7月11日、任天堂の岩田聡社長が胆管腫瘍で亡くなった。55歳だった。

岩田氏はそのわずか半月前の6月26日、京都市南区の本社開発棟で開いた定時株主総会に姿を見せ、2015年3月期は4年ぶりに営業黒字になったことや、ソーシャルゲーム大手のディー・エヌ・エー(DeNA)と資本提携しスマートフォン(スマホ)向けゲームに本格的に参入することなどを報告した。

 岩田氏を社長に抜擢したのが、創業家出身で元社長の故・山内溥氏だった。山内氏は花札やトランプをつくっていた同社を世界屈指の家庭用ゲーム会社に育て上げた人物だ。

 当初山内氏の後継者と目されていたのが、娘婿の荒川實氏だった。荒川氏は京都大学から米マサチューセッツ工科大学を出た丸紅の商社マン。任天堂の米国進出に初期の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」時代から関わり、家庭用ゲーム機を米国に普及させた功労者だ。イチローが活躍することになるシアトル・マリナーズを任天堂が買収した時、中心になって動いたのが荒川氏だった。ところが山内氏は「彼は任天堂の社長に向かない」として、荒川氏を解任してしまった。任天堂の最大の謎とされる事件だ。そこで山内氏が後継者として白羽の矢を立てたのが岩田氏だった。

 当時、次世代ゲーム機として期待された「NINTENDO64」が不発に終わり、任天堂は深刻な事態に陥った。ソニーの「プレイステーション」に首位の座を明け渡すばかりか、大きく水をあけられた。
マイクロソフトの「Xbox」にも抜かれ、屈辱の業界3位に転落した。

 岩田氏は巻き返しに出た。その第1弾が、04年12月に発売した携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」。第2弾が06年12月に発売した据え置き型ゲーム機「Wii」。いずれも世界的に大ヒットし、任天堂は世界に冠たる優良企業に成長した。

●任天堂と創業家

 その岩田氏の死去を受け一部で注目されているのは、創業家・山内家の後継者問題にどう影響するのかという問題だ。

 実は山内家は、すでに任天堂の大株主ではない。13年に死去した山内溥氏の保有株式は4人の遺族に相続された。溥氏は任天堂の株式、1416万5000株、発行済み株式の10.00%を保有する筆頭株主だったが、それを市場外取引で家族4人が相続した。

【任天堂が近畿財務局に提出した変更報告書】

 ※以下、相続人、所有株式数、所有株式数の割合
 長男・山内克仁、429万1200株、3.03%
 二男・山内万丈、429万1200株、3.03%
 長女・荒川陽子、279万1300株、1.97%
 二女・田中富二子、279万1300株、1.97%

 長男の克仁氏は任天堂の企画部長。長女の荒川陽子氏の夫は元米国任天堂社長の荒川實氏。彼ら親族は、莫大な相続税を支払うため保有株式を売却せざるを得なくなり、任天堂がいったん受け皿となり、引き取った。
その結果、山内家は筆頭株主でなくなった。

【任天堂大株主】(所有株式割合)

 ※以下、株主名、株式所有割合(13年9月末時点)、同(15年3月末時点)
 ※単位は%

 山内溥、10.00、―― 
 米ジェーピー モルガン チェース バンク、8.98、10.89
 米ステート ストリート バンク アンド トラスト カンパニー、6.87、9.65
 京都銀行、4.50、4.15
 野村信託銀行、3.36、3.36
 日本トラスティ・サービス信託銀行、2.90、2.21
 日本マスタートラスト信託銀行、1.99、2.12
 山内克仁、―― 、1.98

 3.03%の株式を相続した山内克仁氏の持ち株比率は1.98%にとどまる。所有割合を増やしたのは米銀行の2社。自社株式950万株を1142億円で引き取った任天堂の15年3月末時点での自社株(自己株口)は16.4%だ。もともとあった自社株分(9.74%)に山内一族が相続した株式を引き受けた分が加わり、2.329万株(16.4%)分を保有するかたちになっている。

 任天堂は14年1月に1250億円の自社株取得枠を設定し、「山内氏の親族4人が株を売却する場合、自社株買いに応じる」(岩田氏)を明らかにしていた。取得した株式はM&A(合併・買収)を実施する際の株式交換に使うとしていた。

 山内家は創業家であるが、もはや筆頭株主の座からすべり落ちた。「克仁氏は岩田氏の死去に伴い取締役に昇格することはあっても、社長になることはない」(業界筋)との見方が一般的だ。
(文=編集部)

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