昨年、僧衣を着て運転していた男性僧侶が、福井県警に交通違反切符(青切符)を切られたというニュースが話題になりました。僧衣が「運転者の衣服規制」に違反するということですが、納得のいかない僧侶は罰金の支払いを拒否。

総本山浄土真宗本願寺派も、「裁判になったら、全面的にバックアップする」とヒートアップ。

 動画共有サイト「YouTube」上でも、僧衣を着た僧侶によるジャグリングや、縄跳びの二重飛びが「#僧衣でできるもん」というハッシュタグとともに拡散され、英国国営放送BBCでも取り上げられ、世界的にも関心を集めました。

 結局、今年に入って福井県警は一転。証拠不十分として、送致しないことに決定。しかし、僧侶が「今後、僧衣での運転はどうなるのか」と警察に尋ねても明確な返答はなく、「違反を取り消されても、僧衣で運転していいのかどうか、はっきり言ってくれない限り、これから運転できない」と、不満をあらわにしているそうです。

 福井新聞によると、「運転者の遵守事項」のなかに服装規定があるのは、福井をはじめとして15県のみだそうです。ちなみに、本願寺派の総本山、西本願寺のある京都では、そんな規定はありません。ただでさえ、たくさんの僧侶が自動車で檀家周りをしている京都市にそんな規定ができたら、大騒ぎになるでしょう。しかし、現状では、京都府を気持ちよく僧衣姿で運転していても、服装規定がある福井県、滋賀県、三重県に入ったとたんに、パトカーにサイレンを鳴らされるかもしれません。

 昨年1年間で福井県警は、ほかにも僧衣を着た男性僧侶1人と、着物を着た女性2人に対し、青切符を切ったそうです。実際には着物だけがターゲットになっていますが、この話題を聞いて僕は、指揮者の舞台衣装である「燕尾服」は大丈夫だろうかと、ふと考えました。

●燕尾服が黒いワケ

 燕尾服は、世界中で正式な礼服とされています。
各国の大統領や元首を招いて開かれる宮中晩さん会でも着られる最高級の礼服です。日本は、明治5年に燕尾服を礼服と規定し、天皇陛下も着用していらっしゃいます。一般の方は結婚式の花婿の衣装として、一生に一度着るか着ないかというところかもしれませんが、実は、僕は何着も持っています。

 燕尾服は、男性のクラシック演奏家の代表的な仕事着で、オーケストラの男性楽員は燕尾服で演奏をするのが通常なのです。

 燕尾服は、裾が燕の尾のように長く、生地は燕のような黒色。ちなみに、漫談家の綾小路きみまろさんは、真っ赤な燕尾服を着ていますが、あれはエンターテインメントのための特別仕様で、本来は黒が基本です。これには理由があります。

 燕尾服が礼服として確立したのは、19世紀のイギリス。当時は産業革命の真っ盛りでしたが、煤煙規制もなく、ロンドン市民は毎日スモッグに悩んでいました。「霧のロンドン」という言葉がありますが、これは工場からモクモクと出てきた煙によるスモッグにより、ロンドンが霧のように霞んでいた時代のことで、現在は霧のロンドンではありません。

 そんな煤煙の中で白いジャケットなどを着て歩いていたら、あっという間に黒ずんでしまうので、当時は黒いジャケットが大流行しました。その影響で、燕尾服も黒くなったそうです。


 余談ですが、燕尾服にはエナメル靴を合わせて履かなくてはなりません。これにも実際的な理由があります。今でも欧米でのフォーマルなパーティでは、男女は優雅に踊るのが伝統となっていますが、そんなときに靴墨をべっとりと塗った靴を履いていたら、淑女のロングドレスの裾を汚してしまいます。そのため、靴墨を塗らないエナメル靴を履くのが決まりとなっているのです。

 僕が指揮者デビューし、燕尾服に初めて袖を通した時には、一人前の指揮者になったという気がしました。しかし、燕尾服は腕をブンブン振り回すのが仕事の指揮者のためにつくられた服ではないうえ、シャツ、ベスト、ジャケットと重ね着をするので動きにくそうに見えます。しかし、実際には淑女をエスコートしてダンスを踊ることもできる服なので、意外と指揮をするうえで不自由さを感じたことはありません。それどころか、今では燕尾服に袖を通すことで、本番に向けてのスイッチが入るようになってしまっています。もちろん、自動車の運転も平気ですし、オーケストラの男性楽員がヴァイオリンやフルート、トランペットの演奏をするのも、まったく問題ありません。

●欧米ではタキシードも夜に着用

 本来、燕尾服は夜に着る礼服ですが、日本のオーケストラでは観客に礼を表すという意味で、昼のコンサートでも燕尾服を着ることもあります。しかし、昼のコンサートでは少しリラックスした感じを出そうと、ワンランク下の礼服であるタキシードを着ることも多く、僕ももちろんタキシードを持っています。

 ところが、僕が海外に出たころ、大きなミスをしました。
フィンランドの指揮者コンクールで受賞し、当地のヘルシンキ・フィルに指揮を頼まれたときでした。ヘルシンキ・フィルは、作曲家シベリウスも指揮を振った世界的に有名なオーケストラです。所属したばかりの英国のマネージャーからは、「昼のコンサートなので、ビジネス・スーツで」と言われていました。しかし、ビジネス・スーツで指揮をする指揮者なんて日本では見たこともありませんでしたし、当時はペーペーの指揮者だったので、舞台で着られるような高級なスーツなんて持っていません。

 そこで、タキシードなら礼服でもあるし無難だと考えて、当日はタキシードで颯爽と指揮をしました。大満足でヘルシンキからロンドンの自宅に帰宅したら、当日、演奏会を聴きに来てくれていた英国女性の担当マネージャーからメールが入っていました。内容は、「素晴らしいコンサートだった。オーケストラも喜んでいる。ただ、ひとつ言わなくてはいけないことがあります」とありました。

 身構えて続きを読んでみると、「あの服はおかしいので、これからは気をつけるように」と書かれてありました。実は、タキシードも夜の服装で、それを昼に着るのは、欧米人にはおかしく映るのです。つまり、夏の花火大会に、お正月に着る紋付袴で出かけるようなものとわかり、赤面したのでした。
その後は、海外では昼はビジネス・スーツで指揮をしています。しかし、本音を言うと、燕尾服と違ってなんだか自分のエンジンのかかりが弱い気がしています。

 女性は昼でもドレスでよいそうで、昼はミディアム、夜はロングが通常ですが、色は比較的自由だそうです。ちなみに、オーケストラの女性楽員は、昼は白いブラウスと黒いロングスカート、夜は黒いロングドレスがよくあるパターンで、とてもシンプルです。

 それに引き換え男性楽員は、燕尾服上下、シャツ、ベスト、白蝶ネクタイ、ポケットチーフ、サスペンダー、カフスボタン、エナメル靴と着こまなくてはなりません。特に、夏の暑い夜の野外コンサートでの重ね着は、暑いどころの話ではありません。汗をだらだらかきながら、薄手の黒ドレス1枚を着ているだけの、涼しげな女性団員を眺めることになります。
(文=篠崎靖男/指揮者)

編集部おすすめ