「ハラスメント」という言葉が世の中に定着した感がある。今や「~ハラスメント」、略して「~ハラ」と表現されるケースがどんどん増えている。
ハラスメントの中でも日本の会社員が日常的に経験しているのが、職場での権力を利用した、嫌がらせ、いじめを意味する「パワーハラスメント」(パワハラ)ではないだろうか。ここでボーダーラインとなるのが「業務の適正な範囲を超えて」精神的・身体的苦痛を与える、もしくは職場環境を悪化させているか否かである。この線引きが実に難しい。なぜなら、日本の職場においては長い間、精神的・身体的苦痛は勤務評価と表裏一体であったからだ。
「辛抱」という言葉が風化してしまったといわれる現代でも、その心構えをないがしろにしていては、日本企業ではなかなか高く評価してもらえない。この暗黙の了解が、今も色濃く残っている。免疫力をつけることで体力が増強するかのごとく、精神的ストレスのハードルをいくつか乗り越えることによりストレス耐性が高まる。そして、苦難に直面しても乗り越えられるようになり、問題を発見、解決し「カイゼン」できると暗に思われていた節がある。
その結果、生まれたのが「しようがない」という言葉で表現される日本人に染みついた精神構造である。
すべての日本人がこの処世術を実践しているわけではないし、若い世代を中心に、納得できないことはしない、という人も少なくない。しかし、会社員を長くやっているうちに、または結婚して子供が生まれ住宅ローンを抱えるようになると、「しようがない」という気持ちの比重が増してくるようだ。
日本企業はこの「しようがない」という従業員の気持ちを巧みに利用してきた。「結婚して一人前」という価値観が企業にあるのも、決して口には出さないが、「しようがない」と思ってくれることに期待している節がある。
●「しようがない」が企業をおかしくさせる恐れも
「しようがない」と部下が考えてくれれば、上司はマネジメントしやすい。「納得できないからやりません」という論理を封じ込め、企業文化であるかのように錯覚させ、組織全体をうまく牛耳ることができるからだ。それを巧みに使ったのが、人事であり、転勤である。人事異動で本人の希望を聞く社内エントリー制度を実施する企業も増えてきたが、従業員全員の希望を反映して人事異動先や転勤先を決められるわけがない。紙切れ一枚(辞令)で動かざるを得ないのがサラリーマンの宿命である。
このようなシステムの中にあって、「上司には逆らえないよ」という気持ちを明に暗に表す部下は、いうことを聞いてくれる「いいやつ」と認められる。それが要因となり必ずしも出世するとは限らないが、「飛ばされる」リスクは減る。
次のような都市伝説ならぬ企業伝説がある。「家を建てたら転勤命令が出た」という不条理な話だ。この事例は大企業で事欠かない。本人にすれば、仕事で大きな失敗をしたわけでもないのにどうして、と不思議に思う場合も多い。そのとき、上司や人事は見ている。「しようがない」と思ってくれるかどうかだ。つまり、「現代版踏み絵」といっても過言ではない。
本人の希望を反映するため出身地や住み慣れた地で働いてもらう「地域限定社員制度」を声高に宣伝する企業が増えてきたが、「どんな所へでも飛んで行きます」という転勤族のほうが、賃金、昇進をはじめとする諸条件は良い。つまり、「しようがない」と考える人がリーダーになっていく人事制度は今も変わっていない。
こうした現象は、中間管理職(ミドル)と部下の間では散見され、会社員であれば誰しも多かれ少なかれ経験していることだろう。ところが、この関係性を学習した人がトップになると、従業員全員に「しようがない」と考えるよう求めてくる。
「しようがない」という潜在意識が日本企業の競争力を高めた面も否めないが、一方では、従業員に大いなる苦痛を与えて、さらには、企業自体をおかしくしてしまうこともある。例えば、「チャレンジ」という言葉で指示され現場が従った結果、不正会計につながった東芝の虚偽会計操作は、三代の社長が「しようがない」と思う従業員の心を巧みに利用したと考えられる。
東芝の管理職は頭が良く処理能力が高い。それだけに、トップや上司がひとつ言えば十のことがわかる。上が言うことだから「しようがない」と担当役員やミドルが理解し、おかしいなと思いながらも指示された仕事を的確にこなした。
もっとも、内部告発により今回の事件が発覚したのであり、当該社員だけでなく、「お上」のやり方に不満を持っていた東芝社員は少なくなかっただろう。しかし、それは本心であり、その上層にオブラートのようにかぶさる「しようがない」というやるせない心理的重圧ゆえ、命令されるままに動いてしまった従業員は、ある意味、組織文化の犠牲者ともいえよう。
企業だけに限ったことではないが、日本の組織にはパワーハラスメントが内在している。わかりやすい言葉で表現すれば、「脅し」がリーダーシップの武器になっているといっても過言ではない。実は東芝不正会計問題の原因も元を辿れば、これにいきつくのではないか。
●リーダーシップの源泉
経営学では、リーダーシップの源泉として、次の3条件が定義されている
(1)部下がリーダーとして認めている。
(2)人間としての魅力が備わっている。
(3)部下に対して報奨や懲罰を与える力を有している。
創業社長、創業家出身社長、サラリーマン社長(専門経営者)、外部から招聘された外様社長の別を問わず、これら3つの資質が必要だ。ところが現実的には、(1)と(2)が満たされていない人も散見される。しかし、(3)は「しようがない」と認めざるを得ない。創業社長の場合は納得性が高い。なぜなら、従業員には自ら会社を起業した経験がないからだ。自分がやり遂げたことがない実績を持つ人を尊敬するという実にシンプルな理由が存在する。なおかつ、一代で大企業に育てたような人物なら、雲の上の人として仰ぐようになる。
ところが、2代目、3代目になれば、従業員の見る目も変わって来る。創業者同様優秀であれば「血は争えない」と強いリーダーシップを温存できる。このようなケースも含めてだが、2代目、3代目が損な点は、とかく「創業家出身だから」という色眼鏡で見られることだ。
とはいえ創業者より多少能力的に劣っていても「しようがない」という見方が機能し、組織内にそれほど大きな不満が生じないで済むことが多い。むしろ、周りの役員が番頭役に徹して、創業家出身者を応援しようとする。この結果、社員同志の過度な権力闘争に発展しないというメリットもある。
一方、サラリーマン社長の場合はどうか。上記の(3)と(1)(2)の違いに着目してもらいたい。(1)と(2)は、もともと本人が持っていた資質ではなく、組織にいるからこそ与えられているパワー(権力)である。極言すれば、パワーを持っている人でも会社を離れれば、ただのおじさん、おばさん、なのである。はたまた、新卒として入社した人物であれば、先輩後輩、同期といった周りの従業員に、「ただの新卒」「ただの管理職」だった頃を知っている場合が多い。
のちに、マスコミのインタビューなどで華々しい過去の実績、苦労談を語ったところで、それを読んだ「昔を知る人々」は「若い頃、あの人は……」と陰で揶揄している場合が少なくない。筆者も新社長を取材していて、どれほど「陰口」を耳にしたことか。
「しようがない」と思ってもらえるならまだしも、「なぜ、あいつが社長に」と口にする抵抗勢力が多数存在する場合は、機能するリーダーの資質は上記(3)に限定される。こうした条件下で、我が物顔で権力を行使しようとすると組織的「パワーハラスメント」となる。
●トップのパワハラ
東芝とは逆に、事業の立地転換が奏功し復活した企業の50代経営者について、最近その人を良く知る人から次の情報を得た。
「もはや裸の王様になってしまった。とにかく人事権をすべて握り、それを武器にしようとしている。ガバナンスをもう少し意識するように、と提言するとすぐに怒り出す」
この話を聞いていると、現在改革派として注目されているこの社長もパワーのみで人を動かそうとしているようだ。本人も気づいているかもしれないが、周りはそろそろ冷め始め、「パワーハラスメント」に戦いている。前出の関係者は続ける。
「創業者以外の(同社の歴代)サラリーマン社長は皆そうでした。就任2年目、3年目あたりから急に態度が大きくなってくる。周りがそうさせているのかもしれませんが、その結果、暴走し始める。制御できる優秀なNo.2がいればいいのですが、権力を手中に収めたトップは意地を捨てられず、まちがった投資も止められなくなってしまう」
このような社長の場合、事業が好調なときはマスコミがちやほやしていても、いざ失敗すると、溺れかかった犬を突き落とすかのように叩き始める。そのネタ元(発信者)は、多くの場合「しようがない」と思いつつサラリーマンを務めている影の抵抗勢力であることを社長はお忘れなく。ともあれ、トップのパワーハラスメントは、今後の大きな経営テーマになってくることだろう。稲盛和夫氏(京セラ創業者)が苦言を呈する。
「最近の謙虚さを忘れた社長さんたちを見ているとハラハラしますね」
(文=長田貴仁/岡山商科大学教授(経営学部長)、神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー)