「この選手が年俸1億円?」――こんな感想を抱くことも少なくない、昨今のプロ野球界。特に50代以上のプロ野球ファンにとって、近年の年俸高騰は「高額契約に成績が見合わない選手が増えている」と感じずにはいられない。



 こうした感覚のズレが生じた背景には、いうまでもなくフリーエージェント(FA)制度の導入がある。FA導入前は、一流選手といえども年俸は“球団主導”であり、多くの選手は球団の提示額に一発サインしていた。しかし、1993年オフからFAが導入されたことにより、スター選手にとっては「自分をより高く売れる時代」になったといえる。

 一部のスター選手にとっては、良き時代であることは間違いない。一方で、気になるのが「引退後の雇用」である。FA導入によって、「退団した選手を再雇用する球団が、昔に比べて減っているのではないか」という疑問がわいた。

 FA導入前、スター選手が退団する理由として主なものは、他球団とのトレードであった。その際、移籍を嫌がる選手に、球団から「引退後の処遇を約束する」という交換条件が提示されることも少なくなかった。そのため、A球団からB球団に移籍した選手がB球団で引退後、元のA球団にコーチなどの役職で呼び戻されるケースがしばしば目についた。

 しかし、FA導入後はスター選手が移籍しても元の球団に戻るケースは激減した。FAによって、スター選手の退団は“球団の事情”よりも“選手の希望”によってなされるケースが増えた。そのため、球団としても「出て行った選手の面倒を見る必要はない」と割り切れるようになったというわけだ。


 では、実際にFAで移籍した選手の引退後はどうなっているのか。93~2010年の間に日本国内でFA移籍した44選手(17年時点の現役選手を除く。2回FA移籍した工藤公康は1人としてカウント)が、引退後にどのようなかたちでユニフォームを着ているか(あるいは着ていないか)を調査した(カッコ内はFA退団チームとFA入団チーム)。

●落合、工藤、金本…最多は「未所属」

【引退後、指導者としてユニフォームを着た最初の球団がFA退団チームだった選手/5人】

 中日ドラゴンズから読売ジャイアンツ(以下、巨人)に移籍後に中日の監督となった落合博満、福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)から巨人に移籍後にソフトバンクの監督となった工藤が代表格だ。この大物2人は、現役時代の成績と人気が抜群だったため、元の球団が“三顧の礼”で迎えた面が否めない。

 残る3人のうち、若田部健一(ダイエー→横浜ベイスターズ)は引退後12年を経てコーチ就任と空白期間が長く、村松有人(ダイエー→オリックスブルーウェーブ)はFA移籍後にトレードで元の球団に戻り、古巣で現役を終えている。

 引退から1年で元の球団に指導者として呼び戻されたのは、阪神タイガースでコーチに就任した藤本敦士(阪神→東京ヤクルトスワローズ)だ。

【引退後、指導者としてユニフォームを着た最初の球団がFA入団チームだった選手/14人】

 前中日監督の谷繁元信(横浜→中日)、現阪神監督の金本知憲(広島東洋カープ→阪神)など、FA移籍した球団で存在感を示した2人を筆頭に、総勢14人(2回目のFAでダイエーから巨人に移籍した工藤と、引退後に移籍先の巨人で打撃投手となった唯一のFA選手である藤井秀悟を含む)。

 14人全員がFA移籍先で現役を終えており、新しく培った人間関係により“再就職”が決まるケースといえる。早ければ引退の翌年にFA移籍先のユニフォームを身にまとい、遅くても3~4年でコーチに就任するケースが目についた。

 なかには、FA移籍先でコーチとなった後で古巣に呼び戻された星野伸之(オリックス→阪神)のようなケースもあった。

【引退後、指導者としてユニフォームを着た最初の球団が現役時代に所属していないチームだった選手/3人】

 東北楽天ゴールデンイーグルスの創設初年度にコーチとなった駒田徳広(巨人→横浜)、引退から8年後に落合に呼ばれて中日で打撃コーチを務めた石嶺和彦(オリックス→阪神)、同じく引退から9年後に千葉ロッテマリーンズのコーチに就任した川崎憲次郎(ヤクルト→中日)の3人だ。


 このうち、石嶺は落合が監督を退任後に古巣のオリックスでコーチを務めている。

【引退後、FA移籍とは無関係のチームでユニフォームを着た選手/3人】

 FA移籍後にトレードされた北海道日本ハムファイターズで現役を引退、フロント入りした中嶋聡(オリックス→西武ライオンズ)、プロ生活を最初にスタートさせた球団でコーチとなった加藤伸一(オリックス→大阪近鉄バファローズ、コーチ就任はソフトバンク)と野口寿浩(阪神→横浜、コーチ就任はヤクルト)の3人だ。

【引退後、指導者として一度も日本プロ野球(NPB)の球団に所属していない選手/19人】

 FA移籍した選手の引退後でもっとも多かったのが「どの球団からも呼ばれない」というケースだった。半数近くが、NPBの指導者はもちろんフロント入りもしていない。なかには指導者としての資質を感じる人物もいるが、チャンスすら与えられていないのが実情である。

 こうした人物のほとんどは、解説者を務めたりタレント活動に転じたり独立リーグで指導者を務めたりしているが、「NPBで指導をしたい」というのが野球人としての本音だろう。

●FAで増えた高額&複数年契約の弊害

 この結果を踏まえると、FAには選手と球団間の“情”を排除するという側面もありそうだ。昔は球団側に「選手をトレードで退団させた後ろめたさ」が残り、引退後に再雇用することで手を打つというケースも少なくなかったが、金銭で割り切れるようになった今、球団側に配慮の必要がなくなったのかもしれない。

“情”が排除された半面、FAによって選手の年俸は高騰した。FA導入前と後では、その格差は倍以上ともいわれている。高騰の流れは止まらず、巨人やソフトバンクなどは5年前と比べて年俸総額が約10億円も高くなっている。

 FA移籍する選手にとっては喜ばしいことかもしれないが、前述したように成績に見合わない高額契約が横行するようになったことも事実だ。
また、高額を保証されたことで安心感が芽生えるのか、FA移籍後に成績が下がるケースも少なくない。

 それを助長しているのが、複数年契約だ。選手を引き留めるための策とはいえ、複数年契約を結ぶことで「今年ダメでも、来年がんばれば大丈夫」との思いが選手側に生じかねない。結果的に、大型の複数年契約で移籍したものの、その後はケガなどで満足に出場すらできないケースも見受けられる。

 そのため、FAとは別の議論として、そもそも複数年契約というシステム自体に改善の余地があるのかもしれない。その代わりに、いまだ日本球界では少ない出来高制=インセンティブ契約を主流にすれば、スター選手のモチベーションも保たれるのではないだろうか。
(文=小川隆行/スポーツライター)

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