■靴が合わなければ、変えればいい
以前、オーストラリアの幼稚園で勤務する友人がこんなことを言っていました。
「学校は靴みたいなもの。日本の学校はワンサイズしかない革靴に無理やり子どもたちの足を合わせようとしている」
衝撃的でした。でも実際そうかもしれない、とも。靴が合わなかったら、違う靴を探せばいいだけなのに、先生も親もなんとかそこに合わせようと必死になっている。合わない自分はダメなんじゃないかと思わされてしまう。
靴が合わなければ、変えればいい。それでも合わなければ裸足だっていい。何より大事なのは自分の足を(心を)大切に守ること。
それなのに、「靴に合わないあなたがダメ」のように、不必要な劣等感を感じさせる日本の教育にときどき違和感を持つ。
「合わない靴に無理やり自分の足を合わせる必要なんてない。靴ずれをおこしているのに、傷だらけの足になっているのに、まだそれでも靴を履かせる必要ってある? 人生を歩くのは靴じゃなくて、自分の足」
これが、私が「不登校は逃げではない」と考える理由の1つです。
■「学校に行くこと」よりも大切なこと
わたしは普段、5歳以上の子どもから大人までを診療するクリニックの院長をしています。若い子だと、小学校高学年くらいの子どもが「生きるのがしんどい、消えたい」と話してくれることがあります。
でも、まず考えてほしいのです。「学校に行けない=ダメなこと」なのでしょうか。「学校に行けないことは失敗」なのでしょうか。そんなことは、ありません。
これは、私が精神科医であるだけでなく、一人の大人として、小学校や中学校、高校時代も、1つの点に過ぎなく、人生は学校に行けるか、行けないかだけで決まるものではないと思うからでもあります。
■「どんなあなたも素晴らしい」
診察室に来た不登校の子に、私はこんなふうに言うことがあります。
「学校に行っても行けなくても、あなたはあなたでいい。あなたはあなたでどんなあなたも素晴らしい」
みんな違ってみんないいんだ、という受け皿があれば、診察室で“死にたい”と訴える子どもたちが減るんじゃないかと思っています。
だからこそ、みなさんに知ってほしい言葉があります。ニューロダイバーシティという言葉はすでに多くの方がご存じだと思いますが、欧米では最近“ニューロスパイシー”という言葉がでてきているそうです。
いろんな発達の特性の人がこの世にはいて、みんないい味(スパイス)だしているよね、という意味だと私は理解しています。他者との違いを排除するのではなく、受け入れ認め合う。もしよかったら、ぜひ使ってくださいね。
■「ダメな母親なのかも」と追い込まれた
私は精神科医として、不登校の子をはじめ患者さんを診察すると同時に、シングルマザーとして2人の娘を育てています。
わが家の娘は小学1年から登校しぶりがあり、付き添い登校をしたり、行ったり行かなかったりという日が続いて、小学校3年生から小学校卒業まで完全に登校しませんでした。
今はそんな娘の状況を受け入れている状態ですが、不登校になりかけの頃は「学校に行かせるなんて当たり前のことをさせられない私はダメな母親なのかもしれない」「精神科医のくせに自分の子どもを学校にすら行かせられないのか」と思われているのではないか、と不安になりました。
また、教育熱心だった両親からは「仕事なんてしてる場合じゃない。仕事を休んででも母親は学校に子どもを連れて行くべきじゃないか」と言われ、私は追い込まれました。
それでも、私はなぜか学校に行かせることだけが正解だと思えなかったのです。自分がシングルマザーで経済的に両親に頼りたくなく、仕事をやめたくなかったというのもあります。
そして、不登校は、何カ月付き添ったら学校に行けるようになる、など明確なゴールが定めにくいものでもあります。
そのような葛藤を抱えながら、私の不登校の娘と向き合う日々が始まりました。最初は不安で涙を流した夜も何度もありましたが、今は不安と上手に付き合えるようになり、今日も学校に娘は行っていませんが、親子ともに笑顔で生活しています。
それは、「不登校=よくないこと」という常識を手放すことができ、必要以上に不安になることをやめたからです。
■不登校になる理由は一つじゃない
不登校の背景にはさまざまな要因があります。
わが娘のように、発達の特性により集団生活が苦手な子もいれば、知的な遅れや限局性学習症(学習障害)のために勉強が分からなくてしんどくなる子、クラスメイトや先生との相性が悪くて行けなくなる子、家庭の中が安心できる環境でない子(貧困や虐待)など、不登校の要因はさまざまです。
学校にうまく適応できないために不安になっている子どもは多いと思いますが、一方で、家族も不登校を問題だととらえなければ、子どもも不安にならず、自ら不登校を選択できている子どももいます。
■お腹の痛みはSOSサインかもしれない
「学校に行く時間になるとうちの子お腹がいたくなるんです」「ほんとかどうかわからないんですけど」と不登校や登校しぶりのお子さんを連れて私のクリニックを受診する親子はたくさんいます。
ここで、注意していただきたいのが、「仮病だと捉えることに何もメリットはない」ということです。まず、子どもというのは、大人よりも「ストレスが身体症状(腹痛や頭痛や吐き気など)に現れやすい」ということを知ってほしいのです。
もしかすると、お腹の痛みが心の痛みからきている可能性もありますが、それは大事な「助けて」のサインかもしれないのです。
どうか、「熱がないなら行きなさい! 学校いったら治るからとりあえず行きなさい! どうせ学校行きたくない言い訳でしょ!」などと言わず、寄り添ってあげてくださいね。
子どもが「お腹が痛い」と言っていたら、「痛いんだね。お母さんお父さんに何かできることある?」と声をかけてあげてみてください。わかってもらえたという安心感で、痛みが軽くなることもあります。
これって大人も同じですよね。出産の時など、パートナーや助産師さんに手をにぎってもらうと少し痛みが緩和するという経験、きっとみなさんもしていると思います。それと同じです。
■「学校に行きたくない」と言われたら…
これは不登校に限りませんが、子どものことで何か不安になったときは、「どこまでが親である自分の不安で、どこからが子どもの問題なのか、もしくは問題ではないのか」という視点に立つことが大切です。
その視点に立てるようになると、ただ学校に行けないことで、将来どうしようと親が先回りして不安になっているだけで、子どもは元気で楽しそうに家で過ごしていて、現時点で特に問題はない、という結論になることもあります。
もし子どもが「学校に行きたくない」と言った時、わたしだったら「そっか。そう思うときもあるよね。理由話せそうだったら聞いてもいい? お母さん(お父さん)が、何かあなたにしてあげられることはある?」と答えます。
■「なんとなく」でもまずは受け止める
もちろん、学校に行けない理由は子ども一人ひとり違うので、この答えだけが正解というわけではありませんが、決して、理由も聞かずに「そんなこと言わないで学校はいくものだから行きなさい」や、「行きたくない理由がないなら行きなさい」という対応はやめてほしいです。
子どもは大人よりも考えを言語化する力がまだまだありません。なんとなく行きたくない、という感情もまずは受け止めてもらえたという安心できる経験が大切です。
親というのは、子どもよりも経験が豊富なので、先を考えて不安になることがあります。でも、考えてみてください。わたしたち親世代が生きた時代と今では、様々なことが変わってきています。会社にいって働くのが当たり前の時代から、家にいながらオンラインで仕事ができる人も増えてきています。必ずしも集団生活で、社会の中で人に揉まれて成長しなければいけないわけではないのです。
■わが家を「心の安全基地」にする
親が何かサポートをしようと思う前に、「まず親自身が何を不安に思っているのか、そしてそれは本当に不安に思うべきことなのか?」というのを自問自答してみてほしいのです。
そうして、子どもというのは、親がそばで穏やかに安心して過ごしていること、笑っていてくれることで“心の安全基地”となり家で安心して過ごすことができるのです。
最後になりましたが、この記事は決して日本の教育全体を否定したいわけではありません。私の娘の小学校の先生らは、不登校の娘の人格や行動は一度たりとも否定することはなく、寄り添ってくださり心から感謝しています。また、教育現場の人手不足の問題もあると思います。
ただ、大人の考え方が変わっていかなければ、学校という“靴”が合わないことで自ら命を絶つという選択する子どもたちを救うことができないと考えています。この記事をきっかけに、どうしたらそういった子どもたちを、日本の若者を救っていけるのか考えていただけたら嬉しいです。
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精神科医さわ(せいしんかいさわ)
精神科専門医/精神保健指定医/公認心理師
医療法人「霜月之会」理事長。藤田医科大学医学部を卒業後、精神科の勤務医として、アルコール依存症をはじめ多くの患者と向き合う。発達障害の娘の育児に苦労しながらも、シングルマザーとして2人の娘を育てる。長女が不登校となり、発達障害と診断されたことで「自分と同じような子どもの発達特性や不登校に悩む親御さんの支えになりたい」と勤務していた精神病院を辞め、2021年3月名古屋市に「塩釜口こころクリニック」を開業。これまで延べ3万人以上の診察に携わっている。著書に『子どもが本当に思っていること』(日本実業出版社)がある。
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(精神科専門医/精神保健指定医/公認心理師 精神科医さわ)