永禄4年(1561)9月10日、上杉軍は信州川中島で武田信玄の軍勢と戦い、圧倒的な戦果を挙げた。上級指揮官を多数討ち取ったのだ。
このとき謙信が使った戦術が「車懸り」である。そして、その「車懸り」は近世の「大名行列」との共通点が――。新刊『戦う大名行列』を著した、歴史家・乃至政彦が考察する。■謙信が使った「車懸り」という戦術
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 大名行列の編成様式は、上杉謙信の「車懸り」に起源がある。

 永禄4年(1561)9月10日、上杉軍は信州川中島で武田信玄の軍勢と戦い、圧倒的な戦果を挙げた。上級指揮官を多数討ち取ったのだ。

 このとき謙信が使った戦術が「車懸り」である。車懸りが円形陣による回転攻撃の陣形と戦 技といわれることも多いが、これは史料的根拠のない空想の産物で、実際の「車懸り」は行軍 隊形を保ったまま敵軍に接近し、行列の状態から白兵戦へ移行するという戦法で、既存の軍隊 の常識を打ち破る作戦の名前であった。 この戦術を可能とするのが、謙信独自の「軍列」という隊形だった。その構造を観察すると、これが大名行列の配置とまったく同じであることに気づかされる。

 謙信が使った隊形は、それまでの日本に類例のない兵科(兵種)別編成の用兵思想に基づいている。鉄炮・弓・長柄・旗・騎馬の諸兵科を連携させる配置になっているのだ。

 しかも、それはなんと近世(徳川時代)の大名行列と同一の編成方式が採られている。

 大名行列の様式は、一般にただ漠然と儀礼の行列から発展したものであると考えられているようだが、それだけでは説明のつかないところが多い。

 史料上、謙信以前にこうした軍隊の配置は存在しない。すると、近世になって急に全国普及した大名行列の起源をここに求めることができるのではないだろうか。つまり謙信の軍隊が、中世と近世の用兵思想をわける特異点であった可能性が生起するのである。

■「車懸り」の目的

 謙信が使った「車懸り」は、諸兵科が連合して敵隊を押し開き、本営へ乱入することを目的としている。軍事用語でいう「諸兵科連合」の形式を使っているのだ。これで、足軽や雑兵の背後に控える敵の重要指揮官を多数討ち取っていくのである。

 これを首尾よく実行した謙信は、信玄とその長男を負傷させたばかりか、信玄実弟の武田信繁、参謀格の山本勘介、古参の室住虎光といった枢要人物を討ち取った。豊臣秀吉の組織に例えれば、信繁は大将実弟の秀長、勘介は参謀格の黒田官兵衛、諸角は古参の蜂須賀正勝に相当する上級指揮官で、彼らを一度に討ち取られた合戦は、武田家にとって絶望的な大事件だった だろうと想像される。

 会戦後、謙信は家臣に感状(武功の証明書)を複数発給したが、信玄に至っては確かな感状 が一通も残っていない。重要人物を多く失った信玄の陣中には、上杉軍を後退させ、勝ちのこったことを祝う余裕などまったくなかったようである。

ただ、上級指揮官を失っていない上杉軍も、武田軍の比ではないが、少なくない一般兵士を 失っている。これは謙信の「車懸り」が、「肉を切らせて骨を断つ」型の戦術であったことを物語っているだろう。

 川中島で使われた「車懸り」は、相手の上級指揮官を討ち取ることを目的とするため、敵味方の足軽・雑兵の損耗を軽視している。ある意味、相打ちを狙うかのような、とてもリスクの高い用兵だった。

 近世の大名行列もこれと同型であるとすれば、武士の歴史を見るうえで注目すべきフェノメノンであるといえる。近世の武士がどういう価値観と死生観に生きていたかを考えるうえで、重要な考察材料になるに違いない。

 戦国時代の「車懸り」と近世の大名行列が似通っているのは、謙信の用兵思想に、武士の本能を強く揺さぶるインパクトがあったためだと考えられる。「車懸り」と大名行列──。

 一見、突飛な比較かもしれないが、両者の用兵思想は通底しているのだ。その理由は中世から近世に移行する武士たちが求める有効性や革新性があったためとも考えられよう。

 そうだとすれば一種の刺し違えに近い作戦隊形が、大名行列として全国に普及していった経緯をよく見つめなければならない。

 本書では中近世移行期の武士の行列を見つめることで、彼らの用兵思想の実相を明らかにする端緒を開ければと思う。

武士道精神の一端もまたここで垣間見ることができるだろう。

※本文中、「法月2018」等とあるのは、参考文献の著者の苗字と刊行年(復刻版がある場合は新しいも のを参考とした)を記したもので、巻末の主要参考文献に対応している。また、史料の引用時に「『夢ケ丘史』 963号」等と出典元の書名と番号を付すことがある。これらは次の資料集とその掲載番号を引いているの で、原典にあたる場合は参考とされたい。主要資料集 『上越市史』『新編七尾市史』『戦国遺文』(後北条氏編、武田氏編)『大日本古文書』(上杉家文書、小早川家 文書、伊達家文書、毛利家文書)『新潟県史』『武家家法・三』『真壁町史』『山梨県史』
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