1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の災害支援で、異例の行動を取った支援国がある。モンゴル政府が緊急支援物資としてカシミヤ製の毛布2000組と手袋500枚をモンゴル航空で届けたのだが、機体から物資を降ろして、そのまま離陸した。

着陸から離陸まではわずか90分――。

 空港には、支援物資を搬送し終えた各国の飛行機が待機していた。県知事から直接お礼の言葉を受け取らないと帰国できないのが、外交上の慣わしだったのだ。ところが、駐モンゴル日本大使館参事官・城所卓雄氏が、モンゴル外務省に空港の状況を伝えたところ、機内にモンゴル副首相やアジア局長が同乗していたにもかかわらず、モンゴル航空機はお礼を受けずに飛び立った。

「そこまで我々の気持ちをわかってくれていた。東日本大震災のときも義捐金100万ドルと緊急支援物資、さらにモンゴルとして海外に派遣する緊急援助隊の第一号を派遣してくれた」(城所氏)

 城所氏は2009~11年に駐モンゴル特命全権大使を務め、退官後はモンゴル国立大学学長顧問、モンゴル文化教養大学客員教授、名古屋大学特任教授、東京大学非常勤講師などを歴任。18年1月には代表幹事として民間交流団体「日本モンゴル懇話会」の発足にかかわった。

 これまでに日本モンゴル懇話会は、経済ミッション団を数回モンゴルに派遣してきたが、カシミヤ製品の輸入プロジェクトとして、さる9月5日、東京・渋谷の駐日モンゴル大使館で説明会を開いた。モンゴルの総合商社「HOKUTO SHICHUSEI」(ウランバートル市)代表のエンフジャルガル・エンフーシ氏のほか、大使館関係者やアパレル業界関係者など約50名が出席した。

 説明会の席で、駐日モンゴル大使館のスフバータル・ボロルチメグ公使参事官(写真)は、流暢な日本語でモンゴルが親日国であると説明した。

「モンゴルと日本が、人々が寄り添って兄弟同様、親戚同様の関係が築かれていることに感謝している。モンゴル国内の世論調査結果でも、もっとも信頼感と親しみを持つ国のトップは長年日本である。

モンゴルは中国とロシアの間にあり、両国と戦略的パートナーシップを結んでいるが、国境が接していない“第三の隣国”として真っ先に戦略的パートナーシップを結んでくれたのが日本だ。今年はモンゴルとの日本の文化交流取極が締結されて45周年目に当たる。ぜひモンゴルのカシミヤ製品を通して、日本との友情が深まることを期待したい」

 城所氏によると、モンゴルのカシミヤ製品は世界のカシミヤ製品市場の60%を占めている。これだけのカシミヤ大国に導いたのは、ほかならぬ城所氏である。やや長くなるが、のちに「ミスターカシミヤ」の異名を冠される城所氏とモンゴル産カシミヤの足跡を振り返っておきたい。

無償資金協力

 城所氏は1971年に外務省に入省する。パリやロンドン、ローマに出張した折にカシミヤ製品を手に取ると、どこでも「Made in Mongolia」だった。この体験がほどなく開花した。

 73年に駐モンゴル日本大使館が開設され、城所氏は三等書記官として赴任。日本とモンゴルの文化交流取極を起草し、74年に締結した。この年、モンゴル外務省から大使館に経済協力の要請が入り、協力候補案件に「カシミヤの洗毛」が含まれていた。

 上司から「好きな案件を選べ」と指示された城所氏は、ヨーロッパ各国で「Made in Mongolia」を見た経験を話したうえで「モンゴルの経済発展のためにはカシミヤだ」と判断し、カシミヤの洗毛を経済協力案件の第一号に選んだ。

その後、調査を経て経済協力協定を締結したのは77年。50億円(当時)の予算が組まれ、無償資金協力「ゴビ・カシミヤ工場建設」が実行された。城所氏は回想する。

「当初、日本側の考えは借款だった。資金を貸し付けたかったのだが、当時のモンゴル大使は道理のわかっている方で、大蔵省に行って『モンゴルはこれから国を動かすのだから、借款ではなく無償資金協力をすべきだ』と主張して、カシミヤの洗毛案件は無償資金協力に決定した」

 この決定がモンゴルにカシミヤ産業を創出し、対モンゴルODA(政府開発援助)の嚆矢にもなった。

「文化交流取極を通じて大学院生の交流が始まり、80年にカシミヤ要員として信州大学繊維学部に留学した第一号の学生は、のちに駐日大使になった。カシミヤ要員の何人かは帰国後に日本に詳しいという理由で外務省や経済産業省に引き抜かれたが、日本製の機械などが紹介される流れができた。協力内容も洗毛から製糸へと付加価値を高めていった」

 モンゴルは90年に民主化し、市場経済がスタートする。92年、モンゴル政府の経済会議に出席した城所氏は、出席メンバーの前で讃えられた。モンゴル政府幹部が会議の席でこう発言したのだ。

「城所さんがカシミヤ案件を拾ってくれたのだ。その後、カシミヤ製品はロシアや東欧に輸出されるようになったが、支払いが振替ルーブル(帳簿上の現金)なので現金はモンゴルに入ってこない。

イギリスやフランスへの輸出が本格的に始まって、モンゴルに外貨が入ってくるようになった。それを導いてくれたのが、ここにいる城所さんである」

 政府幹部は15年前の出来事を覚えていた。それだけカシミヤ工場建設への無償資金協力は、経済発展に寄与したのである。

日本のモンゴルの交流、さらに深化

「HOKUTO SHICHUSEI」が取り扱うのは、モンゴルのカシミヤメーカーで上位10社にランクされるSORの製品である。エンフーシ氏は「モンゴルのカシミヤは原毛が細く、最高級の品質である。世界の著名なファッションブランドには、モンゴル産カシミヤを使用している例がある」と語る。

 日本モンゴル懇話会は、日本人の体型にマッチするようにSOR製品をオーダーメイドで販売する方針を固めている。販路として着目しているのは全国のアパレルショップで、富裕層を中心に顧客を囲い込む戦略アイテムに想定している。

 このプロジェクトについて、経団連民間外交推進協会モンゴル委員長を務めた伊藤直彦氏(JR貨物名誉顧問)はどう見ているのだろうか。伊藤氏はモンゴル委員長時代、モンゴルに6回訪問した。「毎回必ずカシミヤ製品を女房や友人へのおみやげに買ってきたが、すごく喜ばれた」と振り返るが、肝心の経済交流については、必ずしも満足できなかったようだ。

「モンゴル側から、いつも言われていたのは『日本はお互いにがんばりしょう、できることをやりましょうと言うが、何も出てこない』ということだ。

今回のプロジェクトは具体的に事業を進める内容で、モンゴル政府にもすごく喜ばれると思う。長い間民間経済交流を進めてきた者として、カシミヤ製品のオーダーメイド販売という具体的な事業が実行されることに、個人的にも感謝している」

 日本モンゴル懇話会は、モンゴルでの植物工場建設・電気工事・牧畜飼料生産、フィギュア製品輸出、真珠・宝石の輸出、養蜂・蜂蜜輸入、さらに大学生・大学院生の留学斡旋、特定技能人材の受け入れなどにも取り組むという。

(文=小野貴史/経済ジャーナリスト)

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