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Text by 村尾泰郎
Text by 後藤美波



ウェス・アンダーソン監督のフランスへの愛情がたっぷり詰め込まれた映画『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』。映画、音楽、コミックなど、さまざまなカルチャーを通じてウェスが吸収したフレンチテイストが、スクラップブックのようにところ狭しとスクリーンに貼り付けられている。



映画に登場する編集長、アーサー・ハウイッツァー・Jrはアメリカ生まれ。異邦人の立場でフランスで雑誌を編集しているところは、同じくアメリカ人でフランスを舞台に映画を撮っているウェスと立場が重なる。



そして、映画の観客は雑誌『フレンチ・ディスパッチ』の記事(=物語)を通じて、物語の舞台となった架空の街、アンニュイ=シュール=ブラゼの街並みやそこに住む人々に触れる。本作でオマージュを捧げられているフランスの映画監督の一人、ジャック・タチが、架空の街「タチヴィル」を舞台に撮った『プレイタイム』(1967年)のように、『フレンチ・ディスパッチ』は空想のフランスを観光する映画なのだ。



『フレンチ・ディスパッチ』の「フランス文化への憧憬」は音楽にも。劇中の架空バンドに注目

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』ポスタービジュアル ©2021 20th Century Studios. All rights reserved.



そこでユニークなのが、映画に関連して二つの音楽作品がアルバムとしてリリースされたことだ。一枚はフランス生まれの作曲家、アレクサンドル・デスプラによるスコア盤。

もう一枚はTip-Topによる『Chansons D'ennui Tip-Top(シャンソン・ダンニュイ・ティップ・トップ)』。



Tip-Topとは劇中に登場する架空の人気シンガーで、Tip-Topとして歌っているのはジャーヴィス・コッカー。ジャーヴィス自身は出演していないが、Tip-Topとして歌った音楽と、『Chansons D'ennui Tip-Top』のアートワークを用いたポスターが映される。彼もまた、アーサーやウェス同様にフランスを愛する異邦人だ。



『フレンチ・ディスパッチ』の「フランス文化への憧憬」は音楽にも。劇中の架空バンドに注目

ジャーヴィス・コッカー



イギリスの工業都市、シェフィールドに生まれたジャーヴィスは、10代の頃に「Arabicus Pulp」というバンドを結成。のちに「Pulp」と名前を縮めて1983年にインディーレーベルからデビューアルバムを発表する。

1990年代に巻き起こったブリットポップのブームに乗って1994年にメジャーデビューを果たし、翌年に“Common People”というヒット曲を生み出した。



2000年代に入るとバンドは活動休止状態に入り、ジャーヴィスは精力的にソロ活動を展開していく。ソロアルバムの制作。サントラやアーティストへの曲提供。鬼才ピアニスト、チリー・ゴンザレスとの共作。テレビやラジオ番組でのホストなど、多彩な才能を発揮するが、その新たな人生のきっかけになったのが2002年に結婚してパリに移り住んだことだった。



パリを拠点にするなかで、ジャーヴィスはヴェルサイユ宮殿で行なわれた映画『マリー・アントワネット』(ソフィア・コッポラ監督作、2006年)の公開パーティーで、当時パリに住んでいたウェスと一緒になった。ジャーヴィスとウェスは以前、ロンドンでウェスの映画『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001年)の公開パーティーで出会っていたこともあり、二人はパリで親交を深めた。



その頃、ウェスは新作『ファンタスティック Mr.FOX』(2009年)の撮影に入っていて、そこに登場するシンガーのピーティー役をジャーヴィスに依頼。ジャーヴィスは映画のために曲も書き下ろした。パリが結びつけた友情だけに、ウェスがフランスを舞台にした映画にジャーヴィスに声をかけるのは自然な成り行きだったのかもしれない。



ジャーヴィスがTip-Topとして歌う“愛しのアリーヌ(Aline)”は、ティモシー・シャラメが学生運動のリーダー、ゼフィレッリ・Bを演じた第2話『宣言書の改訂』で使用される。



この曲はフランスのシャンソン歌手、クリストフが1965年に発表した大ヒット曲のカバー。ウェスにはクリストフにまつわる個人的な思い出があった。



いまを去ること20年前。パリのナイトクラブのパーティーに参加したウェスは、隣に座った男が誰かに耳打ちされると立ち上がって歩き出し、置いてあったキーボードを演奏しながらおもむろに歌い出すのを目撃した。サビになると会場にいた客は大合唱。その男こそクリストフで、歌っていた曲が“愛しのアリーヌ”だった。

ウェスによるとTip-Topというキャラクターは、「クリストフ、ジャック・デュトロン、フランソワーズ・アルディ、セルジュ・ゲンスブールといった、フランスならではのスターが輝いていた時代へのオマージュ」だという。



『フレンチ・ディスパッチ』の「フランス文化への憧憬」は音楽にも。劇中の架空バンドに注目

ティモシー・シャラメが演じる若者たちが集まるカフェのジュークボックスからTip-Topの“愛しのアリーヌ”が流れる ©2021 20th Century Studios. All rights reserved.



一方、ジャーヴィスも、ゲンスブールやデュトロンといったフランスのポップスに強く惹かれていた。ゲンスブールのトリビュートアルバム『Monsieur Gainsbourg Revisited』(2006年)では、Kid Locoとデュエットで“手ぎれ(Je suis venu te dire que je m’en vais)”をカバー。ゲンスブールの娘、シャルロット・ゲンスブールのアルバム『5:55』(2006年)ではほとんどの曲の歌詞を提供している。



それだけにジャーヴィスはTip-Topという架空のキャラクターを気に入り、ウェスが『フレンチ・ディスパッチ』という雑誌を妄想したようにTip-Topの人生を妄想し、彼のベストアルバムというコンセプトで『Chansons D’ennui Tip-Top』をつくり上げた。



このアルバムは全曲、『フレンチ・ディスパッチ』の時代と重なる1960~1970年代のフレンチポップのカバー。

選曲したのはジャーヴィスだが、ウェスがTip Topというキャラクターを通じてオマージュを捧げた4人のミュージシャンの曲はすべて収録されている。



なかでも、ジャーヴィスにとって思い出深いのはフランソワーズ・アルディの“バラのほほえみ(Mon Ami La Rose)”だ。家を出て一人暮らしを始めた頃、ジャーヴィスは地元シェフィールドの古道具屋でアルディのレコードを手に入れ、そこに収録されていた“バラのほほえみ”を気に入ったことがフレンチポップに目覚めたきっかけだったとか。ウェスにおける“愛しのアリーン”のような特別な曲なのだ。



ベストアルバムという設定なので、シャンソン、イエイエ(英米のポップスから影響を受けた1960年代のフレンチポップ)、ディスコなどさまざまなスタイルの曲が混ざり合って、「フランスならではのスターが輝いていた時代」の空気を再現している。



また、ブリジット・バルドー“Contact”やマリー・ラフォレ“La Tendresse”といった女優が歌った曲が収録されているのもフレンチポップらしいところであり、フランス映画へのオマージュにもなっている。



そんななか、ジャン・リュック=ゴダールの映画『中国女』(1967年)の挿入歌“Mao Mao”がカバーされているのは、『宣言書の改訂』でウェスがゴダールやフランソワ・トリュフォーなどヌーヴェルヴァーグのイメージを取り入れていたことに対するジャーヴィスなりのリアクションではないだろうか。



『フレンチ・ディスパッチ』の「フランス文化への憧憬」は音楽にも。劇中の架空バンドに注目

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』 ©2021 20th Century Studios. All rights reserved.



そして、インディーポップ好きにとって嬉しいのは、フランスの歌姫、ダリダと映画スターのアラン・ドロンが歌った“甘いささやき(Paroles Paroles)”のカバー。ジャーヴィスのデュエットの相手を務めているのは、イギリスのバンド、Stereolabのメンバーで、フランス生まれのレティシア・サディエールだ。



レティシアは明らかにダリダを意識した歌い方で、Stereolabとは違った一面を見せている。ジャーヴィスが呟く「甘いささやき」もドロンに負けないほどセクシーだが、本作でレティシアはジャーヴィスのフランス語の発音指導を務めたそうだ。思えばドロン主演の名作『冒険者たち』(1967年)のヒロインの名前がレティシアで、ドロンは「レティシアのテーマ」を歌っていた。そんな偶然も映画好きには楽しい。



『Chansons D'ennui Tip-Top』と『フレンチ・ディスパッチ』に共通するのは異邦人としての眼差しだろう。ウェスがフランス文化への憧れを映像化したように、ジャーヴィスはフレンチポップへの憧れをアルバムにした。それぞれ架空の雑誌、架空のミュージシャンを通じて。『Chansons D'ennui Tip-Top』と『フレンチ・ディスパッチ』は精神的な兄弟のような作品なのだ。ブリットポップを卒業してフレンチポップのスターに華麗な変身を遂げたジャーヴィス。いつかTip-Topの新作も聴いてみたい。



『フレンチ・ディスパッチ』の「フランス文化への憧憬」は音楽にも。劇中の架空バンドに注目

ジャーヴィス・コッカー『Chansons D'ennui Tip-Top』ジャケット(Amazonで購入する)