をとっているディオゲネスの周りで、人々が「犬!」と囃し立てた。すると彼は「ぼくが食事をとっているのを周りで見ているお前たちのほうが犬じゃないか!」と答えた。

アレクサンドロス大王とディオゲネス

 ギリシアを支配したアレクサンドロス大王がディオゲネスに面会したことがあった。少年の頃アリストテレスから哲学を教わった大王は、ギリシアの哲学者の中でも異彩を放つディオゲネスに興味を持ったのかもしれない。

 ディオゲネスは森の中で日向ぼっこをしていた。すると、アレクサンドロスがやって来て「何なりと望みのものを申してみよ」と話しかける。おそらく、お供を引き連れてそれなりに威厳のある格好をしていたであろう若き大王に対して、彼は「どうか、わたしを日陰におかないでいただきたい」と答えたそうだ。

 アレクサンドロスは「余は大王のアレクサンドロスだ」と名乗った。それに対して彼は「そして、俺は犬のディオゲネスだ」と答えた。どんなところが犬なのかと大王が尋ねると「ものを与えてくれる人には尾を振り、与えてくれない人には吠え立てて、悪者には噛み付くからだ」と答えた。

「お前は余が恐ろしくないのか」と大王に問われたディオゲネスは「あなたは善い者なのですか、それとも悪い者なのですか?」と聞き返した。そして「無論、善い者だ」と答えた大王に対して「それでは、誰が善い者を恐れるでしょうか」と言った。

 後にアレクサンドロスは「もし自分がアレクサンドロスでなければ、ディオゲネスであることを望んだのに……」という言葉を残したと言われている。若くして王の座を継ぎ、大きな責任を背負う身からすれば、貧しくとも自由奔放に生きるディオゲネスが羨ましく見えたのだろうか。

編集部おすすめ