記事のポイント
- カルティエの支援プログラムCWIでは、女性主導のインパクト起業家に資金や教育を提供。
- NousQは全身麻酔不要の中耳炎手術デバイスを開発し、医療アクセス改善を目指す。
- Biophilicaは木の葉による代替レザーを開発し、環境負荷の削減とサステナブルな未来を追求。
世界はさまざまな社会課題で溢れているが、その解決策となり得るアイディアを思いつく想像力と、それを形にする創造力、そして多くの他者を巻き込みビジネスにしてしまう行動力を兼ね備えた人々がいる。それが、ビジネスを通して社会課題の解決を目指すインパクト起業家だ。
しかしながら、慈善事業ではなく、営利企業として社会課題の解決を目指すインパクト起業家は、投資家から資金を調達しにくかったり、「普通」のビジネスよりも収益化に時間がかかったりすることが多い。
そうした困難を乗り越えやすくするため、インパクト起業家を支援しているプログラムがある。ラグジュアリーメゾンのカルティエが2006年に創設した「カルティエ ウーマンズ イニシアチブ(CWI)」だ。
CWIは国や分野を問わず、女性が主導、あるいは所有している企業で、社会課題解決に向けた有益なソリューションを提供する事業を対象とし、アワードや教育プログラム、コミュニティの運営などを行っている。
プログラムの詳細は、MASHING UPでも紹介した(記事1、記事2)。今回は大勢の応募者の中から2024年度の「フェロー」として選ばれた33名の起業家のうち6名をピックアップして、前後編に分けてその活動内容をお伝えする。
全身麻酔をせずに中耳炎の手術が行える装置
NousQのCEO、リン・リムさん。カルティエ ウーマンズ イニシアチブ(CWI)ウェブサイトより転載。 © Cartier鼓膜の奥にある中耳に体液がたまる中耳炎は、小児難聴の最大の原因だ。
だが、中耳炎の手術を必要としている患者のうち、実際にそれを受けられるのはたった15パーセントだという。手術室で患者に全身麻酔をかけ、専門医がさまざまな器具や高価な手術用顕微鏡を使って行う必要があるためだ。
「発展途上国では、手術室、耳鼻科医、麻酔医が不足しています。患者は必要な手術を受けるまでに5年以上待たなければならないこともあります」。小児耳鼻咽喉科医でNousQ(ヌースキュー)のCEOであるリン・リムさんはそう語る。
米国のような先進国でさえ、耳鼻科医に手術を勧められた子どもの11パーセントしか手術を受けられていないという。全身麻酔のリスクや高額な費用、数ヶ月から数年に及ぶ待ち時間などがその理由だ。
NousQのウェブサイト https://www.nousq.comリンさんは、カンボジアの農村部で人道的な医療活動に従事していた時に、中耳炎の手術が必要な何百人もの子どもたちを助けられなかった苦い経験がある。シンガポールに帰国後、娘がピアスの穴を開けた際に使用された小さな機器を見て、彼女はふと思った。同じように手持ちで使える治療器具があれば良いのではないかと。
彼女は医師として働く傍ら10年をかけてCLiKX(クリックス)という器具を開発し、NousQという会社を立ち上げた。手持ちで操作できるこのデバイスを使用するには手術室は必要ない。医師はクリニックで局所麻酔を行い、ボタンを押すだけで患者の耳に膿を排出するための鼓膜チューブを挿入できる。
シンガポールで実施された初期の臨床試験では安全が確認されている。成人の被験者にヒアリングをしたところ、痛みはなく、ブーンという小さな音と軽い圧力を感じるだけで、その後はすぐに聞こえるようになったという。
2024年第4四半期には、米国の食品医薬品局(FDA)の認可を得るための臨床試験が始まる。認可後には米国、アジア太平洋地域、EUでCLiKXを発売することを目指す。
木の葉などの有機廃棄物から作られた代替レザー
BiophilicaのCEO、ミラ・ネイマスさん(中央)。カルティエ ウーマンズ イニシアチブ(CWI)ウェブサイトより転載。 © Cartier皮革の生産は環境に大きな負荷をかける。大量の二酸化炭素が排出されるだけでなく、1キログラムにつき1万6000リットルもの水を消費する。ポリウレタンやポリ塩化ビニルのようなプラスチックベースの合成皮革の生産も温室効果ガスを大量に排出するだけでなく、プラスチックゴミの増加に拍車をかける。
「アパレル産業や自動車産業は、革の代替品を探しています。
そう語るのは、木の葉などの有機素材を使った代替レザーを生産する(バイオフィリカ)社のミラ・ネイマスCEOだ。
ある閃きから生まれたエコで安全な新素材
Biophilicaのウェブサイト。 https://biophilica.co.uk2013年に娘が誕生し、日用品に使われる化学物質が気になるようになったネイマスさんは、安全で毒性の少ない素材を開発したいという思いから、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートでプロダクト・デザインの修士課程で学び始めた。
2018年のある日、彼女はロンドンの街を歩いているときに葉っぱを拾い、こう考えた。「公園の有機ゴミや農業廃棄物を利用して、素材を作れないだろうか」
ネイマスさんは自宅キッチンを研究室代わりに実験を開始した。当時のことを彼女はこう振り返っている。「子どもが出入りするキッチンで作業をしていれば、生産プロセスはおのずと安全なものになります」。
そうやって作られた素材が「Treekind(ツリーカインド)」だ。木の葉などの生物分解可能な原材料から作られた代替レザーは、使い古した後には一般家庭のコンポストで処理できる。新たな廃棄物を生み出す代わりに肥料として再利用できるのだ。2019年に彼女が設立した会社Biophilicaは、今では生物由来の接着剤も製造している。
二酸化炭素排出量と水使用量を削減
Treekindの製造工程ではCO2の排出量が非常に少なく、水の使用量は皮革加工に必要な量の0.1パーセントに満たない。さまざまな幅、仕上げ、カラーのバリエーションがあり、革製品の耐久性に関する複数のテストに合格している。また、世界的な動物の権利擁護団体のPETAによってヴィーガン認証も受けている。
2023年5月には高級時計メーカー「IDジュネーブ」がTreekindを使用した時計ストラップの限定コレクションを発表するなど、メーカーの間でも支持を集めている。
ネイマスは事業拡大への抱負を次のように語る。「Treekindは、緑地や農業廃棄物、林業廃棄物があるほとんどの地域で生産できます。私たちの事業が拡大すれば地産地消が進み、輸送の際のCO2排出も減らせます。有害な化学物質を使用しない、完全なバイオベースの製品の世界的普及に繋がるかもしれません」
AIを用いた信用スコアで、南米のインフォーマル・ビジネスに資金を提供
QuipuのCEO、メルセデス・ビダートさん(右)。カルティエ ウーマンズ イニシアチブ(CWI)ウェブサイトより転載。 © Cartier南米の貧困地域では、個人や家族経営の小さな店やサービスは地元に不可欠な存在だ。しかし、その財政基盤は非常に脆弱で、多くの事業者が資金繰りに苦労している。コロンビアでは、従業員10人未満の零細事業者が600万近くある。そのうち金融機関から融資を受けられるのはたった9パーセント。事業に関する情報が不十分で、信用履歴がないためだ。
マイクロファイナンス機関での勤務経験を経て、マサチューセッツ工科大学の修士課程で都市計画を学んだメルセデス・ビダートさんは、小規模事業者の資金調達を支援したいと考え(キプー)を設立した。
Quipuは独自のプラットフォームを通じて少額融資を行い、これらのスモールビジネスが信用履歴を築けるようにする。
資金調達力格差の是正を目指す
Quipuのウェブサイト。 https://quipu.com.co現在Quipuはコロンビアの全ての行政区画で事業を展開している。1万7000人以上のコミュニティーメンバーを擁し、7000人の融資先に9000件の融資を行っている。融資先の62パーセント以上が女性で、その多くは手作りの料理や工芸品の販売や、衣類の縫製などで生計を立てている人々だという。
「メインストリームの経済システムから取り残されたスモール・ビジネスを成長させることがモチベーションになっている」とビダートさんは語る。
この記事では2024年のCWIフェローに選ばれたアジア、ヨーロッパ、南米出身のインパクト起業家を紹介した。後編ではケニア、オーストラリア、米国から3名のフェローについてお伝えする。
取材・文/野澤朋代