ちょっと大きな買い物をすると、数日後には高額商品のDMが届いてなんとも嫌な思いをしたという経験は、誰しも1度や2度はあるはずだ。消費者の購買行動情報は、企業が最も欲しい情報といっていい。全国紙や経済誌のウェブサイトに掲載されている記事の中には、会員登録をしないと読めないものが少なからずあるが、多くの場合は会員登録無料だ。無料で記事を読ませる代わりに、記事を読みに来た人の属性情報を新聞社や出版社は獲得できる。
スーパーのポイントカードは、どんな属性の人が、日々何を買っているのかを把握する格好のツールだし、ネットで買い物をする際に合意を求められる同意書にも、「提供した個人情報を第三者に提供されても異議を唱えない」とする条文が必ずといっていいほど盛り込まれている。ビジネスホテルの宿泊予約や、コンサートやスポーツ観戦のチケットの購入の際にも同様に無料会員登録を求められ、その都度個人情報を提供させられるわけだが、個人情報を提供するかどうかの判断は、あくまで大人が自己責任で行う。ネットだと個人情報の提供を求められるのに、電話申し込みだと求められない場合も多いので、電話申し込みにしたり購入そのものをとりやめたりという判断も自らの意思で行うことができる。
だが、小さな子供の情報は親の判断で提供されている。今回の場合、名前、住所、電話番号、それに生年月日まで特定できる情報だったというから、小さな子供を持つ親には誘拐の可能性も連想させたに違いない。これが中学生や高校生の個人情報だったら、世間の反応はここまで厳しくはならなかっただろう。●流出先の大企業、なぜジャストシステムのみなのか
個人情報保護法の施行は、否応なく日本国民の個人情報の取り扱いに対する意識を変えた。かつては誰でも閲覧できた住民基本台帳も、今では原則本人の承諾を必要とする。
それだけに、上場企業であるジャストシステムの名が流出先として挙がったことについて、同専門家は「かなりワキが甘い」と手厳しい。ジャストシステムは問題発覚後の7月11日、「名簿の購入先に対し、購入するデータが適法かつ公正に入手したものであることを条件とした契約を結び、なおかつデータの入手経路も確認する社内ルールを敷いていながら、結局データの出どころが不明確なまま買ってしまった」という趣旨のリリースを出している。
だが、同専門家はジャストシステムの釈明について、次のように疑問を呈する。
「その契約とは、不正な手段で取得したデータであることが後からわかった場合に、データ購入契約を解除し、代金を返してもらえるというもの。これから買おうとしている情報が、本当に適法かつ公正な手段で入手したものかどうかを確認することは、現実問題として不可能に近い。子供の個人情報という最もデリケートな情報であれば、今や不正な手段を使わず集めたものが市場に出回るなどということはあり得ないと考えるべき」
結局、現時点で個人情報の流出先として名前が出た大企業はジャストシステムのみで、塾や教材販売会社の名前は出ていない。その理由について同専門家は次のように解説する。
「塾は各教室ごとにいかに生徒を集めるかの勝負。集客の対象となる地域が極めて限定されているので、実際に在籍した生徒だけでなく、模試だけ受けに来た生徒も含め、同級生や兄弟、親戚、隣近所の後輩などを紹介させたりして、自力で集めた情報のほうが精度も価値も高い」
ジャストシステムは8月7日、購入したベネッセの全顧客データを削除したことを公表した。事件発覚後すぐに、購入したデータの削除を宣言したが、これに真相の解明や捜査の妨げになりかねないとしてベネッセが難色を示したため、削除はいったん見送っていたが、今回は警視庁に確認をとった上での削除だという。
同日発表されたジャストシステムの15年3月期第1四半期の業績を見る限り、本流出事件の影響は見受けられない。営業利益、経常利益ともに12四半期連続で株式上場来の過去最高を更新した。
だが、今回のベネッセの問題とはまったく別に、ジャストシステムはもう一つ別の火種も抱えている。マイクロソフトから不正競争防止法と著作権法に抵触しているとして、抗議を受けているのである。●もう一つの火種
マイクロソフトが問題視しているのは、ジャストシステムが販売している「JUST Office」という、ワープロ、表計算、プレゼン用のソフトを1つにまとめたパッケージソフトである。マイクロソフトの「Office」と名称も同じだが、Wordの代わりにJUST Note、Excelの代わりにJUST Calc、PowerPointの代わりにJUST Slideというソフトで構成されている。ATOKやPDFの出力・編集、エコ印刷が行えるソフトも一斉導入できるという。
ワープロソフトはNoteではなく一太郎が組み込まれているタイプのほうが主力なのだが、マイクロソフトはNote、Calc、Slideのインターフェースに、いずれもマイクロソフトがOfficeに採用しているリボンインターフェースとそっくりなものが使われており、これが不正競争防止法と著作権法に抵触する、という内容の警告書を送っているのだ。
マイクロソフトは単なる互換性については他の競合ソフトメーカーに対しても開放しているが、ことリボンインターフェースに関しては、競合する製品には使用許諾を与えない方針を打ち出している。
Word、Excelのユーザにとって、07年にマイクロソフトのインターフェースがすべてリボンインターフェースに代わった当時のストレスは筆舌に尽くし難いものだったに違いない。大幅に機能が追加されていて、従来品のインターフェースと配置がまったく異なるため、どこにどの機能が置かれているのか、カンだけで探そうとすると探しているだけで膨大な時間がかかってしまう。
とまれマイクロソフトには、発売からの7年間、ユーザからさんざん文句を言われながらもリボンインターフェースを定着させてきたという自負があるのだろう。JUST Officeのパンフレットには、「マイクロソフトのOfficeより安価な費用でアップグレードできる、インターフェースの切り替えも楽にできます」といったセールストークが並んでおり、ユーザ側からみればJUST OfficeはマイクロソフトのOfficeとほぼ同じにみえる。そのため、マイクロソフトにしてみれば、苦労して定着させたものにタダ乗りされるのは許しがたい、ということなのだろう。
ジャストシステムがJUST Officeというパッケージソフトを出していることは、民間企業に勤務する会社員にはあまり知られていないだろう。JUST Officeの市場シェアは、当の同社自身も「市場データでそれがわかるものは存在しないと思うので、わからない」(同社広報)というが、パソコン購入時に標準搭載されているのはマイクロソフトのOfficeであるケースが一般的だ。一太郎はじめ、Office以外のワープロや表計算ソフトを入れようとしたら、別途購入しなければならない。
従って、民間企業におけるマイクロソフトの市場占有率は圧倒的なのではないかと思われ、JUST Officeはほとんど知られていない製品といえるだろう。だが、そんなジャストシステム、実は役所には結構強い。
一般にはあまり認知されていないソフトだからといって、無断で他社製品のマネをしていいとはいえない。何よりもジャストシステムは上場会社である。不正競争防止法や著作権法に抵触するおそれがある、という抗議を受けたのだから、当然にそれなりの言い分があるのではないか。同社広報によると、「最初の抗議文は昨年6月に届いたので、翌7月に『不正競争防止法に抵触していないと考えている』という趣旨の回答書を返送したところ、それ以降はなんの音沙汰もなかった」という。
だが、今年7月、今度は弁護士名で「販売差し止めを求める」という趣旨のレターが届いたという。これについてもジャストシステムは昨年同様の趣旨の書面を返送する予定だが、「通常、知的財産権侵害や不正競争防止法違反の警告を行う場合、権利対象と被疑違反行為を特定、立証し、その上で両者の対比を具体的に示すのが、侵害や違反を主張する側の責務。だが、マイクロソフト社からの連絡は、抽象的かつ短い文章での結論のみ。具体的な根拠が示されれば、先方の主張が根拠を欠くものであることを明らかにすべく、反論していく」という。両社ともに一歩も引かない構えなので、いずれは法廷で白黒を付けることになる可能性は高い。
ただ、ジャストシステムとマイクロソフトでは企業規模が違い過ぎる。当然規模に勝るマイクロソフトが、少なくとも資金力の面では圧倒的に勝る。
ジャストシステムにとっては、ベネッセ問題以上の難題になる可能性は十分あるだろう。
(文=伊藤歩/金融ジャーナリスト)