■「広陵野球部」「日大アメフト部」…体育会的人材の利点・欠点
暴力事件がネットで大炎上し、ハレの夏の甲子園を途中辞退した広島の広陵高校野球部。秋の新チーム体制がすでに始動しているが、いまだ厳しい視線が注がれている。
今年1月に野球部の上級生が寮内で1年生部員に対して頬を叩いたり、胸ぐらを掴んだりするなどの集団暴行に加えて、別の暴力案件があったことで高野連の対応もあいまって批判が高まり、甲子園1回戦で勝利したにもかかわらず、2回戦を前に出場辞退に追い込まれた。
先輩から後輩への暴力は論外だが、どうにも呆れてしまうのは、そのきっかけが「寮で禁止されているカップ麵を食べていたので懲罰で暴行があった」と言われていることだ。
また、スマホの持ち込みが禁じられていた頃は公衆電話を使っていたが、「下級生は上級生が後ろに並んでいると電話を切り上げる暗黙のルールがあった」とも報じられている。上級生が絶対的権力を持つ同校野球部の体質をうかがいしることができる。
何があっても上級生には逆らうことが許されない――。そんな上下関係の厳しいルールの存在は、昭和の体育会系の特徴だが、令和の時代も続いていたことには驚くほかはない。
筆者が思い出したのは2018年に悪質タックル問題で世間を騒がせた日本大学アメリカンフットボール部の体質だ。当時、アメフト部について、監督・コーチが黒だと言えば、たとえ白でも黒と言わなければいけないという絶対服従の関係にあったことも報道された。
そのなかで気になったのが「日大アメフト部出身者は一流企業に就職している人が多い」との関連報道だった。
「不条理な世界を経験しているからだ。体育会に入ると、上級生の命令は絶対。たとえ間違っていても耐えながら従うしかない。その世界を生き抜いてきた学生は不条理だらけの会社人としての耐性を備えているからだ」
つまり、肉体的・精神的タフさ、打たれ強さ、忍耐力があり、上下関係や組織の規律に忠実な人材として体育会系の学生を評価していたのだろう。
また、こういう評価もあった。
「勝ち抜く力、自分を高めようとする力がある。彼ら彼女らは勝ちパターンを知っている。もちろんいろんな失敗も経験しているが、その中から勝つためにはどうすればよいのかを工夫し、努力して勝利を掴んだ経験もある。そうした成功パターンはビジネスにも通じる」(流通業の人事担当者)
組織の規律に忠実な人材、勝ち抜く力があると見なされる体育会出身者は、「就社」という言葉に象徴されるように会社への帰属意識や一体感を重視する親密な集団主義の風土とも合致する。そうした企業の体質と体育会は親和性があり、採用でも“買い”だったのだろう。
しかし、そんな体育会も今では変質しつつある。
■今夏の甲子園優勝した沖縄尚学の監督の気づき
今夏の甲子園で初優勝を果たした沖縄尚学高校の野球部について、『朝日新聞』8月24日付朝刊は「選手たちは『自分たちの代から特に上下関係がなくなってきた』と口をそろえる。卒業生でもある比嘉公也監督(44)は自身の高校時代と比較し、『いまと真逆ですよ』と笑う」と報じている。
また、比嘉監督も沖縄県内の指導者講習会で、「企業が求めているのはコミュニケーション、主体性、協調性に優れる人材という話を聞き、教え方を見直した」(同)そうだ。練習メニューを部員たちに考えさせるようになったという。
つまり、従来の絶対的な上下関係がなくなり、個人の主体性を重視した体育会運営に変わったということだ。
こうした変化の一方で、企業が求める人材像も変わりつつある。
1つは入社前から専門性を求めるようになっていることだ。ジョブ型雇用に象徴されるように学生時代に学習したことや経験に基づいた職種別採用を行う企業が徐々に増えている。
従来の新卒採用では専門性を求めないポテンシャル(潜在能力)を重視した採用が主流だった。まさに先ほど述べた体育会系的能力もポテンシャルの重要な基準とされていたが、そうではなくなりつつある。
その典型例は富士通だ。
近年は企業の体育会離れも進んでいる。たとえば大手不動産業では有名大学の野球部から毎年一定数を採用していたが、数年前にやめてしまった。その理由について同大野球部OBはこう語る。
「不動産営業そのものが物件情報のデジタル化やオンライン内見をはじめデジタルやAIを活用した査定や顧客ニーズの分析が求められるようになり、ITエンジニアの採用に力を入れているらしい。また海外での取引も増えており、英語力も必要になる。要するに体力や馬力だけの体育会系学生を優遇する余裕はないということだろう」
■体育会系人材の前に突如現れた強力すぎるライバル
もう1つの変化は企業が人材育成を含めて人材マネジメントのあり方を見直していることだ。個々の社員の持つ能力を引き出し、パフォーマンスを最大化するために、一人ひとりの社員が主体的に行動し、活躍できる組織の醸成に力を入れている。
AIやデジタル技術の進化で、今では社員の持つスキル、経験や人事評価などの人事情報をデータベース化し、個々の能力が“見える化”されるようになり、社員が自律的にキャリアを形成できるように個人に寄り添った支援が重視されている。
従来のように上が指示した仕事を一糸乱れることなく忠実にこなす集団主義の風土からの脱却だ。
その意味では、上の命令を絶対視し、上下関係や組織の規律に忠実な体育会的風土とも真逆である。もちろん年功序列も関係なければ、理不尽な要求にも我慢して働き続ける忍耐力も重要視されない。
管理職の仕事も従来の命令型から部下のやる気を引き出す支援型に変わりつつあり、それこそプロスポーツ選手の個人コーチのような役割が求められている。そのためにコミュニケーション力などマネジメント手法を学ぶ外部研修に管理職を派遣している企業も増えている。
なぜ会社はそこまでやるのか。IT企業の人事担当者はこう指摘する。
「将来の予測が困難で先行き不透明な時代といわれるが、まさにAIやデジタル化の進展などでどんなビジネスが成長するのか不透明になっている。そんな時代に今までの上意下達の文化や、会社に言われたことだけを真面目に忠実にこなす社員だけではビジネスのアイデアも生まれない。ビジネスモデルの転換や会社の次の成長のカギを握るイノベーションを創出していくには、個々の社員の持つ能力を最大限に活かしていく必要があるからだ」
何も文句を言わずに、こちらの命令に即時に従うというなら、秒で回答してくれる生成系AIのほうがよほど有能かもしれない。
こうした企業側の人材に対する価値観の変化は従来の体育会系的な価値観とは隔たりが大きくなっている。ルールは絶対だと言わんばかりに、カップ麺を食べたからと暴力を振るうような人物はもう社会ではお呼びではない。
いずれ「体育会系は就職に有利」という言葉は神話になるかもしれない。もちろん前述したように体育会系のスポーツも上下関係もなく個人の主体性を重視した練習方法に転換するところもある。ただし、勉強もそっちのけで「スポーツ一筋」のキャリアではつぶしが利かなくなりつつあるのは確かなようだ。
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溝上 憲文(みぞうえ・のりふみ)
人事ジャーナリスト
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て、独立。経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。著書に『人事部はここを見ている!』など。
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(人事ジャーナリスト 溝上 憲文)