資生堂の池田守男元社長は1936年12月、香川県高松市に生まれた。18歳でキリスト教の洗礼を受け、牧師になるため東京神学大学神学部に進んだ。
国論を二分した60年安保の時で、キリスト教の世界にも対立があり、そのまま牧師になる決心がつかなかった。61年に大学を卒業したが、牧師にはならず資生堂に入社した。5人の歴代社長の元で、秘書や総務の責任者として仕え、経営中枢を歩いた。創業家一族の福原義春が社長時代の後半だった95年に取締役秘書室長となり、以後、側近として重きをなした。

 池田に与えられたミッション(使命)は「資生堂を生まれ変わらせること」だった。それまでの資生堂を支えてきたモノとヒトの仕組みを変えることであった。彼は、流通の仕組みを変えることから始め、就任早々350億円の化粧品在庫を思い切って焼却処分にした。

 当時、既に、新製品を出せば売れる時代ではなくなっていた。大量生産→大量消費の仕組みでは、どうしても不良在庫を抱える結果となる。市場の変化に合わせて生産・販売のシステムを作り変える必要がある。それは、ズバリ、在庫をためない仕組みにすることだった。これは一言でいえば「店頭中心」の経営改革である。

店頭で消費者のニーズを即座に掴み、今日の注文を明日作れるようにする。大量生産の象徴だった新鋭工場も閉鎖した。

 しかし、まだ最大の問題が残っていた。ヒトである。社内の人口ピラミッドは、完全な逆三角形。50歳代が圧倒的に多く、20~30代が必死になって会社を支えている構図だ。このままで、20年先、30年先に、やっていけるのかと考えた時、危機感は一層募った。社員の若返りを進め、人口のピラミッドを正三角形に作り直さなければならない。

 04年12月、創業以来初めてとなる50代の社員の早期退職の募集に踏み切った。早期退職に猛反対する役員たちを説得するのに2年近くを要した。05年3月末に、1364人が退職した。退職する人に払う特別加算金が重荷になり、同期は85億円の最終赤字に転落した。

だが、これによって、それまで50人しか採用できなかった新入社員を200人採れるようになった。人材の新陳代謝である。

 池田は社員を早期退職させて、自分だけが社長にとどまることを潔しとしなかった。早期退職制度の導入と同時に社長を辞任、引き際は鮮やかだった。その後、キリスト教系の学校の東洋英和女学院理事長・院長を務めていた。若い頃の聖職者になるという思いを、社長退任を機に果たしたわけである。

 まったくの余談だが、福島第1原子力発電所の大事故で、経営危機に見舞われた東京電力の社長が交代したが、当初は、経営を刷新するために外部からの人材招聘が、政府内で検討されていた。その何人かのリストの中に池田守男の名前があったという。どういう経緯で池田が東京電力の新しい社長の候補になったのかは、定かではない。

 話はもどり、社内改革の総仕上げが、自分より10歳以上若い、前田新造を社長にすることだった。05年2月4日、社長の池田守男は代表権のない会長に退き、取締役の前田を社長に昇格させる人事を発表した。前田は執行役員の副社長、専務、常務14人を飛び越しての大抜擢である。

資生堂の歴代社長はほとんどが副社長からの昇格だ。まさにサプライズ人事であり、前田にとっても青天の霹靂だった。社長交代の会見の席上で、「池田から社長に推薦すると言われた時、すぐには理解できず、きちんとした答えができなかった」と語った。後年、「(自分が起用されたことが)今でもわからない」と振り返っている。

 池田が前田を起用した狙いははっきりしている。池田改革を続けることである。従来の昇格ルールに従えば、改革の火が消えるかもしれない。改革を托すことができる後継者は、前田しかいなかった。前田は経営企画室長として、池田改革の参謀だった。前田は、池田改革の第二走者としてバトンを渡されたのである。

 そして第二走者となった前田が09年、次に社長に指名したのが末川久幸だった。末川も前田の参謀を務めていた。

だが、同社の業績が悪化し、その後、13年に健康上の理由で社長を退任。世間的には末川が「社長を辞めたい」と言い出したことになっているが、長老連中が首を切ったのだ、といわれている。現在、再び前田が社長に復帰して苦闘中である。

●池田氏のお別れの会に2200人

 元資生堂社長で5月に死去した池田守男氏のお別れの会が7月12日、東京都港区のホテルオークラ東京で開かれた。相談役だった2006年に第1次安倍内閣で教育再生会議の座長代理を務めるなど、多くの公職に就いた。頼まれれば一切断らず、公職を全うした。
お別れの会には小泉純一郎・元首相ら財界関係者など2200人が参列した。

 池田氏は最愛の夫人を亡くした一週間後に急逝した。会場にも駆けつけた、親友のサックスプレーヤーの渡辺貞夫氏のCDの曲が流れる中、参列者は生前の故人を偲んだ。
(文=編集部/敬称略)

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