撮影/柳原久子

ひどい生理痛を薬でどうにか鎮めて出勤したり、更年期特有の症状を抱えつつ重要な会議に臨んだり。働く女性なら、一度は女性特有の健康課題と仕事の両立に悩んだことがあるのではないだろうか。

だが、生理や更年期などの女性の健康や不妊(男女とも)といった課題は、これまで個人の責任やタブーとして捉えられてきた風潮がある。組織・社会はこれらの問題と、きちんと向き合ってきたのだろうか?

2022年4月にD&I推進支援のための法人向けサービス「Cradle(クレードル)」をローンチしたアーティストのスプツニ子!(マリ尾崎)さんと、同社CPO(最高製品責任者)の入澤諒さんに、個や社会のウェルビーイングを生み出すサービスや組織のあり方について聞いた。

ムーンウォークマシンが繋いだ「Cradle」の縁

——「Cradle」では企業のD&I推進の柱として、女性の健康課題の解決をサポートする様々なサービスを展開されています。著名なアーティストであるスプツニ子!さんが、スタートアップの経営者として「Cradle」を立ち上げようと思われた背景を聞かせてください。

スプツニ子!さん(以下、スプツニ子!):私はこれまで『生理マシーン、タカシの場合。』(2010)や『東京減点女子医大』(2019)など、テクノロジーの未来やジェンダーをテーマに作品制作をしてきました。メディアでも、最近では日本経済新聞に寄稿している「ダイバーシティ進化論」など、色々な形で発信を続けています。

でも実際に今、多くの働く女性が仕事と健康課題の狭間で悩んでいるのにも関わらず 、企業ではそれについて語られず、支援もわずかです。もっと女性の働き方やライフスタイルにインパクトを与えるようなプロダクトやサービスが作れるのでは、アートや美術館の枠を超えてできることはないのかな……と考え始めたことが「Cradle」の発端でした。

私の場合、たまたまスタートアップ界隈の友人が多かったことも影響しています。自分のアイディアとビジョンがあれば、そこから資金調達をしてチームを集め、プロダクトを作っていくという働き方は、アーティストとして作品を作っていくプロセスとも少し似ているように思いました。彼らに背中を押されて2018年位からリサーチを重ね、2019年12月に法人を設立しました。

スプツニ子!(マリ尾崎)/Cradle 代表取締役社長 。
MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボ助教、東京大学大学院特任准教授を経て、現在、東京藝術大学美術学部デザイン科准教授。 2019年よりTEDフェロー、17年より世界経済フォーラム「ヤング・グ ローバル・リーダー」選出。第11回「ロレアル‐ユネスコ女性科学者 日本特別賞」、「Vogue Woman of the Year」、日本版ニューズウィーク 「世界が尊敬する日本人100」 選出など受賞多数。 撮影/柳原久子

CPOである入澤諒さんとは、入澤さんが女性の健康サービス「ルナルナ」でプロダクト開発をしていたころからの付き合いです。『ムーンウォークマシン、セレナの一歩』(2013)のスポンサーを探していたとき、Twitterで「ルナルナ」のPR的な発信をしていた入澤さんに、私からコンタクトをとったのが最初。入澤さんがリクルートに移り、スマートフォンで精子のセルフチェックができるアプリ「Seem」を立ち上げたときも、男性が不妊治療に取り組むきっかけをつくるという先進性に触発されて、話を聞いたりディスカッションしたりしていました。

女性は体の変化と向き合いながらキャリアを築く

——「Cradle」の生理、妊娠・出産、更年期などのケアを学ぶオンラインセミナーや、提携する医療機関での婦人科検診といったサービスには、2021年秋に第一子を出産されたスプツニ子!さんご自身の経験が生かされていると聞きました。

スプツニ子!:私が卵子凍結をしていたこともあり、最初は卵子凍結サービスを検討していたのですが、数ヶ月後に路線変更したんです。というのも、実際に色々な企業の人事部やD&I推進部、女性社員の話を聞くと、今の日本では卵子凍結以前の問題で悩んでいる方が多いと。生理、PMS、更年期、妊娠出産、不妊治療など、もっと包括的に女性の健康をケアする需要があると思い、現在は女性の健康課題のすべてを扱うサービスになっています。

オンラインセミナーの内容は、ヘルスケアもあれば、もっとキャリア寄りの内容、例えば「ウーマノミクス」提唱者のキャシー松井さんやプロノバ 代表の岡島悦子さんに、「女性のエンパワメント」について語っていただくこともあります。また、全国で50施設以上の産婦人科・不妊治療・乳腺科などの医療機関と提携していて、婦人科検診や乳がん検診、自由診療の不妊治療や卵子凍結の費用が軽減されるなど、婦人科の福利厚生を一括して請け負うようなサービスを展開しています。

——スプツニ子!さんから「Cradle」を一緒にやろうと言われたときの、入澤さんの印象は?

入澤諒さん(以下、入澤):やっぱりワクワクしましたね。

リクルートでも新しいサービスを作る仕事をずっとしてきて、個人的にも元々あるものを良くするよりは、ないものを作って誰かの課題を解決するとか、世の中をよくすることに興味があります。スプツニ子!さんが手がけるサービスを一緒に作るなんて、なかなかない経験ですし。

前職がきっかけで不妊治療のような生殖医療界隈に詳しくなっていたので、「Cradle」の意義もよくわかりました。卵子凍結だけでなく、女性の健康課題を包括的にケアするサービスを大きく広げていけたら、日本の社会もかなり変わるんじゃないかって。

入澤諒(いりさわ・りょう)/Cradle CPO。エムティーアイにてルナルナのサービス企画・マーケティングや遺伝子検査サービスの立ち上げを担当。
その後、リクルートにて妊活のジェンダーギャップ解消のため、スマホで精子のセルフチェックができる「Seem」を立ち上げ、プロデューサー(PdM)を務める。Seemではグッドデザイン賞 特別賞[未来づくり]、ジャパン・ヘルスケアビジネスコンテスト 優秀賞、カンヌライオンズ モバイル部門 グランプリなど多数受賞。2020年にCradleに参画。2021年、CPO就任。 撮影/柳原久子

スプツニ子!:私も10代はPMSがひどくて、勉強に支障が出るほどでした。でも日本で低容量ピルが承認されたのは1999年で、当時は高校生が婦人科に行っても、生理痛でピルなんて処方してもらえない。

それが大学でイギリスに行ったら、ピルは無料、アフターピルも薬局で販売されている。日本との違いに驚きました。

女性は生理痛と向き合い、キャリアと向き合い、妊娠出産のタイミングも存在しています。私もそれで悩んで33歳のときに卵子凍結をしました。結局は凍結した卵子を使わずに36歳で出産しましたが、つわりも大変で……。ずっと体と向き合いながらキャリアを積んできて、今は更年期症状で悩む先輩の声もたくさん聞いています。

カルティエのカンファレンスでもお話したのですが、大学の授業で生徒から「アートと関係ない質問ですみません。妊娠出産のタイミングはどうやって考えましたか」と質問されたことがありました。「アートと関係がない」と彼女が思い込まされていること自体がおかしくて、女性が生理になり、妊娠出産して更年期に向かうことは、アートとめちゃくちゃ関係がある。それが「関係ない」と追いやられてしまうというのが、男性中心の社会のあり方だったのかなと思います。

女性の体の問題がメインストリームから追いやられてきたのは、アートに限らずビジネスでも同じです。仕事に支障が出ても個人の問題にされるし、相談もしづらい。学校でも企業でも、もう少し社会全体で女性の健康課題をケアする文化が生まれるべきではないでしょうか。それが当たり前になるよう、たくさんの企業に「Cradle」から情報提供をしていきたいですね。

「もう少し社会全体で女性の健康課題をケアする文化が生まれるべき」とスプツニ子!さん。 撮影/柳原久子

人は知識がないとアクションを起こせない

——入澤さんは「Seem」で男性不妊の問題に切り込み、夫婦で取り組む妊活のために、まずは知ることから始めようと提言されていました。「Cradle」では女性の健康課題の解決がテーマとなりますが、組織との関わりにおいてはどんな問題点があるとお考えですか。

入澤:私自身は、新卒で「ルナルナ」に携わったことで生理やPMSについて学んだのですが、やはり男性中心にできあがった組織や社会だと、そのつらさを“実感できないから気づかない”という男性が多いと思います。

スプツニ子!:女性もなんでもないように振る舞うというか、そうさせられているから、「大したことないのかな」と思ってしまっているかもしれないですよね。

あと、よく男性からの相談としてあるのは、女性に直接「生理、大変じゃない?」なんて聞いたらセクハラにならないか……とか。

入澤:どう話したらいいかわからないんですよね。

スプツニ子!:だからこそ「Cradle」のセミナーが効いてくるのかなと。直接話すのが難しくても、不調があるなら婦人科の先生に相談できるよとか、対処法のセミナーがあるみたいだよ、といった間接的な形で、男性側もスマートにサポートできる

——デリケートな話題だからこそ「Cradle」のサービスがワンクッションになることで、話しやすい環境ができる気がします。

入澤:大事なのは“きっかけ”ですよね。「Seem」もそうでしたが、ヘルスケア系のサービスをやってきて気づいたのは、意識がないと知識を得ようと思わないし、知識がないとアクションも起こさないということ。でも体のことって健康なときは意識しないもので、本当に不調を感じたり、身近に病気になった人が出てくるまでアクションしないんです。意識していないときに知識をどう入れるかというところは、結構重要だし難しいところかなと思います。

だから「Cradle」のセミナーは、興味のない人にも参加してもらいたい。男性もフラットに聞けばなるほどと思うし、「何かしなきゃいけない」と思える内容になっていますから。知るところから始めるというのは、すごく大事です。

「男性中心にできあがった組織や社会だと、そのつらさを“実感できないから気づかない”という男性が多いのでは」と入澤さん。知るところから始めるということが大事、という。 撮影/柳原久子

スプツニ子!:本当に、セミナーは男性にこそ参加してほしい。よくアンコンシャスバイアスや構造的差別の話をするのですが、日本の企業で女性活躍について話すと「それは逆差別だよ」と言いたがる人がいます。「今はジェンダーレス、個性の時代だから男も女も関係ない」と。それって耳障りはいいけれど、現実はたった3年前まで日本の医大が女性受験者を組織的に減点していたように、「男も女も関係ない」と言える社会構造からはまだ程遠いわけです。

女性の健康支援も同じ被害に遭いやすく、「女性だけの健康支援は不公平では?」と言われることがあります。そうしたときによく例に出すのが、日本の健康経営で最も人気のメタボ対策。データ(※)を見ると20代、30代の女性はほとんどメタボにならないですし、 40代でも男性の4分の1、メタボは実質的には男性病なんですね。その一方でPMSや更年期、妊娠出産は多くの女性のキャリアに影響を与えています。にも関わらず、女性だけの問題だからニッチだと言われてしまう。

これは“ジェンダーギャップあるある”で、企業の決定権を持つ層に男性が多いと、自分たちの健康課題が社会全体の課題のように思えるのです。この現象が健康支援の分野では本当によく起きているので、「企業でメタボ対策をするのなら、女性の健康支援もしないとフェアではない」といつも伝えています。

※ 厚生労働省の国民健康・栄養調査結果など参照。

真のD&I達成には「体の問題のサポート」が欠かせない

アメリカでは、大企業を中心に、優秀な人材を獲得するために社員の体のケアをする、というカルチャーができつつある、とスプツニ子!さん。 撮影/柳原久子

——男性も女性もより生きやすい社会をつくるために、お二人が「Cradle」で目指したいことや、社会・組織に向けてのメッセージをお願いします。

スプツニ子!:私はやはり、D&Iを推進する一つの大事な軸が体のケアだと思っています。日本だとまだフェーズがあって、そもそもD&Iが重要だと思っているか、思っていないかがフェーズ1。ここに関しては私たちが活動を始める前から取り組んでいらっしゃる先進的な企業も多く、後に続く企業も増えてきたと感じています。

フェーズ2は、本当にD&Iを達成したかったら、企業が体の問題をサポートすることが重要だ、ということを理解し、実践しているかどうか。例えばアメリカでは2014年くらいから、シリコンバレーをきっかけとして福利厚生による不妊治療や卵子凍結のサポートが始まり、現在は大企業の8割以上が取り入れているといわれます。優秀な人材を獲得するために社員の体のケアをする、というカルチャーができつつあるわけですが、日本はまだこれから。近年のフェムテックの盛り上がりをさらに推し進めて、D&Iを世の中に浸透させていきたいです。

「D &I推進の本質は、どんな人も活躍しやすい環境にするということ。当たり前になるべきこと」と入澤さん。 撮影/柳原久子

入澤:私も同じです。D&I推進というのは、実際はすごくシンプルなことだとも思っています。日本では少子化で生産人口が減っているから、男性だけではなく女性も含めていろんな人が活躍していかなければいけない。そこを考えると、男女の違いの根本は体の違い、生殖機能の違いですよね。

違うつくりの人が同じ環境で一緒にがんばるとなったら、システムを変えないと始まらない。女性活躍、D&I推進と聞くと「自分たちが攻撃されている」「自分たちが築いてきたものが奪われる」という感覚を抱く男性もいると思いますが、もっと大きな視野で考えると、きっと当たり前になるべきこと。本質的にはどんな人も活躍しやすい環境にするということですから。

そういう意識を「Cradle」を通して広めていきたい。ただいきなりそこを目指してもギャップがあるので、一つひとつ目標を達成しながらゴールを目指していきたいと思っています。