SONOKOのHPより

 多くのメディアに露出し、経営していたSONOKOの業績も絶頂期だった2000年に鈴木その子が突然亡くなって18年。アンケート調査によると、依然として40代以上では名前の認知度は85%ということですが、その名前を知らない世代もだいぶ増えてきています。

SONOKOと銀座店舗は存続され、現在もなお多くの人に商品とサービスを提供しています。

 先日、そんな鈴木の18年目の命日に行われたお墓参りのメモリアルツアーには、ずいぶん減ってしまったとはいえ、今でも30人ほどの顧客が訪れ、お墓の前で涙を流す人もいらっしゃいます。また、個別にひっそりとやってきて花束を手向けるファンもいらっしゃいます。

 亡くなってからこれほど時間が経っても愛される人は、世の中で稀有な存在でしょう。今を時めく経営者は何人もいらっしゃいますが、亡くなって20年近く経ってもお墓参りにバスがやってくる人は果たしてどれだけいらっしゃるでしょうか。

 そうした稀有なことが続いている理由について考えてみると、鈴木の愛された人柄以外にも、現代の企業経営にも通底する姿が浮かび上がってきます。

物理的な事実に基づくロジック、手間をかけるサービスの存在

 一般的には化粧品のイメージが強い鈴木ですが、事業の始まりはレストランでした。摂食障害を原因とした長男の死をきっかけとして、独自の理論に基づくメニューのレストランで食事を提供しつつ食事法をアドバイスし、自宅でも食を楽しめるようにと物販を始めることで、摂食障害者をはじめとして食に悩む人を救ってきました。その延長として美の悩みを抱える人も、化粧品を通じて救ってきました。

 一般的に食品や化粧品のメーカーのコスト構造においては、販促費用がかなりのウェイトを占めていますが、SONOKOでは良い素材を使わなくてはならないために、原価が占める割合が大きいです。法的な規制をクリアするのはもちろん、脳の働きを安定化させるために糖質の適度な摂取を勧め、併せて添加物や人工油脂を使わないといった、健康や美容について実証に基づく統一された考え方に沿った商品とサービスを提供してきました。個人差はあれど、顧客の悩みを解決することを重要視してきたからこそ、その後の末永いロイヤルティを築いたと推測しています。

 幼少期に口にしたものは大人になっても食べたくなるという話がありますが、やはり口にするもの、肌につけるものを通じて築いた信頼は、長い間人の心に響くものなのでしょう。

 SONOKOは単にモノを売ってきた企業ではありません。「この一式を食べていれば安心です」というメニュー・献立を主に売り続けることで、収益を安定化させてきました。現在でいえばサブスクリプションによる事業展開をいち早く行っていたということになるでしょう。

 ただ押し付けて売るわけではなく、経験豊富なスタッフがじっくりと相談に乗り、利用者にきちんとした効果を提供してきたことが、顧客の継続利用につながってきました。当時の時代背景もあって医学的なエビデンスは多くは残っていませんが、摂食障害の悩みが解消され、今でもその感謝の想いとともに店舗を訪れてくださる人はたくさんいらっしゃいます。

 その精神は受け継がれ、本人が亡くなった後も厳しい品質管理を行い続けています。少しでも手を抜くと、社員よりも顧客のほうが利用歴が長いこともあるので、すぐに気づかれます。たとえば、ある商品を製造している工場で、釜を何年かぶりに新調しました。その後はより徹底した品質確認を行い、従来品と同一品質だとして安心して出荷しました。するとその後、「ずっと買っているけど、今回のものはいつもと少し味が変わった気がする。何か変わったのか?」という問い合わせをいただきました。

一般の消費者より数段厳しいお客様によって、高い品質管理を求められ続けています。

昭和型マネジメントの効果

 そうした実行部隊のスタッフに対しても、鈴木は(今はすっかり見かけなくなった)昭和型のマネジメントをしていました。

 健康上の悩みや摂食障害を自分では解決できなくて困っているお客様と出会うと、スタッフとして雇い、自分の家や周辺に住まわせたり、食事を振舞ったりもしていました。どんなに忙しくても振舞う食事は自分の手でつくり、朝食は相手に合わせてカスタマイズしていたりもしたそうです。また、物を粗末に扱ったり、前向きでないような言動をしたりすると烈火の如く怒る一方で、スタッフの良い部分を見いだしてそこを褒めることが非常に多かったようです。

 当時を知るスタッフからは、「社員に体に良い賄いを食べさせてあげていたからか、仕事の効率が上がっていった」「どんなに忙しくても、残業が多くても、トップの気配りがあったために離職者はいなかった」といった、経営者が聞けば身の引き締まるようなエピソードが言い伝えられてきています。

 育ってほしいと期待する社員への指導はとても厳しかったそうです。ゴミ箱のチェックは欠かさず、そこから無駄遣いの形跡を発見したら、小さいことでもきちんと注意をしていたそうです。仕事の上での厳しい態度も、普段のちょっとした優しさなどを通じて感じられる信頼関係があり、期待の裏返しであることを相互にわかったうえでのことだったので、それによって何か問題が起こることもありませんでした。

 そして、鈴木自身が社員の誰よりもハードワークをこなしていたそうです。自分自身のどこかで死期を感じていたのかもしれませんが、亡くなる直前になってもまったくペースを緩めることもなかったそうです。その背中を見ていた社員は、自然と背筋を正していったとのことです。

 そうして残された社員は、鈴木が亡くなった後でも、「勉強させてもらった」「良い経験をさせてもらった」などと深い思い出や感謝の念が残っているので、尊敬とはまた一段違った畏敬の念を鈴木に抱いています。その想いはお客様にも伝えられ、脈々とエネルギーは引き継がれています。

 もちろん、時間とともにそうした感情は少しずつ薄れてはいきますが、鈴木の考えた理論の骨子は、かつてミリオンセラーにもなった書籍『やせたい人は食べなさい』(祥伝社)ほか多数残っています。それを読めば記憶が蘇ってきますし、何かの拍子に出会い鈴木の考え方に共感する人もいらっしゃいます。摂食障害を扱っている病院が多くないという背景もあり、藁にもすがる思いで鈴木の書籍を読んで実践する人もいらっしゃいます。

 鈴木がどこまで事前に考えていたのか、今では本人に確認しようもありませんが、企業戦略として見たときには、カリスマ的な個性だけでなく、人の心に深く刺さる人材マネジメントに加えて、自社の得意分野や競争環境を踏まえた事業ポジションを取っていたことが、奇跡の永続性を生み出したと言えます。日本経済も少しずつ変化していき、起業も盛んになり、経営者はたくさん生まれ続けていますが、参考のひとつとなれれば幸いです。

(文=出口知史/企業経営者)

●出口知史(でぐち・さとし)

ぬいぐるみの進化版でもあり、小学生に大人気のスクイーズのトップブランドであるiBloom(アイブルーム)を販売する、株式会社Nicori社長。東京大学大学院工学系研究科修了後、コーポレイトディレクション、ダイヤモンド社を経て、産業再生機構など3社の投資ファンドにおいて、投資先企業の経営者として複数の会社を連続で再生・成長へと導く。前・SONOKO代表取締役社長。著書に『困った人の説得術』(日本経済新聞出版社)、『論理思考の「壁』を破る』(ファーストプレス)、『東大生が実際に学んでいる戦略思考の授業』(徳間書店)などがある。

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