現代の風俗嬢は本業とアルバイトを問わず、決められた時刻に店に出勤するまでは自分の自由時間である。
ぎりぎりまで自宅で過ごす人もいるであろう。買い物などをして、時刻を見計らって店に行く人もいるであろう。友人と食事をしながら談笑し、
「あ、ごめん。もう、行かなきゃ」
と、その場で別れ、あわてて店に駆けつける人もいるかもしれない。
あるいは、まったく別な職場で仕事を終え、店に向かう人もいるであろう。
みな、時刻が来るまでは、基本的に店とは無関係な空間や人間関係のなかで過ごすことができる。
要するに、職住分離しているからである。
ところが、妓楼は職住同一だった。
遊女は仕事も生活も、妓楼内という空間で過ごさなければならなかった。周囲の人間関係もまったく同じである。
吉原は一日に二回の営業で、
・昼見世 九ツ(正午頃)~七ツ(午後四時頃)
・夜見世 暮六ツ(日没)~八ツ(午前二時頃)
に分かれていた。
もちろん、昼見世から夜見世まで通して遊ぶこともできたが、その分、金がかかった。
また、夜見世は八ツまでだが、これは妓楼としての営業時間の終了である。寝床の客と遊女には、定まった終了時間はなかった。
遊女の朝はおそく、だいたい四ツ(午前十時頃)までに起床する。
昼見世が始まる九ツまでに入浴や化粧などの、客を迎える準備をしなければならないが、自由時間でもあった。およそ二時間の自由時間があったことになろう。
■プライバシーが守られなかった吉原の遊女しかし、吉原の外に出ることは許されていない。
同じ空間のなかで、同じ人間関係のなかで自由時間を過ごさねばならなかった。
図1は、昼見世が始まるまでの光景である。
写真を拡大 図1『北里花雪白無垢』(山東京山著、文政5年)国会図書館蔵一番左の女は鏡を見ながら、口紅をしているようだ。
左から二番目の女は女髪結に髪を結ってもらいながら、手紙を読んでいる。女髪結は毎朝、妓楼にやってきた。
三番目の女は腹ばいになって、本を読んでいるようだ。テレビもラジオもない時代だけに、読書が最大の娯楽だった。まわりに散乱しているのはカルタだろうか。
一番右の女は三味線を爪弾いている。
手前の女は、男に何やら託している。男はおそらく文使いであろう。遊女の手紙を客の男に届けた。
女は数通の手紙を託すようだが、相手こそ違え、文面は同じであろう。こうした舞台裏を知らない男は、遊女から手紙をもらうと驚喜した。
図2も自由時間の光景だが、夜見世が始まる前であろうか。雰囲気はけだるい。
絵の左下に横たわっているのは、全盛の花魁浦里で、年齢は十九歳。

浦里を気遣い、遊女がこう声をかけている――
「浦里さん、起きて、この薬を飲みなんし」
ともあれ、図1と図2を見ても、職住同一の妓楼の生活では、遊女にはまったくプライバシーがなかったことがわかろう。