突然ですが、私こと、この度ただいま放送中の大人気番組、朝ドラ「あんぱん」に出演することになりました!
連続テレビ小説第112作目となる「あんぱん」とは、アナタの心にアンパンチ!やなせたかしさん夫妻をモデルにしたフィクションのオリジナルストーリーであります。脚本は中園ミホさん。
今回私が出演のご縁をいただきましたのは、やなせさんと師匠談志がかつてNHKで「まんが学校」という番組を一緒にやっていたからです。脚本の中園さんとは所属する「エンジン01」という団体で仲良くさせていただいてきていましてその中園さんから直接オファーを賜った次第です。
■新参者でもリラックスできた「あんぱん」撮影現場
役者として私の本格的な出演は、昨年公開された映画『碁盤斬り』(草彅剛主演)以来。以前テレビドラマは「検察審査会」(高島礼子主演)ほか何本か民放では出ておりますが、NHKの朝ドラは初めてということもありますし、何より、師匠談志をモチーフにした役をワンシーンとはいえ演じるのは無論今後の落語家人生への素晴らしい経験になるものとありがたく頂戴しスケジュールを調整し、万難を排して収録現場に臨みました。
さあ、はじめてのNHK朝ドラ現場です。担当プロデューサー氏にお願いし、他の出演者各位への挨拶も含めて、自分の出ないシーンから見学がてらお邪魔させていただくことにしました。
「本読み」という皆さん普段着のまま台本を片手に顔を突き合わしている中、ほぼほぼ部外者のような私がお邪魔しますと、「八木信之介役」の妻夫木聡さんがなんと、「お初にお目にかかります、妻夫木です」と向こうからお声がけ下さいました。恐縮しきっていると何年か前に一度面識のある「薪鉄子役」の戸田恵子さんがいらして打ち解けた空気感がさらにみなぎりました。このお二人がベテランといった風情を醸し出し、それに呼応する形で「嵩役」の北村匠海さん、「のぶ役」の今田美桜さん、「蘭子」役の河合優実さん、「健太郎役」の高橋文哉さんら若い役者さんたちが安心して演技に集中出来ているという「信頼関係」が手に取るようにわかったものでした。
その日はキャストおよびスタッフ各位と顔合わせと衣装合わせのみでしたが、事前に挨拶を済ますだけでも安心感が芽生えるものでしょう、その数日後の本番当日も皆様のおかげでリラックスして臨むことが出来ました。
■カミさん相手に百回以上練習
場所はNHK放送センター105スタジオ。
家屋や雑居ビルなどの大道具を含めたすべてのセットがそこに設えられています。さすが天下のNHKのメインストリームにいるんだなという高揚感が込み上げる中、担当スタッフさんから「◎◎役の立川談慶さんです!」という紹介の声が発せられると、演出部、制作部、撮影部、録音部などなど各方面から同時に一斉に拍手が起きます。
そこからは「みんなでこのドラマを作っているんだ」という自負と一体感、そして「あなたもぼくらの仲間なんですよ」という歓迎と歓待の思いが伝わり、普段の落語や作家の仕事とは違っていて、恍惚とさえしました。
「とにかく、セリフだけは完全に頭に入れて、とちらない!」。
いただいた台本をもとに、それこそカミさんを相手に百回以上は稽古しました。
落語の場合はとちっても、正直自分が恥をかけば済むことですが、「本番でとちれば皆さんに迷惑をかけてしまうことになる」という強迫観念は結構きつく感じましたが、セリフが身体の中に入ってゆくにつれて、むしろほどよいプレッシャーへと変化してゆくのが感じられてきました。
■やりにくかったに違いない「まんがの先生」
ここからは若干ストーリーに触れます。
冒頭でも書かせていただきましたが、今回私が出演することになったのは、やなせさんと師匠談志がかつてNHKで「まんが学校」という番組で共演していたご縁があったからです。
「まんが学校」は1964年4月6日から1967年3月27日まで3年間にわたって放送された人気番組でした。談志が司会で、やなせさんが出演していた子供たちに漫画の指導やクイズを出題するという形式で、毎週、当時大人気だった手塚治虫さん、馬場のぼるさん、石ノ森章太郎さん、水森亜土さんらがゲスト出演していました。
この番組に出演していたときのやなせさんは、代表作『アンパンマン』を生み出す前。
しかも共演する司会者は、立川談志。当時は真打ち昇進二年目の28歳、まさに飛ぶ鳥を落とすような勢いでありました。17歳も年下の生意気盛りの落語家です。実際、やなせさんは談志を「生意気が芸になっている」と評していたそうです。
さぞ、やりにくかったでしょう(笑)。
■「紙に描くのだけが漫画じゃない」
しかし、やなせさんの凄さとは「仕事を断らないところ」にあるのではと思います。談志は生前、やなせたかしさんから聞いた話としてご長男の松岡慎太郎さんに次のように話していたそうです。
「『昔は、漫画は紙(本や雑誌)に描くものと思っていたら、最近はこの皿に描いてくれとか、コップに描いてくれといった注文が来るようになった』と言っていた。今でいうキャラクターデザインのハシリだった」
柳瀬博一著『アンパンマンと日本人』(新潮新書)によると、やなせさんは「ご当地キャラ全国で200も作った」とのことでしかも「これが全部ただ、あっはっは」と笑うくらい多くのデザインをほぼボランティアでやった……と記されています。
■談志にも影響を与えたやなせたかし
ここから想像を広げます。
自分なりの漫画道を模索しながら、頼まれた仕事はなんでも引き受けて漫画そのものの世界を広げていったやなせたかしさん。その出会いは、のちに落語協会に反発し、寄席という場所を失う談志に「寄席でなくても落語はできる」ということを教えたと思うのです。国会議員やその後の立川流創設に至ったことに少なからず影響を与えているのではないかと、談志をモデルとした司会者を演じながら考えました。
談志は、「天才は二人しかいない。レオナルド・ダ・ヴィンチと手塚治虫だけだ」というほど、手塚治虫さんに心酔していました。敬愛してやまない手塚治虫さんがやなせさんに後に「千夜一夜物語」にてキャラクターデザインを依頼したということも談志は踏まえていたと思います。「あの天下の手塚先生が指名するほどの人なんだ」と。
■「何十年かかっても夢を諦めるな」
「あんぱん」の中で、嵩に対して父親・清役の二宮和也さんが、夢の中で「何十年かかっても、諦めずに、みんなが喜ぶものを作り上げろ」という名シーンがあります。
不器用に人生を歩む私を始め、全視聴者に確実に元気を与えてくれています。
コスパやタイパが最優先されがちな令和のこの国であえいでいる人全員への応援歌としてどれほど勇気を与えていることでしょうか。
そんな素晴らしいドラマに出演させていただく幸運に恵まれました。
演出サイドからは「談志師匠に似せないでほしい」と承りました。
さあ、どのように映っているか。ぜひ、皆さんでご視聴ください。
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立川 談慶(たてかわ・だんけい)
立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。
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(立川流真打・落語家 立川 談慶)