■標準語には直せない、方言の奥深さ
方言の伝わりづらさに地元民が「いじやける」の画像はこちら >>
 

 日本各地にはさまざまな方言があり、同じ県内でも使用する言葉が少し異なる場合もあるほどだ。ほかの地域の人には難解な場合もあるため、ニュースなどでは標準語といわれるものを使用している。

たいていの方言は標準語にも同じ言葉があるのだが、なかには適した言葉が見当たらないときもあるのだ。

 筆者の地元、栃木には、「いじやける」という方言がある。栃木弁を解説するサイトなどでは「イライラする」、「頭にくる」などといわれたりするが、地元民としてはどうも腑に落ちない。こうした意味合いも含んではいるものの、標準語のこれらとはちょっと違う気がしてならないのだ。

 いじやけるとは、イライラ感の中にも、自分の思うように事が進まない、やり場のない感情も含まれていると感じている。我々が他県民にこのニュアンスを伝えるときによく用いる例が、針に糸を通すときだ。

 小さい針孔に糸を通そうとするもなかなかうまくいかず、挙句の果てには糸の先が割れてしまい失敗してしまう。こんな感情を示すときには、いじやけるが最適なのだ。学生時代の友人などは、このニュアンスが伝わらないことがまさに「いじやける」といっていた。

「苛立ち」などの言葉で代替することも可能ではあるが、それとは違う感情も含まれているのが「いじやける」という方言。東京ではまったく通じなかったのだが、茨城や千葉北東部、埼玉北部などでは使われることがあるようだ。

 ■「むっつい」!?

 こうした標準語では表しにくい方言はほかにもある。

青森の「むっつい」という言葉だ。パサパサしたものなどを食べたとき、口の中の水分が奪われる感覚を指すという。意味を説明をすることはできるものの、やはりこれに対する標準語が見当たらない。

 今回はたまたま身近な方言をフォーカスしたが、これだけでも方言はじつにさまざまな表現を持っていることがわかる。対応する標準語がないならば、むしろこうした方言を標準語として取り入れた方がわかりやすいと言ったら言い過ぎか。

 お国訛りは恥ずかしいという意識があり、上京後に言葉を矯正したという話はよく聞く。しかし、イントネーションだけでなく、こうした豊かな表現を失ってしまうことは残念だ。利便性を考えれば標準語を使うことがベターだが、地元を離れても方言の良さは忘れないようにしたい。方言と標準語のどちらも操れる"バイリンガル"と考えれば、恥ずかしいという意識が薄れるのではないだろうか。

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