近鉄特急というと豪華観光特急「しまかぜ」や個性的な特急である「伊勢志摩ライナー」「アーバンライナー」、2階建ての「ビスタEX」などが有名で、そうした列車には好んで乗ってきた。しかし、その陰に隠れ地味ではあるが多数派といえる「汎用特急」には、あまり乗って来なかった。
名阪特急といえば、三重県の県庁所在地である津に停車する以外は、大阪市内の鶴橋までノンストップの「アーバンライナー」が脚光を浴びている。しかし、桑名、四日市といった主要都市の駅にこまめに停まっていく乙特急が1時間に1本程度走っているのだ。車両も雑多な新旧取り混ぜた編成で、どんな車両に当たるかは分からない。そうした期待と不安が入り混じる中、あらかじめネットで予約して、東海道新幹線で東京から名古屋へ向かった。
■懐かしさの漂う車内最近、近鉄の汎用特急は半世紀ぶりに塗装を替えつつある。しかし、ホームに入ってきたのは馴染みのある紺とオレンジのツートンカラーの車両だった。よく見ると、6両編成のうち先頭の2両はクリスタルホワイトをベースにブライトイエローとゴールドを加えた新塗装。私が乗る車両は3号車なので、旧塗装車だった。

旧塗装だけあって、車内はやや古めかしくも懐かしさの漂うインテリアだ。コンセントやカップホルダーなどは無論ない。肘掛から取り出す形のテーブルも意外に小さく駅構内の売店で買った弁当を載せるには少々手狭だ。

電車は地下から地上に出ると、快適なテンポで走り始める。JR関西本線に比べると、近鉄名古屋線沿線のほうは、宅地が多く活気がある。
■三重県横断木曽川、長良川、揖斐川の大河を一気に渡ると三重県に入り、桑名、四日市と停まっていく。このあたりは、JRをはじめ、ナローゲージの三岐鉄道北勢線、養老鉄道、三岐鉄道などバラエティに富んだ車両が目に留まり、鉄道ファンにはこたえられない。白子付近では伊勢鉄道の高架橋が遠くに見え、津ではJR線と再び合流する。県庁所在地だけあって、かなりの乗客が降りていった。観光客よりもビジネス客や所用で乗っている人が多いようだ。津から乗ってくる人も少なからずいて、都市間連絡特急の様相を呈している。

伊勢中川の手前で減速すると右に大きくカーブしてショートカットの単線の線路を進み、近鉄名古屋線から大阪線へと転線する。左側の席は急に日が差し始めたので、慌ててカーテンを閉める人が目につく。
大阪線に入って最初の通過駅は川合高岡。ちょっと分かりづらいけれど、JR名松線が接近してきて、すぐ近くに一志という名松線の駅もある。隣合わせではないけれど、乗り換えに使う人がいるという。もっとも名松線の列車本数が少ないので、車窓から名松線のディーゼルカーを目撃できる確率は極めて小さいだろう。しばらくすると、電車は雲出川を渡る。川は、その後、ふたたび接近した後、遠ざかっていく。対岸を名松線が走り、雲出川と絡み合うように山の中へ消えていく。■田園風景が映る車窓
周囲はすっかり山岳地帯だけれど、複線で急カーブはないので、電車は100キロ前後の速さで気持ち良く走っていく。やがてトンネルが増えるものの、減速するでもなく、ぐんぐんと関西地区へ向かって駒を進める。
長大な新青山トンネルで布引山地を一気にくぐり抜け、盆地にさしかかると名張に停車する。まだ三重県ではあるけれど、名古屋圏から関西圏に変わる。
赤目四十八滝の最寄り駅赤目口を過ぎると再び山岳地帯に突入する。宇陀川を何回も渡るうちに奈良県に入り、女人高野の名で知られる室生寺の最寄り駅室生口大野を通過する。しばらく山あいを走り抜け、ビルが目につく市街地に差し掛かると宇陀市の中心榛原を過ぎ、榛原トンネルを通り抜けると、再び山間部となる。起伏ある田園地帯に点在する農家をやや高いところから俯瞰する車窓は見ごたえがある。

ボタンをはじめさまざまな花が咲き誇り、源氏物語や枕草子ゆかりの長谷寺。その名を冠した駅を通過し、しばらく山の中を走って短いトンネルを抜けると、次第に人家が増えてくる。高架に駆け上がり、左下にJR桜井線のホームや構内が見えてくると通過するのは桜井駅だ。遠い昔、母に連れられて2階建てビスタカーに乗って名古屋と大阪を行き来したとき、ツートンカラーのディーゼルカーが見えてくると山越えが終わったことを実感したものだった。現在は電化されている桜井線。今回、電車の姿は見えなかった。

すっかり平坦で住宅の多い地域を走り、右手に大和三山のひとつ耳成(みみなし)山が見えてくると、電車は減速し、大和八木駅に停車する。この日は、ここで下車。右に大きくカーブして大阪難波を目指す特急を見送った後、後続の大阪上本町行き区間準急に乗り換えて大和八木から3つめの大和高田駅で下車した。


平坦な近鉄名古屋線、山間部を走り抜ける近鉄大阪線、歴史を感じさせ由緒ある駅名の続く沿線は変化に富んだ車窓とともに充実した旅だった。
