化粧品メーカーの業績が出そろった。上位5社それぞれのビューティケア事業を抜き出した売上高と前年比は次の通りだ。
(1)資生堂(2015年3月期) 7777億円(+2.1%)
(2)花王(14年12月期) 5899億円(+3.4%)
(3)コーセー(15年3月期) 2060億円(+9.3%)
(4)ポーラ・オルビスホールディングス(14年12月期) 1844億円(+3.4%)
(5)マンダム(15年3月期) 709億円(+4.0%)
各社いずれも売り上げを伸ばした。上位5社のランキングは前年と変わりはない。5社の中で資生堂と花王が他社より抜きんでており、マンダムは他4社より一桁少ない。
興味が持たれたのは、売り上げが接近しているポーラとコーセーのデッドヒートの帰趨だった。5社の中でコーセーが一番売り上げを伸ばし、3位の座を安泰にしたようだ。
しかし、実はコーセーの躍進は、13年7月に勃発したカネボウ化粧品白斑事件の余得という要素が大きい。あの事件によって美白化粧品の顧客は他のメーカーにシフトしたわけだが、受け皿となる商品の品揃えがコーセーには多くあり、言ってみれば漁夫の利を得たわけだ。
●訪問販売からショップ型への変革
資生堂、花王という2強を追うポーラとコーセーでのうち、今回はポーラに注目したい。というのは、同社は新社長が就任以来、着々と経営改革を果たしてきているからだ。
鈴木郷史社長は、創業者・鈴木忍氏の孫。叔父の2代目社長を継いで、00年社長に就任。当時のポーラの主要な業態は訪問販売、いわゆる「ポーラ・レディ」と呼ばれる外販員が担っていた。
鈴木社長は就任間もない02年に「新創業宣言」を発表した。それは「お客さま第一主義の徹底」「事業の選択と集中」「組織風土、マネジメントの変革」を標榜してグループ全体の変革を始めることを内外に示して、いわば自分の退路をも断ったのだ。
05年に「ポーラ ザ ビューティ」を主導し、販売方法を訪販からサロンでのエステを含むショップ型へと舵を切った。ポーラ単体の国内売り上げは、01年度に745億円(業界シェア6位)あったものが、10年度には415億円(同12位)と落ち込むが、この業態変更により13年度には562億円(同7位)としっかり改善してきている(以上、「週刊粧業」の各年統計による)。
この選択は正解で、日本の化粧品の訪販マーケットは富士経済によれば00年に約2650億円あったのが落ち続け、10年には2000億円を切ろうというところまで下がった。ポーラが危ういところで難を逃れた戦略的判断となった。
「凡庸な訪販化粧品の1社」というイメージから脱却するために、種々の活動も繰り広げた。11年には「AAA(アンチエイジングアライアンス)宣言」をしたかと思えば、12年に国際化粧品技術者連盟世界大会でポスター発表部門最優秀賞を獲得するなどした。
●鈴木社長の巧みな人心掌握術
鈴木社長の経営改革は、マーケティングの分野にとどまらなかった。06年には持ち株会社として現社を立ち上げ、統合的で機能的なガバナンス体制を確立し、10年には東証1部上場を果たす。家業、同族的な経営体制から、大手製造会社にふさわしい体制に移行した。
持ち株会社を設立して複数の事業会社を傘下に置く体制は、化粧品の業態においては、複数ブランドの展開を容易にする。実際、現在では9つのブランドで事業ポートフォリオを組成する一方、ポーラフーズなどのノンコア事業は早々に売却している。鈴木体制になってから立ち上げたブランドの中には「THREE」(スリー)のように大成功したものもある。
複数の事業会社を立ち上げるに当たっては、従来のブランドに加えて、外部会社をM&A(合併・買収)したり、合弁を組んだり、その経営手法は柔軟かつ機動的だ。また新しいブランドや事業会社を任せる人材も、必要とあらば外部からの登用を厭わなかった。これも以前にはあまり見られなかったことだ。
新たに招請された社長の一人に話を聞いた。
「実は、私は鈴木社長と年齢はあまり変わりがなく、業界経験は私のほうが長かった」
同氏はポーラ・オルビスグループへの入社を決めた経緯について、「鈴木社長が、『金は出すが、口とヒトは出さない、思うとおりのブランドを立ち上げてくれ』と言ってくれたからだ」と述懐した。さらに、鈴木社長の人柄を表すエピソードを教えてくれた。
「仕事を始めてしばらくして、鈴木社長と話す機会があった。その時、社長は私に『あの時、面接されていたのは自分のほうだった』と言ってくれた」
採用してくれた上司にこんなことを言われては、部下としては感激奮起するしかない。鈴木社長とはまことに「部下たらし」に長けた、優れたリーダーだと驚かされた。
ポーラが次の段階として目指しているのが、国際化なのだろう。11年には米H2O PLUSを、12年には豪Jurliqueを立て続けに買収している。
これからの5年間で、資生堂・花王という2強の牙城にどれだけ迫れるのか、けだし見ものである。鈴木時代の後半戦が始まる。
(文=山田修/経営コンサルタント、MBA経営代表取締役)