吉原の区画は長方形で、面積はおよそ二万七百坪である。そこに、広壮で美麗な妓楼が建ち並んでいた。
ところが、大門から見て右側の端を西河岸、左側を羅生門河岸といい、ここには河岸見世と呼ばれる、格安な見世がひしめいていた。
同じ吉原の区画内でありながら、西河岸と羅生門河岸には、異質な別世界があったわけである。この格安な河岸見世のなかでも、もっとも格安なのが、切見世(局見世ともいう)と呼ばれる形態の見世だった。
切見世の揚代は一ト切(ちょんの間、時間にして約十~十五分)が百文だった。
なお、この切見世という形態は、私娼街である岡場所にもあった。
切見世は平屋の長屋形式で、狭い路地の両側に部屋がずらりと続いていた。
ひとつひとつの部屋は、戸を明けると小さな土間があり、土間をあがると畳二枚を敷いただけだった。
この、畳二枚の部屋に遊女は寝起きし、客も迎えたのである。
図1で、切見世の情景がわかろう。
写真を拡大 図1『其俤錦絵姿』(東里山人著、文政8年)/国立国会図書館蔵細い路地は男たちで混雑していた。
図1の右に、武士のふたり連れがいる。金のない下級武士であろうが、さすがに武士の体面を守るため、手ぬぐいで頬かぶりをしている(絵では、顔ははっきり見えているが)。
また、中央の金棒を持った男に注目していただきたい。
文中に――
「サア、まわりやしょう、まわりやしょう」
金棒の音、ガラン、ガラン。とある。男は切見世の番人である。
人気のある遊女の部屋の前には、「どうせ、ちょんの間なので、すぐだから」と、順番待ちの男が並ぶことがあった。
そうすると、ただでさえ細い路地は人の流れが滞留してしまう。
そこで、番人が手にした金棒を打ち鳴らし、
「立ち止まっていないで、ひと回りしてから、また来なせえ」
と、追い立てたのである。
なんとも、すさまじい世界だった。
■「まだ、口あけだよ」切見世は長屋形式だったため、「○○長屋」と呼ばれた。
図2は、男ふたりが吉原の稲荷長屋と呼ばれる切見世の路地にはいったところ、ひとりが荷物をつかまれ、強引に誘い込まれる――

稲荷長屋にはいるに、待ちもうけたる切見世の女、弥次郎の背に負いたる風呂敷包みをつかまえる。
「何だ、何だ、苦しい、苦しい、放せ、放せ」
女、
「遊んでいっておくれ。まだ、口あけだよ」
女の言う「口あけ」は、「まだ、きょうは客を取っていないから、おまえさんが初めてだよ」という意味。
ただし、それが本当かどうかはわからない。
近代の娼婦のジョークに、
「きょうはまだ処女だよ」
がある。
それに似ているといおうか。