インバウンド客によるマナーの悪さがたびたび取り沙汰されている。日本有数の温泉地・大分県の湯布院ではどのように対応しているのか。
ノンフィクション作家・野地秩嘉さんの連載「一流の接待」。第7回は「湯布院の旅館『玉の湯』で働くネパール人仲居のおもてなし」――。
■由布岳は故郷に似ている
カラさんの本名はガレ・マンカラ。1997年にネパールの北部ゴルカで生まれ、20歳で日本にやってきた。今は湯布院の高級旅館「玉の湯」で仲居をやりながら、新人社員の教育係もやっている。
彼女は福岡の日本語学校を卒業して、就職面接で湯布院にやってきた。その時、山に囲まれた湯布院の様子、故郷の山によく似た由布岳を見て、「ふるさとに似ていて心が嬉しかった」。そして、絶対にこの土地で働きたいと思ったのである。
ゴルカは首都カトマンズからバスで8時間の距離にある。山に囲まれた町で、カラさんの実家からは世界で8番目に高い「精霊の山」マナスルを眺めることができた。マナスルの標高は8163メートル。初登頂は1956年で、日本隊が登った。
壮挙は当時の記念切手になり、マニアにとって「マナスル」切手は非常に価値のあるものとされる。
カラさんはマナスルに似た標高1583メートルの由布岳を自分にとっては精霊の山だと思っている。マナスルが守ってくれたように、由布岳が自分を守ってくれているはず。だから、彼女は湯布院に暮らし、旅館のサービス、新人教育に打ち込んでいる。
■湯布院は「インバウンド客だらけ」ではない
彼女が勤めている玉の湯の社長、桑野和泉さんは「湯布院にはインバウンドのお客さまが増えている」と言っている。玉の湯は先代社長で、桑野の父、溝口薫平がドイツのバーデンヴァイラーを手本に日本型の温泉保養地を目指して湯布院を大型旅館の集積地ではない形にした。1959年、湯布院は国民保健温泉地第一号に指定された。そんな湯布院のなかでも、玉の湯は亀の井別荘、山荘無量塔と並ぶ一流の温泉旅館として知られる。さて、社長の桑野さんの話だ。
「今、人口1万人の湯布院に宿泊、日帰りを合わせた観光客が430万人いらっしゃいます。うち外国から来た方が145万人。ただ、旅館によって、インバウンドのお客さまの比率は違っています。
玉の湯は全体の5%くらいですが、他の旅館では、7~8割といったところもあって、非常に差があるんです。
湯布院にいらっしゃるのは韓国、台湾の方が多い。ソウルから東京までの飛行機の時間が2時間半としたら、ソウルと福岡は1時間半です。福岡から湯布院が1時間ちょっとだから、とても近い。インバウンドの方が多いこともあり、湯布院で働く海外の人も増えました。うちもカラさんで3人目です。最初はベトナム人の男性で、APU(立命館アジア太平洋大学)の学生でした。大分にはAPUがあるから海外の学生が大勢います。そのうちのひとりがうちで働いてくれたんです。そうそうカラさんのいいところと言えば……」
桑野さんは「それは、相手がお客さまでも誰でもわからないことを質問することなんです」と言った。
■かつて質問する仲居さんは、サービスの達人だった
確かに、質問する仲居さんはあまり聞いたことがない。何度も旅館に泊まったが、仲居さんから質問された経験はない。
そもそも旅館に泊まって、仲居さんと親身に会話するだろうか。
じっくり考えて、「そういえばひとりいた」と思い出した。それは昭和から平成に変わった頃のことだ。熱海にあった高級旅館「蓬莱」の仲居、千津(ちづ)さんはよくしゃべる人だし、話しかけてくる人だった。わたしが会った時、すでに70歳を超えていた。夏目漱石の「坊っちゃん」に出てくる女中の清(きよ)みたいな感じの優しい人だった。そして、ずっと話しかけてきた。
千津さんは「いらっしゃいませ」と言った後、初対面にもかかわらず、「近頃、お仕事のほうはどうですか?」と聞いてきた。初めて会った仲居さんに「お仕事はどうですか?」と質問されたのは初めてだったので、「まあまあです」と答えた。たぶん、千津さんはわたしが何の仕事をしているかは知らずに、いつもと同じように、何の気もなく話しかけただけだった。その後も小さな子どもにやるように浴衣を着せてくれ、部屋食の夕食では、ビールを注いでくれたり、ご飯をよそってくれた。
食事の後、「熱海の町のおかまバーに行く」と告げたら、じゃあ、タクシー呼びますねと言った後、わたしが手に持っていた携帯(スマホではない)を見た。
そして、「ちょっと待ってください」と言った後、浴衣を脱がせ、半裸でいるわたしに目もくれず、浴衣の内側に携帯を入れるポケットを縫い付けた。あっという間の出来事だった。蓬莱の千津さんは質問する仲居でかつサービスの達人だった。
では、果たしてネパール人のカラさんは千津さんと比すべき達人なのだろうか。
■来日した理由は「厳しい礼儀」を知るため
ゴルカで生まれたカラさんの父親はかつてインドで警察官をしていたが、身体を壊してネパールに戻ってきた。母親が働き、カラさんと3人の兄弟姉妹を養ったのである。中学の時、地理の教科書を読んだら、そこに「世界の中でいちばん礼儀、マナーについて厳しい国は日本です」と書いてあった。カラさんは、がぜん、日本に興味を抱いた。
「礼儀、マナーが厳しい」とはどういうことなのだろう……。彼女は気になって仕方がなかった。彼女の姉は日本で働いたことがあった。その友人もいた。
そこで、尋ねてみた。
「礼儀、マナーが厳しいって、どういうことですか?」
姉もその友達も質問には答えず、「日本に行って自分で考えなさい」と言った。
それで、彼女は日本に留学すると決めた。日本に行くまで、彼女はネパールの公立マンモハン・メモリアル・カレッジに通った。勉強の傍(かたわ)ら、姉が運営していた保育園で保育士のアルバイトをしていたのである。
カラさんは「ちっちゃな子を抱いているのが好きです」と言った。
「私のお姉さんは保育園を持っています。私は資格を持たないので、ちっちゃな子を世話するだけです。教えたりすることはできません。ただ、抱いて、遊ぶだけ」
■旅館にいるのに「温泉に入れない」
20歳になり、成人した彼女は日本行きを決める。日本の大学に入ろうと思ったが、その前にまず日本語を学ぶことが必要と思い、福岡の日本語学校に入学した。
何も怖れていたことはなかった。
周りには日本へ行ったことがある人が大勢いたし、誰ひとりとして「いじめられた」「差別された」と言った人はいなかった。
そして、来日。「日本人はやさしかったし、差別もいじめもなかった」
ただ、とても恥ずかしい目に遭った。「温泉は恥ずかしいです。ネパールはシャワーが多いんです。カトマンズのような都会には、お風呂のある家はあるかもしれませんが、田舎はシャワーがほとんどです。肌を見せるのはスイミングプールだけです。でも、日本には温泉があります。裸になってみんなと一緒にお風呂に入るなんて恥ずかしくてダメです。死にそうです。今でも玉の湯の温泉には入りません。そしたら、青森には男と女が一緒に入る混浴もあると聞いて、そんなことがあったらたまらないと思いました」
■とんこつラーメンが大好き
カラさんが日本に来たのは2018年。20歳だった。福岡の日本語学校を選んだのは東京のような都会よりも、地方のほうが自分に合うと思ったからだ。加えて福岡は海に近い。山に暮らしていた彼女は毎日、海を見ることのできる町に暮らしてみたかった。だが、理由は他にもある。それは、とんこつラーメンだ。ネパールにもラーメンはあるが、インスタントラーメンを食べることが多い。博多とんこつラーメンは同じラーメンとは思えないほど、豊かな味のラーメンだと思った。
カラさんは「とんこつスープが大好き」と言った。
「大好きです、あのスープ。ネパールにはパニプリって食べ物があります。卓球の球みたいな丸く膨らんだ生地を少し開けて、具と汁を入れて食べます。汁はちょっと辛くて酸っぱいもので、私はパニプリととんこつラーメンが大好きです」
わたしはパニプリを食べた。カラさんの自宅を訪ねて、作ってもらったパニプリを食べた。とんこつラーメンと相似しているところはない。ピンポン玉みたいな生地のてっぺんに穴をあけ、じゃがいも、ひよこ豆といった具を入れ、スパイスウォーターを注いで食べる。日本に似たような食べ物はない。たこ焼きをくりぬいて、なかに具とスープを入れたようなものだ。
「これ、とんこつスープを入れたらどうですか?」
カラさんに言ったら、顔をしかめた。
「ダメです。パニプリはパニプリです」
それはそうだ。
■桑野代表が「できる」と確信したカラさんの質問
日本語学校には1年半、通った。日本で就職を探したが、折あしく、ちょうどコロナ禍の頃だったのである。
彼女は言う。
「働こうと思ったのが2022年だったので、苦労しました。黒川温泉の旅館、沖縄のビジネスホテルとか、いろんなところで面接は受けてみたんだけど、内定が全然もらえずに落ち込んでたんです。
ダメだと思いながら、『どうしようかな』と迷っていたら、日本語学校の先生方が心配してくれて。ちょうど玉の湯が人を探していて、それで面接を受けました。出てきたのが(桑野)和泉さんで、すごくやさしくて。それまで一度も温泉旅館に泊まったことはなかったんです。温泉は怖かったし、どうしようかと思いましたが、採用してくれました。和泉さんが『あなたはできるわ』って。温泉は入らなくてもいいわよって言ってくれました」
社長の桑野さんはなぜ、カラさんに「できるわよ」って言ったのか。
桑野さんは「カラさん、最初からよく質問する人でした」と言った。
■ホテルのサービス係よりも仕事の範囲が広い
「仲居という仕事はホテルのフロントともベルボーイとも違います。ホテルのサービス係は部屋の中に入ってきません。かりに、入ってきたにせよ、ホテルの案内のペーパーを渡すくらいです。
でも、仲居の役割は違います。部屋のなかを案内して、活けてある花について話します。うちでは庭の花を活けていますから、そういう話もしなくてはいけない。部屋に入った時のお客さまの背丈を見て、浴衣のサイズをご案内しなければいけません。食事の時間もお客さま次第ですから、お客さまのご都合を聞かなくてはなりません。近所に散歩に行きたいとおっしゃればご案内もします。
ホテルのサービス係よりも仕事の範囲は広いのです。そして、ホテルのサービス係よりも会話をしなくてはいけません。日本旅館の仲居はサービスのすべてをやる仕事です。何事も貪欲に質問する人でなければできない仕事なんです。それと、カラさん、人見知りしないというか、お客さまと距離感を近くしてしゃべることができます。国籍は関係ありません。カラさんは仲居に向いていると思っています」
■「アンヘレスの卵」を求めて
カラさんは玉の湯が借りた近所のアパートに暮らしている。早番の日は午前6時半に起きて、従業員が着る作務衣風の制服に着替えて出勤。7時前に着いて、テーブルセットして、8時から朝食のサービスをする。旅館の朝食は泊まり客にとっては温泉にも匹敵する大きな楽しみだ。特に玉の湯にはここにしかない「アンヘレスの卵」というメニューがある。トマトソースにソーセージと卵を入れてオーブンで焼いたスペイン風のものだ。パンと一緒でもいいけれど、卵とトマトソースをご飯に載せてもおいしい。泊まり客の大半はアンヘレスを頼む。
カラさんは朝食のサービスをした後は宿泊客を見送る。そうすると昼になる。昼ご飯を食べて自宅に戻り、休憩する。午後4時半には玉の湯に戻ってきて、今度は客を迎える。部屋に案内してこの時、客に質問したり、客から質問を受けたりとカラさんのサービスの時間だ。そして、夕食の提供だ。夜の仕事は客の夕食が終わるまでで、午後9時半までの日もあれば10時を過ぎることもある。
「ここまで教育研修してくれる旅館はありません」
カラさんは言う。
「ホテルと日本旅館では接客が全然違うと思います。旅館だと庭があります。お客さまが自然を感じたり、自然のなかで自然のものを食べたりして楽しむことができます。旅館には畳があります。日本の浴衣を着て、伝統的な料理を召し上がって、お風呂に入ってゆっくりすることができます。ホテルだったら畳もないし、普通のパジャマじゃないですか。私がいちばん嬉しいのは由布岳の話をする時です。自分のふるさとと日本の伝統的な話を提供するのは大好きです。
ホテルの仕事ではお客さまとはそういうことを話す機会はありません。日本らしい話題と言えば天気の話です。
いい天気ですね、ちょっと寒くなりましたね、ちょっと暑くなりました、由布院は緑がきれいです……そういう話をお客さまにするのがいちばん好きです。そういう話をお客さまとするのは日本旅館だけです。天気の話は必ずします。
わたしはみなさんとちょっと顔が違っていますから、どこの国の人ですかと聞かれることもあります。でも、鹿児島の人ですか? 沖縄の人ですか? って聞かれる方が多いです。差別されているとも感じませんし、そんなこと一度もありません。
お客さまからは『あなた、頑張ってますね。こんな立派な旅館で。遠い国から来て、ひとりで頑張ってますね。ここで頑張ったらどこでも行けますよ。あなたがここで勉強したことはどこでも使えますよ』と言われます。それは本当にそうです。ここまで教育研修してくれる旅館はありません」
■ホテルにはない「仲居」の本当の仕事
カラさんの言う通りで、玉の湯は年に4回も接客の専門家を招いて従業員に研修を課している。それを30年間も続けている。
カラさんは「教育研修でさまざまなことを教わり、私ができました」と言っている。
「敬語、言葉遣い、料理の出し方、布団の上げ下ろしまで、何度も教えてもらいました。ふすまの開け方、日本の正座の仕方、全部です。『マジやばい』とか言っちゃいけないとも教えてもらいました。もちろん、私はそういうことは言いません。『お客さまへの声のかけ方を自分で考えてください』と言われて。私は天気の話、由布岳の話をすることにしました。天気の話から入ることにしています。今日はいい天気ですねと必ず言うことにしています」
カラさんの休みは玉の湯の休館日と週に2日の休みである。休みの日に何をするかと言えば「自然が大好きなので由布岳に登る」である。
旅館の仲居の役割は総合的な接客だ。客を受け入れて、館内を案内しながら部屋へ通す。夕食と朝食の世話をして見送る。ホテルで言えばフロント、ベルパーソン、テーブルサービス、時にソムリエまでひとりで務める。客と接する時間が長く、さまざまな素養を求められる。全国の旅館で働く仲居さんたちは苦労している風もなく就業しているけれど、実はひとりで4人分の接客をしているのである。そして、苦もなくサービスしたうえで、その人なりの工夫を求められる。
■外国人仲居だからできることとは
カラさんの場合は質問すること、とにかくしゃべること。考えてみれば生まれ育った国ではないところで働いているわけだから、さまざまな質問が湧いてくるに違いない。ネパール人であっても、仲居の仕事に不利はない。加えて、この頃のようにインバウンド客が増えてきていると、英語に堪能なカラさんはコミュニケートできる。外国生まれで日本語ができるカラさんは日本旅館にとっては大きな戦力になる。
玉の湯社長の桑野さんもそこに気づいたのだろう。カラさんは2025年から新人の教育係として、接客を教えるようになった。
桑野さんは「今年は3人の新人が入りました。カラちゃんはその先生なんですよ」と言った。
「大学卒が2人ともうひとりは63歳。役人をやっていて、定年になったのですが『玉の湯の接客を勉強したい』と入ってきました。カラちゃんは3人に日本旅館のおもてなしを教える教育係です。
若い人たちは生まれた時から飲み水といえばペットボトルしか知らない世代です。打ち水をすることの意味もわからない。カラちゃんは自分が打ち水を知らなかったから、知らない若い人たちに教えるのが上手です。カラちゃんは自分がどうやって『打ち水』を理解したかという本質を教えることができます。日本旅館の文化を教える教師としては彼女は最適です。
■日本の旅館の文化と伝統をリスペクトしている
日本旅館の料理にしても、今の若い人は全部一緒にパッケージで出してしまえばいいと思いがちです。どうして順番に出すのか、と。しかし、泊まる方たちは温かいものは温かく、冷たいものは冷たくして、ひとつひとつ食べていくことが日本旅館の料理の食べ方だとわかっていらっしゃいます。温泉に入って、ゆっくりして順番に出てくる料理を食べることが旅館の楽しみと知っているから泊まりに来るのです。カラちゃんは日本旅館の文化と伝統をリスペクトして、お客さまの気持ちをよくわかっています。ですから、教えるのに向いているのです」
カラさん本人は教育係になって、仕事が楽しくなったと言っている。教育するにはよりいっそう勉強しなくてはならない。勉強が好きな彼女にとっては教育係はいい仕事ということになる。
カラさんは「親しくなったお客さまが、いっぱいいます」と目を輝かせる。
「静岡から年に8泊される方がいらっしゃいます。ご夫婦(ご夫妻)で4泊ずつ年に二度、いらっしゃいます。仲がいいご夫婦で、ご夫婦からはカラちゃんと呼ばれます。それと私は、おじいちゃんおばあちゃんとか、お子さまが本当に大好きなのです。保育園で子どもの世話をしていたから子どもが好きです。お客さまのなかに男の子で4歳のヒロマサ君というお子さまがいて、すっごい仲がいいんです。普通に私と喋っています。
『ごちそうさまでした。ありがとうございます』って、言ってくれます」
■サービスとは「日本の当たり前」をやること
「ネパールで高校生の時、日本は世界でいちばん厳しい礼儀、マナーの国と教わりました。日本では時間が本当に、パンクチュアルで厳しいです。これがネパールだったら、とても自由です。
たとえば、私の仕事は8時出勤です。でも、日本だったら10分前とか15分前に行く。ネパールは違う。10時だったら10時に来ます。10分遅くなることもあります。朝来たら、みんながおはようございますと言います。日本が世界でいちばん厳しい国というのは日本に住んでみないとわかりません。日本の人が当たり前と思っていることはネパールでは当たり前ではありません。私が教育係として教えていることは日本の当たり前です。日本の当たり前をやることが温泉旅館のサービスだと教えています」
カラさん、よくわかっているなという人だ。わたしたちは「日本の当たり前」をなかなか外国人に教えない。だから、日本に来て電車のなかで大声でしゃべったり、新幹線の自由席に荷物を置いたままにするインバウンド客が出てくる。だが、彼らはそれが自分の国では「当たり前」だからやっている。悪いことをしたとは思っていない。わたしたちがインバウンド客のみなさんに伝えることは、「日本の当たり前とは何なのか」だ。
■「マナーが悪い」とばかり言っても改善はない
日本人は日本の当たり前のなかで暮らしているから、当たり前が守られないと不快になる。インバウンド客と日本人の軋轢はここにある。
ではどうするのか。
日本の観光地の美しさ、食事のおいしさばかりを知らせるのではなく、「日本の当たり前」を知らせることだ。そしてスポークスパーソンとして最適なのがカラさんだろう。若い日本人に日本の当たり前を教えている彼女には外国人にも「日本の当たり前」を伝えてもらう。「インバウンド客のマナーが悪い」と何百回、言っても改善はない。
「伝えることの大切さ」をもっともっと研ぎ澄ませなくてはいけない。
全国の観光地は真剣に考えるべきだ。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。ビジネスインサイダーにて「一生に一度は見たい東京美術案内」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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