岡田麻未さんは、障害を持つ兄弟姉妹がいる子どもたちや家族を支援する「うぇるしぶ」を主宰している。
障害を持つ兄や妹が大好きなのに、恥ずかしい、と思ってしまったり、そんな自分に罪の意識を感じたり。
障害者の兄と向き合って感じたこと
岡田 麻未(おかだあさみ)1993年生まれ。茨城県出身。新卒でユニバーサルデザインのベンチャー企業、ミライロに入社。サービスPRやイベント企画など広報全般を担当。2019年に株式会社LiBに参画し、ブランディングやPRに従事。同年、障がいのある子どもの「きょうだい」向けの情報サイト「うぇるしぶ」を創設。現在は筑波大学大学院で障害科学類の修士課程にて、主に知的・発達障害のある人の教育や就労について研究している。 撮影/中山実華岡田さんは1993年生まれ、取手市出身。3つ違いの兄には、中度の知的障害があった。見てちょっと話すくらいではわからない。
「日常生活は普通にできます。でも、自分の意見を言葉でうまく表現するのは得意じゃない。何か好きなことがあると、ずうっとそれをしている。『やめなさい』って言われてもずっと続けていました。たとえば、朝起きると必ず歴史の分厚い百科事典を読んでいて、織田信長とか徳川家康とか、歴史上の人物を登場させたファンタジーの文章をチラシの裏なんかに書いていました。時にはマリオが出てきたり」
兄が「普通」じゃない、「障害」がある、と意識するようになったのは、小学校3年生の時だ。「お兄ちゃん普通じゃないよね、障害者なの?」そう、同級生に聞かれた。ものすごい衝撃だった。
「何て答えたらいいかわからなくて……。言い返したいけど言い返せない。それまで、ちょっと変なところはあるけど面白いお兄ちゃんだったのに、人と違って恥ずかしい、って感じてしまって」
勇気を出して母に聞いてみた。お兄ちゃんって障害あるの?「母の答えは『お兄ちゃんはがんばっているんだから、そんなことを言わないの』」
それから兄の行動をより意識するようになった。
他の子たちのお兄さんやお姉さんとも比べるようになった。運動会のダンスで動きが半テンポずれる、集団登校のとき、鳥が飛んでいたらいつまでも上履きの袋で打つ真似をするのをやめない……。そして、学校で兄弟姉妹の話が出ても自分に兄がいる、と言わないようになった。
兄が中学に通っていた時、学校でいじめられているのを知った。兄のノートに「身障」だの「害児」だのと心ない言葉の数々が書き込まれているのを見てしまった。
ちょうどそんな頃、岡田さんが小5くらいの時に一度兄にひどい言葉を投げつけてしまった。
「覚えていないくらいのささいな出来事でけんかになってしまって。思わず『何でこんなこともできないんだよ』ってどなってしまったんです。『お前は頭も悪いし、運動もできないし、何もできないよな。まじでムカつく。
振り返る岡田さんは、とてもつらそうだった。「それに対して兄は、『何でそんなことを言うんだよ!』。いろいろ言い返したいんだけどうまく言語化できないようで」
兄弟姉妹にも苦悩と戸惑いがある
撮影/中山実華それから2人は口をきかなくなった。岡田さんは中高とバレーボール部の活動に打ち込む。強豪校で国体5位になったこともあるほど。家には寝に帰るだけ、のような生活が続いた。
でも、兄のことはずっともやもやしたままだった。
「高3の冬まで打ち込んだバレーが終わって、これから大学に行く、と言うときに、この気持ちを抱えたままでは大学で楽しめない、って思ったんです」。中学の時の友人に声をかけ、夜、公園のベンチで話を聞いてもらうことにした。
「隣に座って、言い出そうとするんだけど、どこからどう話していいかわからない。30分くらい『えっと……』って繰り返してしまって」。友人は「いいんだよ」と待ってくれた。
「ずっと言えなかったんだけど、実はお兄ちゃんがいて……」。兄の存在、自分が兄をどう思ってきたか、大好きだったのに傷つけてしまったこと、そこから今も話せないでいること……。「話し始めたら、後から後からもう涙があふれてきて。自分ってこんなに泣けるんだ、もう目が開かなくなるくらい。今までたまっていた澱を一気にはき出した感じでした」
友人は「そういうことを話してくれるんじゃないかと思ってた。麻未は麻未だからそれでいいんだよ」と受け止めてくれた。
それから、兄とも向き合えるように。高校を卒業した後、兄はいつの間にか家にこもる生活になっていた。「地元の就労支援施設も行ってみたけど合わなかったようで。昼夜逆転してずっと部屋にいる。兄にもっと人生を楽しんでほしくて」
母に「お兄ちゃんがずっと家にいるのはよくない」と、2人で市役所の障害福祉課に相談に行った。
障害を持つ人でも一緒に地域で暮らせるように
撮影/中山実華そして、岡田さんがバイトをしていた東京・下北沢のカフェでの偶然の出会いから、横浜にあるグループホームを知った。「NPOの人たちが集まるようなちょっと面白いカフェで」
父と一緒に見学に行き、その後本人も行って気に入り、入居することに。
ところが、2017年に兄は自宅で突然死してしまう。そのとき、岡田さんはユニバーサルデザインのコンサルティング会社で広報をしていた、「障害がある人でも地域で暮らせるようにという思いがあって。兄の影響が強かったと思います」
兄の死を機に、短い人生で自分がどう生きるのかを問い直した。関心領域に関わる際の武器として広報のキャリアを磨きたいと考えて、人材開発の企業に転職した。その際、日本の福祉の世界では老舗の日本財団の担当者が送別会を開いてくれた。
「話をするなかで『当事者だった人が何かをするパワーってすごいと思う』と。『で、岡田さんは』?と聞かれたんです」。兄の話をすると「やりなよ、小さいことでもアクションをとることは大事だよ」
「そうですよね」と答えた岡田さん。そこから今の活動が具体的に始まっていく。2019年のことだ。
日本財団の人に協力してもらいながら、障害者の兄弟姉妹がいる小中高生向けに「自分の人生を見つめるワークショップ」を開いてみた。
全国の、障害者の兄弟姉妹向けの活動をしている団体を調べて連絡をとり、会いに行き、自分が何をやりたいのか、何ができるのかを探していった。そのとりあえずの答えは、「障害者の兄弟姉妹向けのウェブサイトを作る」ことだった。
「私が友人に話すことができて気が楽になったように、心にたまったものがほどけて楽になるきっかけを作りたい」。仲間も次第に増えていった。
当事者だけでなく、周りの人にも問題を知ってもらいたい
「うぇるしぶ」のウェブサイト。きょうだいが感じる悩み相談や、全国のサポート団体の紹介などを行っている。自分たちの団体の名前は「うぇるしぶ」にした、「ウエルカム」と兄弟姉妹を表す「シブリング(siblings)」をかけた。社会貢献活動に力を入れている多国籍企業の助成金を見つけて応募し、無事通る。ウェブを作りながら、さらに障害や取り巻く社会、非営利活動などについても勉強していった。
うぇるしぶのウェブサイトを見ると、子どもにもわかりやすく、子どもの年代別に、障害の問題や、兄弟姉妹の抱える複雑な感情、周囲との関係などについて説明されている。
今年の春から岡田さんは大学院に通い始めた。知的・発達障害者や、就労について学んでいる。「当事者視点だけでなく、いろいろな視点で学びたい」からだ。
秋からはドイツで半年間学ぶ予定だ。もちろん、うぇるしぶの活動は続けている。「今は兄弟姉妹という当事者だけでなく、学校の先生や福祉関係者など、周りの人たちにも問題を知ってもらいたいと思っています」
一歩を踏み出してから、「半年前には予測していなかったことがどんどん起こる」めまぐるしい日々だ。でも、その先にめざすものは変わらない。「それぞれの特性が生かされる社会」だ。
取材・文/渥美雲、撮影/中山実華