記事のポイント
- 中外製薬の大内香さん、研究のプロフェッショナル職からマネジメント職へ転身し、多様性推進に尽力。
- 女性リーダー育成や多様な働き方支援に注力し、女性社員の活躍を後押し。
- 「やってみたら、大丈夫」の精神で、組織改革と人財育成を牽引。
中外製薬で上席執行役員を務める大内香さんは、研究のプロフェッショナル職からマネジメントポジションへとキャリアを転換した経歴の持ち主だ。
1987年当時、日本の製薬会社に女性研究職の採用枠はなく、外資系の日本ロシュに入社した大内さん。その頃から “女性の課長や部長がいるのは当たり前” の環境でやりがいのある研究に没頭できた経験は、2002年の中外製薬との合併を経て、女性活躍をリードする立場となったいまも、大いに役立っているという。
理系と文系、そして男女の枠も軽やかに超え、女性リーダー育成にも力を注ぐ大内さんに、これまで歩んできた道のりや、同社が目指す多様な人財活躍を推進する取り組みについて話を聞いた。
乳がんと胃がんの治療薬開発に取り組む
大内香(おおうち・かおり)中外製薬 上席執行役員、リスク管理、コンプライアンス、信頼性保証、製薬技術、生産技術統括/1987年、日本ロシュに入社し、鎌倉研究所腫瘍免疫部で薬理研究を開始。2002年、日本ロシュと中外製薬の経営統合により中外製薬へ転籍。2013年育薬研究部長、2018年メディカルサイエンス部長を経て、20年に執行役員 メディカルアフェアーズ本部長、23年に執行役員 医薬安全性本部長、24年4月に上席執行役員に就任し、リスク管理・コンプライアンス・信頼性保証、製薬技術、生産技術を統括。23年より日本経済団体連合会バイオエコノミー委員会企画部会長および内閣府総合科学技術・イノベーション会議評価専門調査会 評議員を務めている。 撮影/高木亜麗男女関係なく、できる人には仕事を任せる──そんな組織風土の日本ロシュ 鎌倉研究所腫瘍免疫部で研究員になった大内さんのキャリアは、がんや免疫の薬がどのように効くか、どんなメカニズムで疾患が起こるかという薬理研究を担当したことに始まる。
薬理研究は新たな薬を開発する「創薬」と、発売後により安全で使いやすいものへと育てていく「育薬」に分かれるが、鎌倉研究所では創薬をメインにしながら育薬も手がける体制をとっていたそうだ。その後、日本で開発された大腸がんや乳がんに適用する抗がん剤が世に出たことから、同研究所における育薬研究の領域は広がっていく。
当時、日本でも乳がん患者の増加が注目されていた。
多くの場合、薬は併用して使われるが、海外と日本では承認されている薬が異なるため、日本の患者は同剤と他の薬をどのような組み合わせで服用するのが効果的で、どんな治療に適しているかを検証しなければならない。また、それと並行する形で同研究所では、患者が東アジアに多く“アジアのがん” と呼ばれていた胃がん治療薬の開発に着手できるよう、日本独自で科学的根拠を示そうとプロジェクトを立ち上げていた。このプロジェクトの起点となる、非臨床研究を担当したのが大内さんだ。
「その頃、日本ロシュの研究所ではグローバルにどう打って出るかという考えで、みんなが1つにまとまっていましたね。私自身のモチベーションも高く、任された研究に非常にやりがいを感じていました」
乳がんと胃がん、そして創薬と育薬を同一の研究所でおこなっていたこと。こうしたいくつもの点と点がやがて繋がり、大内さんは「乳がんの治療薬が、一部の胃がんに効果がある」可能性を見出していった。
マネジャーになれば、部下の成果が自分の喜びになる
撮影/高木亜麗このように充実した研究者時代に結婚・出産を迎え、ワークライフバランスを試行錯誤する時期に突入した大内さん。妻が働くことに大賛成という理解あるパートナーは、通勤時間が長くなることを厭わず、鎌倉の近くに住んでくれたそうだ。とはいえ、フルタイムで働くには、子どもを保育園かシッターさんに預けるしかない。当初、他人に子どもを預けることに抵抗があった大内さんだが、「やってみたら、大丈夫」で、思いきってチャレンジすれば道は開けることを実感したという。
そんな研究と子育てで大忙しの日々を送るなか、大内さんは、あるがん関連のチャリティイベントに参加。
「目の前にいる患者さんはとても健康そうで、奥様も心から喜んでくださっている。その瞬間、これまでやってきた研究が、全部つながったように感じました。ちょっと大袈裟な言い方かもしれませんが、“人生の意味” をようやく発見できた気がしたのです」
この出会いから、ますます研究に邁進するようになった大内さん。プロフェッショナル職としてすでに幹部社員になっていたが、「マネジャー職にならないか」という打診を何度も断っていたそうだ。それは天職と思っていた研究をずっと続けたかったから。だが、大内さんは「自信のなさもあったかもしれない」と当時を振り返る。その頃のがんグループは幹部社員が全員、経験豊富な男性社員。中外製薬に転籍して間もないこともあり、どこか気後れするところがあったのだろう。かたくなに断り続けた大内さん。その心を動かしたのは、上司がかけた言葉だった。
「『自分1人でやることには限界があるけれど、グループマネジャーになれば、部下のやっている実験成果が、自分の喜びにもなるんだよ』。
グループマネジャーは寄り添う立場、嫌な役割は部長が負う
それから大内さんは、がん研究のグループマネジャーを経て、2013年に育薬研究部長に就任。専門のがんだけでなく、未経験の心臓や腎臓の慢性疾患などもすべて見ることになるが、ここで大内さんは思いきった決断をする。全国の営業から期待されていた既存薬の研究をやめ、未来に向けた新たな研究に取りかかることを担当研究者に持ちかけたのだ。担当研究者が半年ほど考え抜いた結果、その領域研究はストップすることに。その当時の若手はいまや同社の看板研究者となり、さらに新しい研究を手がけて活躍しているそうだ。
「こうあるべきだと道すじが見えたら、反対を受けてもやり通す。グループマネジャーは部下に寄り添う立場ですが、嫌な役割は部長が負わなければなりません。その覚悟はできてきたと思います」
また、部長になると現場でチームを率いるほかに、本社との会議や会社としての戦略に参画しなければならなくなる。ビジネスに関する知識が足りないことを痛感していた大内さんは、自発的にMBA取得に向けて動き出し、修了した2018年にメディカルサイエンス部長に就任。
と同時に、本社異動で学生時代以来の通勤ラッシュを経験することとなる。研究所とは大きく異なる環境や立場。
優秀な女性リーダー候補者が、すでにたくさん存在する
撮影/高木亜麗中外製薬と合併したとき、大内さんはまず女性マネジャーの少なさに驚いたそうだ。しかし、同社が女性活躍に着目したのは早く、2010年から女性リーダー育成の取り組みを開始。それを「会社のトップが代々ブレずに言い続けていること」が、組織全体の意識を変えることに大きく貢献している。
「2030年までに女性マネジャー比率を社員比率と同水準とする」という同社の目標を数値にすると38%。2023年末時点の達成率は17%だが、大内さんは「時間はかかるけれど、30年までになんとか実現できる」と考えている。そう語る理由は、無理やり女性枠を作るのではなく、ターンオーバーのなかで自然に女性マネジャーを増やしていること。そして、候補者がたくさん存在することをすでに実感しているからだ。同社は2014年より女性リーダープログラムを実施、2016年からは、管理職一歩手前の女性社員を対象としたプログラムもスタートさせている。
「継続的な女性リーダー輩出に向けて、候補者の意識啓発を図るようになったのは、産休・育休で研修を受けそびれている優秀な女性社員がたくさんいるとわかったことがきっかけです。プログラムに講師として参加するたび、こんなに多くの優秀な人がいるのかと驚いています」(大内さん)
女性の背中は、男性よりも少し “強め” に押す
2020年に執行役員、2024年4月から上席執行役員となった大内さんが、いま力を入れているのは、「多様性の幅をさらに広げること」と、「“女性の表現形” をサポートすること」。まず多様性という点は、男性社員の育休取得100%や保育園のお迎えに行く男性が増えたことに加え、ゴルフやお酒、ランチなどにも無理してつきあわなくて大丈夫、という考えが定着しつつある。
そして “女性の表現形” をサポートする必要性を感じているのは、物事を柔らかく表現する女性が「論理的ではない」と判断されたり、相手に強く言われると言葉を飲み込んでしまったりするせいで、正しく評価されない優秀な女性社員を数多く目にしてきたからだ。「あの人はこういう表現形なんです」と真意を説明することで、誤解される人を減らそうと試みている。
「よく考えて成果を上げている優秀な人は、見た目や表現形ではなく、中身で評価されなければなりません。女性は自己評価が低くなる傾向があるので、背中を押すときは、男性よりも少し “強め” に押すようにしています。人生は一度きりなので、チャンスがあれば、どんどんチャレンジしてほしい。ダメならやり直せばいいだけですから」(大内さん)
これまでの挑戦を、「やってみたら、大丈夫」の繰り返しだったと微笑む大内さん。「家族や社内外のあらゆる場面で人に恵まれる。いい人に出会えるのが、私の強みです」。そう語る大内さんの活動はいま、社内の後継者育成からキャリアを活かした社外の社会貢献にまで広がっている。
取材・文/山本千尋、撮影/高木亜麗