NHK BSで再放送中の「チョッちゃん」(1987年制作)は、黒柳徹子の母・朝をモデルに、蝶子(古村比呂)が妻・母として奮闘する姿を描く。朝ドラに詳しい田幸和歌子さんは「朝さんの自伝を読むと、夫の守綱氏がドラマ以上にエキセントリックな人物だったことがわかる」という――。

■世良公則の参院選落選後、放送再開
黒柳徹子(92歳)の母・黒柳朝(1910~2006年)の天真爛漫な半生をモデルに描いた連続テレビ小説「チョッちゃん」(NHK BS)が好評だ。7月は参議院選挙に主要キャストの世良公則が立候補したため、20日間にわたって放送休止になるというハプニングもあったが、世良は25万票を集めながらも落選。7月21日から放送再開された。
劇中では、蝶子(古村比呂)が天才バイオリニストの岩崎要(世良公則)と結婚し、長女・加津子(徹子がモデル)が誕生。プレイボーイの要も夫婦生活に落ち着くが、子供たちがうるさくて練習ができないなど、たびたびカンシャクを起こし、夫婦ゲンカが絶えない。
さらに、弁の立つ加津子は小学校で問題行動を起こし、1年生で退学の危機となる。要は学校に謝ろうと主張するが、蝶子は退学させて新しい学校で個性を伸ばしたいと考える。そんな中、蝶子の恩師・神谷(役所広司)が子供の目線で教育を行う先進的な小学校を紹介、加津子がそこに転校するという展開が描かれた。
■黒柳徹子の自伝どおり、先進的な小学校へ
実際、黒柳徹子が小学校1年生のときに「退学」になり、自由な校風のトモエ学園に入学したことは、ベストセラーになった徹子の自伝的物語『窓ぎわのトットちゃん』で広く知られているが、ここではまず徹子の誕生から史実を追ってみたい。
ドラマでは蝶子が「大安産。ツルリと生まれたの」と語っていたが、『チョッちゃんが行くわよ』(主婦と生活社、1982年刊行)によると、実際には朝は「日ごろから丈夫だからツルンと生まれちゃいますよ」と医師や親せきのおばさんたちに言われたにもかかわらず、陣痛微弱で2日がかりで鉗子をかけて産む難産だったようだ。
また、「加津子」の名は、ドラマでは要が蝶子の叔父(前田吟)や要の親友(春風亭小朝)と相談していた際、近くにカツライスの美味い洋食屋があるという雑談で盛り上がった結果、決まったという悪ノリのような経緯が描かれた。
しかし、実際は、要のモデルである黒柳守綱(バイオリン奏者)が男の子をほしがり、「徹(とおる)」と名前をあらかじめ決めていたものの、女の子だったので子をつけて「徹子」になったという安直さだ。しかも、徹子はそのせいで、小学校に入ってから「テツビン、テツビン」と言われ、嘆くはめになったという、笑えないオチまでついている。
■音大生の朝と結婚するためについたウソ
しかも、ドラマでは要はかなり面倒くさい男として描かれているが、実際の守綱も負けず劣らず、たいへんな夫だったよう。
ドラマでは、自分との結婚を承知させるため、音楽大学に通う蝶子に才能がないと嘘をつき、声楽を諦めさせた要。蝶子が「結婚詐欺」「許せるものではない!」と怒ると、「声楽家の才能なんか俺にはわからんよ!」と言い、自分が嘘をついた理由について「(蝶子が)声楽家になれば、いろんな仕事をするだろう。オペラや演奏会、ラジオに出たりさ、そういう仕事場にはね、必ず男がいるんだよ!(中略)好きな男ができるかもしれんだろ。男だって、君に近づくよ。近づいてきたらさ、君だって、ときめくに違いないんだ。(中略)だから、だました! 文句があるか!」と開き直ってみせた。
■徹子の父の束縛に、妻は「カゴの鳥同然」
しかし、実際の守綱のやきもちも相当なもので、『新版 チョッちゃんだってやるわ』(中公文庫、2022年。1987年の朝日文庫を再編集)では「パパ(守綱)は仕事が終わるといつも飛んで帰ってくるし、もちろん外出は許されないのでカゴの鳥同然の私は、まるで修学旅行を待っている女学生のような心境でした」と語っている。
また、洗濯屋さんが御用聞きに来て、たばこの吸い殻を玄関のたたきに捨てていったときには「誰がきたんだ? 男に決まってる!」と怒鳴り、吸い殻の主がわかると、「あの野郎、前からどうも気にくわなかった。
もう二度と頼むな」と食ってかかったこともあった(『チョッちゃんのここまで来た道』)。
ドラマでは向かいの建具屋・音吉(片岡鶴太郎)のトンカチの音がうるさい、加津子の泣き声がうるさいと、たびたびカンシャクを起こしているが、守綱はドラマと同じ、あるいはそれ以上で、特に子供が生まれてから妻を子供の世話にとられる分だけカンシャクが悪化。徹子の泣き声でさえ「狂気のようにうるさがり」、徹子がよく夜泣きをする子だったこともあり、眠りかけたときに起こされると「眠れなくなったから、眠たくして返せ」「返せよ、返せよ」と理不尽に怒鳴り、手当たり次第にモノをぶつけてきたという暴君ぶり。妻の朝は毎夜夜泣きが始まりそうになると、徹子を背負って外に飛び出し、ドイツ語のリードなどを歌ってあやしながら夜道を歩いた。
■徹子を始め子供は溺愛、過保護だったが…
それでいて、ドラマと同じく「子煩悩」なのも、ややこしい。ドラマでは蝶子が幼い加津子を連れて、邦子(宮崎萬純)の映画を叔父の映画館に観に行ったところ、加津子が高熱を出し、要にひどく怒られるシーンがあった。
また、要が池を作り、フナを飼ったところ、そのうち1匹が死んでしまったことで「お前、どうして死なせたんだよ!」「お前がちゃんと見てないからだ!」と蝶子を責めるという強烈なシーンもあったが、フィクションが史実に比して大げさとも言えないところが、この作品のすごいところだ。
その一例であり、最大のアクシデントの1つが、ドラマにも登場する“唐辛子”事件だろう。『チョッちゃんが行くわよ』によると、徹子が1歳半か2歳になる前のこと。守綱が出かける支度をし、朝が食事の準備をしていたとき、徹子の悲鳴が聞こえ、夫婦が飛んでいくと、飯台の上に瓢箪(ひょうたん)形の七味唐辛子入れが2つに割れて口が開き、そこらじゅう唐辛子が散らばり、徹子の口のまわりにもいっぱいついて、火が付いたように泣き叫んでいた。
朝が徹子を抱き上げ、口の中をゆすぐように何度も拭って洗う間、守綱は「そんなものを、なぜ子供の手の届くところにおくんだ。なぜちゃんと子供をみていないんだ」と激怒。
朝をめちゃくちゃにたたきながら、たいへんな剣幕で怒鳴りつけ、ごはんも食べずにお膳をひっくり返して出かけてしまったという。
■父は「カンシャク持ち」として有名だった
ドラマでは“唐辛子事件”の後、朝が向かいの音吉・はる(曽川留三子)夫妻の家に家出。すると、はるに「カンシャク持ちの人の妙薬」として蜂の子を渡され、それを要は何も知らずにうまいうまいと喜んで食べるが、蜂の子と知るとまた激怒……という展開があったが、これも史実通り。
『チョッちゃんのここまで来た道』には、隣の家の左官屋さん夫婦がよく面倒を見てくれたこと、そのおじさんは守綱と同じく気が短くたびたびカンシャクを起こして大きな声で怒鳴りまくっていたこと、そのおばさんが「カンシャク持ちの妙薬」をくれたことが書かれている。ただし、結末は少々違う。一部引用しよう。
「『これにお醤油をかけて食べさせなさい。うちのオヤジにも食べさせるから』といわれましたが、蛆虫(うじむし)みたいで気持ちが悪く、とてもパパに食べさせる勇気がありませんでした。翌朝、おばさんに、『ちゃんと食べさせたかい?』ときかれました。おじさんは食べたのでしょうか。ともかくどちらのカンシャクも前より少なくなるということはありませんでした」

■母は5人の子を産み、父に脅えて生きていた
また、ドラマでは蝶子は3人の子を産んでいるが、朝は難産ながらも3年おきぐらいに5人の子を出産。子供たちにケガをさせたり、タンコブなどを見つけようものなら、要は毎度「そのときママは何してたんだ⁉ 鼻ちょうちん出して寝てたんだろう!」と朝を責めた。

そのため、朝は子供がタンコブをつくってくると、メンソレータムを1時間おきにつけて冷やし、守綱に見つからないようにするのが常で、「一事が万事、パパがカンシャクを起こすような悪いことはなるべく目にふれないようにかくすために一生をささげたみたいなものでした」と総括している(『チョッちゃんのここまで来た道』)。
それでも「めったに泣かない子」だった朝が「ほんとうによく泣いたのは、結婚してからでした。泣かない日はないぐらよく泣きましたねぇ」と振り返りつつ、「三十歳すぎてからはあまり泣かなくなったように思います。だんだん強い女になったのかもしれません」というのだから、母は強しだ。
その一方、徐々に“頭角”を現してくるのが、徹子の「おてんば」ぶりと「好奇心の旺盛さ」である。
ドラマでは加津子が音吉の家に入り浸るようになり、音吉の大工道具を持ちだし、小学校に持参。あちこちに線をひいたり釘を打ったりして、蝶子が小学校に呼び出されている。
■徹子は私立小の面接で4時間しゃべり通した
実際、朝は何度も小学校の先生に呼び出されていた。例えば、ドラマにも登場する、机のフタを授業中に何十回も開け閉めしたというエピソードは、『窓ぎわのトットちゃん』にも登場する史実である。
「徹子さんがチンドン屋(※原文ママ)さんを校庭に引きこむのでクラスどころか学校じゅうの授業の邪魔になります」「いつも窓の外のツバメの巣のことばかり気にするので、勉強にまるで実が入りません」と言われたこと(『チョッちゃんのここまで来た道』)も、小学校1年で「退学」になったことも、その後、トモエ学園(ドラマでは「杉山学園」)に入学、面接のときには4時間もしゃべったことも、トモエ学園には時間割も決まった席もなかったことも、それぞれ『チョッちゃんのここまで来た道』や『窓ぎわのトットちゃん』に記されているとおり。
■娘が退学になっても個性を否定しなかった
トモエ学園の指導方針の凄さもさることながら、黒柳朝の各種自伝を読むと改めて痛感するのは、朝のおおらかさと強さだ。
『チョッちゃんが行くわよ』において、朝は徹子が困った子供だとも、特別悪いことをしているとも思わなかったと言い、その理由を次のように記している。

「いろいろな大人がいるのですから、いろいろな子どもがいてもちっとも不思議はない、と私には思えました。ですから、大変だとか、どうしようと嘆く問題ではなく、私は、むしろ楽観的に考えていました。(中略)子供が親のいうことを、なんでもハイハイと聞いて、そのとおりにしていたら、親を乗り越えていくことはできませんし、心豊かな大人になるためには、子どもながらに自分の頭と心で考えて行動する自己体験の積み重ねが必要ではないでしょうか。失敗をものともせず、チャレンジしていく元気さ、健やかさは、本当にすばらしく、大切なものだと思います」

子育て中、あるいは子育て経験者にとっては、少々耳の痛い言葉である。と同時に、誰もが知る“黒柳徹子”という人物を作り上げたのは、紛れもなく、母・朝だったことがわかる言葉だ。

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田幸 和歌子(たこう・わかこ)

ライター

1973年長野県生まれ。出版社、広告制作会社勤務を経てフリーライターに。ドラマコラム執筆や著名人インタビュー多数。エンタメ、医療、教育の取材も。著書に『大切なことはみんな朝ドラが教えてくれた』(太田出版)など

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(ライター 田幸 和歌子)
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