新刊『バカだけど日本のこと考えてみました』を上梓したつるの剛士氏。かつてバラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンⅡ』の企画で誕生した男性3人組ユニット「羞恥心」のリーダーとして大活躍したつるの氏に当時のことを振り返ってもらった。
■「羞恥心」は最高の自己紹介

――「羞恥心」ブームが起こった当時、どんなことを考えていましたか?

「羞恥心」時代のつるの剛士。島田紳助さんに大反対されたけど…...の画像はこちら >>
 

つるの: とにかく怖かったですね。ブームって、すごく怖い。だって、考えてみてください、三十路を過ぎた子持ちのオッサンがいきなりアイドルになって、女の子にキャーキャー言われるんですよ。それだけでも十分に怖い(笑)。

 また、自分の知らないところで勝手なイメージをいろいろつけられるのもすごく怖かった記憶があります。ちょっとでも油断すると、すぐに他人からメッキづけされちゃって。だから、あの時ほど「等身大の自分でいなくちゃ」と強く意識したことはありません。

――「等身大の自分」を守るためにどんなことをしていましたか?

 とにかく自分に余計なメッキがつけられないよう、すべてをさらけ出しました。「実は子どもがいて、子育てに奮闘しています」、「本気で音楽をやっています」、「将棋が好きで、他にも趣味がたくさんあります」と自分から必死にアピールして。せっかく名前を知ってもらったのに「おバカ」だけで終わるのはもったいない。「つるの剛士」という人間を知ってもらうのに、こんな絶好のチャンスはないと当時感じていたので。その意味では、「羞恥心」ブームは僕にとって最高の自己紹介タイムだったと思います。

■大反対されたカバーアルバム

つるの:たとえ一瞬でもブレイクを経験できたことは、本当にものすごいありがたいことです。芸能人冥利に尽きます。

 ただ当時は「羞恥心」ブームにいつか終りがくることも常に意識していました。このまま芸能界で生き残りたいなら、ロッククライミングのように、次に手足をかける場所を今のうちに考えておかなきゃいけないなと。

 本来なら、こういうブームは波から降りるタイミング、つまり引き際がとても重要で、難しいと思うんですが、そこは「羞恥心」のプロデューサーだった島田紳助さんがしっかりと導いてくれて。デビューした年(2008年)に「“羞恥心”は一番きれいな時にやめるで。今年の紅白が終わったらやめるからな。それがお前らのためやねん」って。本当に紳助さんはすごいと思いました。普通に考えれば、ビジネス的にはかなりもったいなかったはずですが、僕ら3人にとってベストなタイミングで「羞恥心」に区切りをつけてくれて。今になって振り返ると、そのありがたさが当時以上にわかります。

――ロッククライミングのたとえで言うところの、「羞恥心」の次には、どこに手足をかけようとしていましたか?

つるの:歌です。

カバーアルバムを出そうと思っていました。当時「羞恥心」をしながら歌の番組で何度か優勝させていただいていたので。それが自分にとっては次のステージへの足掛かりになるかなと。

 でも、実は当時、紳助さんには「カバーはやめとけ」って大反対されて。「芸人もそうやけど、他人のネタをやるのは大変や。ホンマにその人以上のことをせな誰も認めてくれへん」と、すごく熱のこもった説得をされたので、僕も一度は「やっぱ難しいのかな……」と折れかけました。だけど、やっぱり「今しかない!」と直感したので、紳助さんに自分の本気の思いを伝えて、最終的には認めてもらえて。

 なぜだかわからないですけど、自信があったんです。まったく根拠のない自信が。結果的には、その時に出したカバーアルバム『つるのうた』がヒットしたので、自分の直感を信じて良かったです。でも、冷静になって思えば、当時の歌唱力でカバーアルバムを出そうなんて、今の僕なら怖くてできないかも(笑)。

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