11月25日、厚生労働省が雇用保険の保険料を引き上げる方針を固めたと、全国紙が一斉に報じた。コロナ禍によって、休業手当を助成する雇用調整助成金(雇調金)の支給額が急増。
ところが、この保険料引き上げ観測が報じられた裏で、国民からの反発を抑えるための“世論工作”を疑われるような巧妙な動きがあったことがわかった。
雇用保険制度は破綻の危機に瀕してなどいなかった。暫定措置として下げられていたものを元に戻すことが、いつのまにか「財政が極度に厳しい」→「給付カットもやむをえない」という論調にすりかえられつつあるのだ。
今回の雇用保険料引き上げの件で、あらためて浮き彫りになったのは、雇用保険制度のセーフティーネット機能に大きな穴があいたままであることだ。コロナ禍で、飲食やサービス業に携わる多くの人が大幅減収を余儀なくされ、生活基盤を危うくした。それにもかかわらず、激増したのは休業手当のための雇調金だけで、失業給付の支給はほとんど増えていないのだ。
先に自称元官僚のツイートで、あたかも2008年のリーマンショック時にも積立金が枯渇しつつあったかのようなコメントがあったが、現実にはリーマンショック時でも、積立金は枯渇するどころか増え続けていた。その直前に酷い給付カットが行われていたからだ。
コロナ禍においても、同じような現象が起きていた。困窮状態に陥った人は激増したはずなのに、なぜか雇用保険の失業給付をもらえる人はあまり増えてないのである。
下のグラフの失業給付の受給者数(青線)を見ると、2021年は59万人(矢印部分)である。
コロナ禍によって営業自粛を余儀なくされた飲食・サービス業に従事する多くの人は、閉店や休業しても、すぐ解雇されるわけではない。いわゆる「シフト勤務」のため、シフトに入れる日が激減したとしても、自分から辞めると自己都合になり、過去2年間に12カ月以上加入していないと受給できない(会社都合なら過去1年間に半年以上加入で受給可能)。
その12カ月には、11日以上または80時間以上勤務した月しか算入できないため、シフトが減らされると、何カ月勤務しても受給要件を満たせない状態が続きかねない。また、自己都合退職になると、受給できたとしても2カ月の給付制限も課せられる。
一方で、雇調金にしても、原則として事業主経由で申請しないといけないため、休業手当がもらえないケースが続出。当初は支給上限額も低かった。随時改善はされていったものの、事業主と交渉もせずに諦めた人が多かったと伝えられている。
小規模の事業主は、休業に伴って支給された協力金によって、なんとか生き延びられたとしても、その恩恵は雇用されている人たちまでは、なかなか回らなかった。
その意味では、シフト勤務という、雇用契約で勤務日数を明示しない慣習が雇用保険のボトルネックとなっており、失業者として雇用保険から失業給付を受けられないまま困窮=セーフティーネットの網の目からこぼれ落ちる人が激増している実態が、コロナ禍で浮き彫りになったといえる。
恐ろしいのは、その実態が失業率や失業者数等の数値に、ほとんど出てこないことだ。
給付を必要以上にカットしたため、2008年のリーマンショック直後に、大量の雇用保険を受給できない層が輩出された時と似たようなことが、今回のコロナ禍でも起きている。
下の表は、2015年の雇用保険財政で、過去最高の6兆円を超える積立金が貯まった後に実施された法改正の一覧である。
リーマンショック時に施行された緊急対策を2017年に再々延長し、失業手当の給付日を30~45歳・会社都合のみ引き上げたこと、最低賃金を下回った支給下限額を修正したことなど数件(ピンク色部分)を除けば、教育訓練給付の給付率引き上げ、再就職手当の給付率引き上げ、育児休業給付の改定など、いずれも失業して困窮している層ではなく、どちらかといえば恵まれた層に対する給付を手厚くする施策(空色部分)ばかりだった。
リーマンショック直後に導入された非正規労働者に対する優遇などの暫定措置を一部廃止(灰色部分)したり、保険料を引き下げたりといった負担軽減(黄色部分)は、かなり積極的に行われた一方で、失業給付の部分は2001年以降、財政破綻危機を乗り切るために次々とカット(または支給要件厳格化)されたままである。
本来、危機を乗り切って雇用情勢が回復すれば、カットしていた給付を元に戻すべきだったが、それを行わず、ひたすら周辺部分の給付を増やし、保険料&財政負担を減らし続けて、積立金激増への批判をかわしてきたように見える。結果、失業して困窮した者への給付はほとんど増やさず、比較的恵まれた層へのみ手厚くするというチクハグな対応が、この数年続いた。
一例を挙げると、育児休業給付。失業給付にかかわる保険料が暫定措置によって0.2%まで下げられた。一方で2020年度からは、育児休業給付の勘定を別立てとすることになり、こちらの保険料がその2倍の0.4%である。
ということは、労使折半で負担している雇用保険は、失業保険の機能よりも、夫婦揃って働いている人のための育児休業給付保険の機能に2倍の保険料が充てられていることになる。
もちろん、育児休業に対する支援が急務なことは論をまたないが、積立金が激増した雇用保険だけにその負担を押し付けて、失業給付の機能が貧弱なまま人気取り政策に邁進してきた政治的な圧力があったのではないかと思わざるを得ない。
長年の給付カットによって雇用保険のサイフ(積立金)がパンパンに膨れ上がり、その使途に困ったあげく闇雲に保険料を下げ、周辺部分のみ大判振る舞いしたツケが回ってきたとしか思えない。
もう一点忘れてはならないのは、今回の積立金が枯渇寸前まで陥った原因となったのが、激増した雇調金だったことである。
それにもかかわらず、雇調金に充てる、企業のみが負担する雇用二事業の保険料率は0.3%から0.35%と0.05ポイントしか引き上げを予定していない。労使折半で負担する失業給付にかかわる保険料率を、0.2%から0.6%まで引き上げる厚労省案の率と比較すると、0.05ポイントという引き上げ率は、あまりにも低い。しかも、失業給付とは違って、雇用二事業への国庫負担はゼロのままだ。
保険財政が危機に陥ったとされたのは、この部分の支出が膨らんだためなのに、そちらの保険料はほとんど引き上げず、それどころか引き下げの弾力条項を整備してきた。それなのに、コロナ禍でもあまり増えなかった失業給付の部分のみにしわ寄せがいくのも、なかなか納得しづらいところである。
厚労省では、年内に出される審議会の答申結果を踏まえて、年明けには保険料引き上げを盛り込んだ措置を早急に取る予定だという。
“財政危機”を必要以上に煽るニュースは、巧妙な世論工作が隠されているのではないのかとの疑いを持って、くれぐれも注意して読んでいただきたい。
(文=日向咲嗣/ジャーナリスト)