Black Country, New Roadという友情の物...の画像はこちら >>



Text by 山元翔一
Text by 細田成嗣
Text by 金本凜太朗
Text by 青木絵美



Black Country, New Roadの初の単独ジャパンツアー最終公演は、個人的にここ数年(コロナ禍以前を含む)で観たバンドのパフォーマンスのなかでもきわめて特別なものだった。そう感じているのは、私がこのバンドのファンだからでも、サウンド的な好みからでもない。



その理由は、あの時間、そして空間には、Black Country, New Roadの各メンバーの音楽に対する思い、それぞれがお互いに向けた限りない敬意と親愛の念に満ちていたからではないか、といまは考えている。そんなバンドの姿にオーディエンスは、1曲目に演奏された“Up Song”の<Look at what we did together / BC,NR friends forever>という一節をシンガロングすることで結果的に即応していた。



「BCNRは永遠の友達同士」というリリックはあくまで冗談から生まれたものだそうだが(※)、この遠い異国の地でもなお、音楽によって心を通じ合わせ、親密な時間をともにつくりあげることができると証明するのにひと役もふた役も買っていたわけだ(キーボード/ボーカルのメイ・カーショウの流暢な日本語でのMCとともに)。



肝心のステージはというと、6人のメンバーは自分のパートがないときはしゃがんだり、座り込んだりしていたことが印象に残った。楽器を持ち替えて演奏する場面もあったから、決して暇を持て余していたわけではないだろう。私はそこにBlack Country, New Roadというバンドにとって重要な何が隠されているような気がした。それはいったい?



そんな東京公演の3日前、チャーリー・ウェイン(Dr)、ルーク・マーク(Gt)、メイ・カーショウ(Key,Vo)に話を聞いた。



「変わってゆく同じもの(The Changing Same)」と、かつてリロイ・ジョーンズは1960年代にアメリカの黒人音楽を論じながら記した。時代も地域もジャンルも異なるが、2010年代の終わりにイギリスはロンドンで頭角を現したバンド、Black Country, New Road(以下、BCNR)にはこの言葉が実に相応しいように思う。



彼ら/彼女らはつねに変化し続ける。それはリードボーカル/ギターのアイザック・ウッドが脱退する以前からそうだった。1stアルバム『For the First Time』(2021年)と2ndアルバム『Ants from Up There』(2022年)を聴き比べてみるだけでもわかるだろう。

だがそれでいて一貫したアイデンティティーを保ち続けてもいるのである。



ならばいったい、BCNRにおいて「同じもの」とはなんだろうか。まずもって彼ら/彼女らの大半は、「ケンブリッジ(※)からロンドンへ」という生活圏の変化を共有していたようだ。



Black Country, New Roadという友情の物語。その音はどのように育まれてきたのか、日本で語る

左から:タイラー・ハイド(Ba,Vo)、ルーク・マーク(Gt)、ルイス・エヴァンス(Sax,Vo)、チャーリー・ウェイン(Dr)、ジョージア・エラリー(Vn,Vo)、メイ・カーショウ(Key,Vo)



プロフィール:2018年、英・ケンブリッジシャーで結成されたロックバンド。バンド名はWikipediaの「おまかせ表示」で見つけた、英・ミッドランドに実在の道路の名前に由来。2023年3月、ロンドン公演のライブ音源9曲の新曲を収録した最新作『Live at Bush Hall』を発表、4月には東名阪来日ツアーを実施した。



─バンドメンバーの多くは高校時代に出会ったとのことですが、出身地域は同じだったのでしょうか?



チャーリー(Dr):ぼくたちは全員が同じ高校ではなかったけど、ほぼみんなケンブリッジ出身だった。ジョージアだけが違って、数百マイル離れたコーンウォール(※1)出身。



16歳~18歳くらいのときに、音楽シーンにいた友人たちを介してみんな知り合いになって、結構長い時間を経ていまのバンドが結成されたんだよ。ルイスとジョージアはロンドンの大学で出会ったんだ。そのころからみんなロンドンに移行していった。



─なぜロンドンに出てきたのでしょうか?



ルーク(Gt):大学のためにロンドンに行ったメンバーもいたよ。

一緒にというわけではなく、各自それぞれのタイミングでね。ぼくも大学はロンドンだったけど、出身はケンブリッジだから、BCNR加入前からバンドのみんなとは知り合いでファンだった(笑)。(チャーリーとメイに)当時、よくバンド活動を続けられていたよね。



メイ(Key,Vo):うん。特にタイラーは大学時代、マンチェスター(※2)に住んでいたから一番大変だったと思う。



ルーク:ロンドンまでの往復が大変そうだった。



チャーリー:ぼくもマンチェスター大学に受かっていて、入ろうかと思っていたんだけど、バンドとしての活動がまだ続いていたし、タイラーがマンチェスターからロンドンに通っていてすごく大変そうだったから、ロンドンの大学に行くことにしたんだ。



Black Country, New Roadという友情の物語。その音はどのように育まれてきたのか、日本で語る

左から:チャーリー・ウェイン、タイラー・ハイド、ルーク・マーク、ルイス・エヴァンス、ジョージア・エラリー、メイ・カーショウ / Photo by Holly Whitaker



─メイさん、ジョージアさん、ルイスさんはギルドホール音楽演劇学校(※)出身ですよね。学校ではそれぞれどのようなことを学んでいましたか?



メイ:私はクラシックピアノで、ジョージアはジャズバイオリン、ルイスはジャズフルートを学んでました。



─ほかの方は別の音楽学校で学んでいたのでしょうか?



ルーク:ぼくは大学では文学と文芸を専攻していたんだ(笑)。



チャーリー:ぼくはギリシャ・ローマ史を専攻していた(笑)。



Black Country, New Roadという友情の物語。その音はどのように育まれてきたのか、日本で語る

下から:チャーリー・ウェイン、メイ・カーショウ、ルーク・マーク



─ギルドホール音楽演劇学校といえば、シャバカ・ハッチングスの出身校としても知られています。

彼と交流はありましたか?



メイ:同じフェスティバルに出演したり、よくライブの現場で見かけるけど面識はないんです。いつも話しかけたいと思っていたけど、恥ずかしくてできなくて。バックステージでいつも真剣に練習しているのが印象的で、最近は尺八をやってるみたい。



─シャバカ・ハッチングスをはじめ、Ezra Collectiveやヌバイア・ガルシア等々、イギリスの同時代のジャズはよく聴かれるのでしょうか?



ルーク:ぼくはあまりジャズには詳しくないんだ。



メイ:ギルドホールにはジャズ科があるから、私の周りにはたくさんのジャズミュージシャンがいるし、そういう友達のギグにはよく行きます。



チャーリー:ぼくはモーゼス・ボイドがすごく好きだな。まだライブでは観たことないんだけど、彼のドラム演奏は本当に見事だ。



メイ:先週、タイでEzra Collectiveを観たけどすごくよかった!



チャーリー:Ezra Collectiveとは同じリハーサル場所を使っているからよく見かけるよね。



ルーク:リハーサル室のドア越しに彼らの音が聴こえるんだけど、毎回すごくいい演奏をしているんだよな。ぼくたちがリハーサル室を出て彼らの部屋を通り過ぎるとき、「うわ、すっごくいい音!」って思う(笑)。



─では、メンバーによってそのあたりの好みや距離感は違っていると。



チャーリー:そうだけど、重なっているのも多くあるよ。

みんな同じような音楽が好きだし、そういう音楽の話をいつもしている。メンバー以外の人とライブを観に行くときもあるけれど、友達のライブだと、結局BCNRのほとんどが遊びに来てることが多いね。



─ルーク・マークさんは2019年にバンドに加入されましたよね。メンバーになる前、BCNRというバンドにはどのような印象を抱いていましたか?



メイ&チャーリー:(ルークのほうをちらっと見る)



ルーク:(笑)。もちろん最高だと思ってたよ! ぼくはアイザックとは幼馴染で同じ小学校、中学校、シックス・フォーム(※1)に通っていて、BCNRの前身バンド(Nervous Conditions)のころからずっと演奏を聴いていたんだ。



当時、彼らはケンブリッジでよくライブをやっていたんだけど、ロンドンでもやるようになったときは一大事だったよ。チャーリーが「最高な会場でライブをやるんだ!」と言って興奮していたのを覚えてて、それがWindmill(※2)だったんだ。



ルーク:ぼくもロンドンに引っ越してからはロンドンのギグも観に行って、メンバーのみんなと遊んだりしていた。そのときからBCNRは本当に最高だと思っていたよ(笑)。



チャーリー:ルークはベルリンまでライブを観に来てくれたこともあったよね?



ルーク:そうそう。前身バンドのころ、Beach Fossilsのサポートバンドとして初のヨーロッパツアーをやったんだ。ぼくは何人かの友人とベルリン旅行を企画してライブを観に行って。

ぼくとバンドの関係はそれくらい古い。たしかツアー中に、チャーリーがぼくの母親の家にアンプを取りに来たこともあったよね(笑)。



チャーリー:あったあった! 逆にルークのギターアンプがぼくの家に1年くらい置いてあったりもした(笑)。



─ルークさんの参加によってバンドはどのように変化したのでしょうか?



チャーリー:とにかくよくなったよ! ルークのギターの音は最高なんだ。



メイ:ギターが2人になったことで新たなテクスチャーが生まれたし、ギターサウンドも拡張されて、レベルアップしたし、可能性も広がったと思う。



─反対に、変わらない部分はありますか?



チャーリー:ないよ。すべてが変わった! バンドのあらゆる側面が変わったんだ!



メイ:みんなに笑顔が生まれたよね。



一同:ハハハ!



Black Country, New Roadという友情の物語。その音はどのように育まれてきたのか、日本で語る

左から:ルーク・マーク、メイ・カーショウ、チャーリー・ウェイン



ルーク:ぼくが入る前は緊張感がやばかったんだ(笑)。



チャーリー:すごかったよね(笑)。



メイ:「ルークが来てくれた~」って。



ルーク:「よかった~」みたいな感じだったよね(笑)。



チャーリー:「これでひと安心」みたいな(笑)。



BCNRが注目されたのは、むろん彼ら/彼女らのユニークな音楽性があってこそだが、それだけではなく、Squid、Shame、Sorry、Goat Girl、そしてblack midi等々、ロンドンとその周辺から出てきたロックバンドの数々がつくりだす音楽シーンがあったから、でもあるはずだ。



そのような音楽シーンが生まれるにあたって、たとえば「Speedy Wunderground」(※1)のようなレーベルによるフックアップも見落とすことはできないが、同じように重要なのは音楽ベニューの存在である。ロンドンのベニューといえば古くはLittle Theatre ClubやUFO Clubなどが知られ、それらは単にライブを行なうための空間を用意しただけでなく、ニュージャズやプログレッシブロックの運動を考えるうえでも欠かせない「場」であった。



そして現代、とりわけサウス・ロンドンを中心にロックバンドが新たなシーンを形成しているのだとしたら、たとえばブリクストン(※2)のベニュー、Windmillはやはり欠かせない「場」であることだろう。



─サウス・ロンドンは経済的な面でも若いバンドが活動しやすい場所でしたか?



ルーク:いまのメンバーでサウス・ロンドンに住んでいたのはぼくだけだと思う。ぼくとアイザックはロックダウン中にサウス・ロンドンに1年間住んでいた。1stアルバムが出たばかりで、2ndアルバムを書きはじめていたころだ。



多くの人がサウス・ロンドンに引っ越してきたのは、経済的な面でノース・ロンドンよりも比較的暮らしやすかったからだと思う。それからアートっぽい雰囲気もあるからかな。サウス・ロンドンには芸術学校が近隣にいくつかあるからね。



だからアート志向の人はそういう理由でサウス・ロンドンに引っ越してくる。その結果、ロンドンのほかの地域に比べると、サウス・ロンドンにはDIYっぽい会場が狭い地域内にたくさんあるんじゃないかな。いまのようなサウス・ロンドンのイメージが定着したのは、Fat White Family時代の影響だと思う。



ルーク:彼らはペッカム(※)や、もうなくなってしまったブリクストンのThe Queen's Headというパブあたりで活動していたからね。あとは、もちろんWindmill。



Fat White FamilyのあとにShameやGoat Girlなどが出てきて、彼らはみんなサウス・ロンドンのバンドとして知られるようになった。その流れでblack midiやBCNRにもそういうイメージがついたんだと思う。実際にサウス・ロンドンに住んでいたのは、ぼくだけだったんだけどね。



あと、black midiのジョーディ(・グリープ)は昔からサウス・ロンドンに住んでいた。だからblack midiはリアルなサウス・ロンドンのバンドだと言えるね。サウス・ロンドンは活気があったから、ロンドンのほかの地域よりもライブができたり、ファンがついたりと、バンドにとってたくさんの機会があった。



─いまのメンバーでサウス・ロンドンに住んでいたのはルークさんだけだったんですね。



ルーク:そうなんだよ(笑)。



─ほかの方たちはどちらにいたんですか?



メイ:私はイースト・ロンドンに住んでて、いまケンブリッジに住んでます。少しのあいだ、チャーリーとイースト・ロンドンに一緒に住んでいた時期もあったけど。



チャーリー:ほかのみんなはいまノース・ロンドンに住んでいるよ。



─2020年12月に、コロナ禍で苦境に立たされたWindmillのドネーションライブをblack midiとともに行ないましたよね。Windmillはあなた方にとってどのような場所ですか?



メイ:大切な場所ですね。初期はよくWindmillでライブをしていたし、バンドのサウンドを発展させていけたのはWindmillのおかげ。



チャーリー:BCNRとしてライブをしたのはそんなに多くないんだけどね。ヘッドライン公演はたぶん2回だけ。



チャーリー:でもぼくたちがミュージシャンとしての活動をはじめるにあたって、Windmillはすごく重要な場所だった。数多くのバンドがWindmillを起点として活動をはじめていたから、その雰囲気を感じられたのがよかった。そうやってほかのバンドを見ると刺激を受けるし、実際、初めてblack midiを観たのもWindmillだったんだけど本当に圧倒された。だからとてもクールな場所だよ。



─Windmillのほかにもロンドンに重要な場所はあったのでしょうか?



チャーリー:The Lexingtonというノース・ロンドンにあるパブでもライブをやっていて、そこはぼくたちにとって初のヘッドライン公演をやったところだから特別な思いがある。ルークにとっては初ライブをやった場所だった。



ルーク:とっ散らかってしまって、あんまりよくないライブだったのを覚えてる……(笑)。



メイ:それはライブ前に興奮しすぎていたからかも(笑)。



Black Country, New Roadという友情の物語。その音はどのように育まれてきたのか、日本で語る

左から:チャーリー・ウェイン、ルーク・マーク、メイ・カーショウ



チャーリー:実際のところはクールで楽しかったよ! なぜ重要だったかというと、The Lexingtonで音響をやっていたのがセルジオ・マシェッコという人で、『Ants from Up There』のプロデュースを手がけてくれた人なんだ。彼との関係性がすごく大事だった。



彼はThe Lexingtonの音響を何年もやっていて、ぼくたちのライブのときもバンドの音がすごくよくなるようにしてくれたし、そのあともぼくたちと引き続き仕事をしたいと言ってくれたんだ。それがすごくよかった。そういう意味でThe Lexingtonは、Windmillと同じくらいぼくたちにとって重要な場所だと思う。



ルーク:MOTH Clubという会場もあったな。



チャーリー:BCNRとしての初ライブをやったところだね。ほかのバンドの前座として入ったんだけど、それが初ライブだった。あれも楽しかったな。MOTH Clubもクールなライブをたくさんやっているよ。



─BCNRは2022年にblack midiと一緒にアメリカツアーを行なっています。black midiに対して「同時代的なアティテュード」を感じることはありますか?



ルーク:もちろんだよ。サウンド的には違うと思うけど、ぼくたちはblack midiとよく一緒にライブをやるから比較されてきたし、一緒にライブをしてきたおかげで仲よくなった。



彼らは一時、少し別の方向性に進んでいたけど、最近はまた戻ってきた感じ。というか、BCNRが向かう方向性に近づいてきたというのかな。自分がやっている活動に近い人と出会うと、何らかのつながりや共通点が見つかる。そしてお互いの活動に影響を受けるんだ。



ルーク:「彼らみたいな音楽をつくりたい!」という感じではなくて、彼らの野心的な姿勢に刺激を受けて、「ぼくたちもバンドとしてそれくらいの基準を目指そう!」と思う。健全な関係性だと思うよ。お互いがお互いの音楽を最高だと思っているし、お互いの音楽についての話もする。両者にとってためになる関係性だと思う。



─おふたりも同じ思いですか?



チャーリー:まったく同感だよ。



メイ:(ルークに)すごくいい答え方だった。



ルーク:ありがとう(笑)。



─black midiのほかに「同時代的なアティテュード」を感じるイギリスのバンドはいますか?



チャーリー:同じシーンにいるバンドで音楽的にも好きなバンドはたくさんいるよ。でもたとえば、BCNRがよく比較されるSquidは少し世代が上で、ロンドン出身のバンドではない。同じ会場やフェスで共演する機会があれば挨拶するし、一緒に遊んだりするけれど、ぼくたちとblack midiの関係性とはどこか違うんだ。



チャーリー:BCNRとblack midiには切っても切れない縁があるというか、特別な関係性なんだよ。black midiとはブッキング担当が同じというのも、関係性を育むきっかけになったと思う。



フェスティバルに出演するとき、ほかの出演者をよく知らない場合もあるんだけど、black midiと一緒にブッキングされていると、友達たちと一緒にフェスティバルにいるような感じになってすごく楽しいんだ。友達っていいよね(笑)。



─去年、carolineという大所帯編成のグループが話題になりましたけど、彼らとは交流があるのでしょうか?



ルーク:carolineは知ってるよ。ルイスがトランペット/ベース奏者のフレディ(・ワーズワース)と知り合いだから、ぼくも会ったことがある。すごくいいやつだよ。



ほかのメンバーはあまりよく知らなくて、carolineは大人数だし、場合によってはメンバーが入れ替わったりしているから、何人かとは会ったことがあると思うけれど、よく知っているというわけじゃないんだ。ライブは観たことあって、本当に素晴らしかったよ!



メイ&チャーリー:ライブ観てみたい!



2022年1月、リードボーカルを務めていたアイザック・ウッドがBCNRを脱退することが発表された。



バンドのカラーを特徴づける要素はさまざまにあるとはいえ、とりわけ「声」は大きな部分を占めている。楽器の音に比して、否が応でも音楽の中心となって聴き手の耳を惹きつけるのはボーカルだからだ。すなわちBCNRには決定的な変化が訪れた。だがアイザック・ウッドの脱退後に発表されたライブアルバム『Live at Bush Hall』(2023年)は、やはりBCNRとしか言いようのない音楽性を保持していた。



それはバンドがリードボーカルを中心とするようなヒエラルキーを形成するのではなく、いわばコレクティブとでもいうべき集団性に軸足を置いていたからでもあるのだろう。その意味ではタイラー・ハイド、メイ・カーショウ、ルイス・エヴァンスの3人がリードボーカルを担う現体制は、むしろBCNRというグループの共同性を、つまりBCNRの本質ともいうべきアイデンティティーを、結果的により強固に打ち出すことになったともいえるのではないだろうか。



─アイザック・ウッドさんの脱退はサウンド面で少なくない変化をもたらしたと思いますが、以前チャーリーさんは「僕たちはまったく違うバンドじゃなくて、音楽的にも同じような世界観を持ち続けているバンド」とおっしゃっていたことがありました(※)。BCNRというバンドのアイデンティティーはどのようなところにあると思いますか?



チャーリー:ぼくが言おうとしていたのは、BCNRは単に「7人という個人が集まった結果」ではなく、それ以上のものであるということ。もしBCNRがアイザックをメインにしたバンドだったら、彼が脱退した時点で音楽をつくらなくなっていただろう。でもBCNRはそういうバンドじゃないんだ。



アイザックが脱退したのは悲しいことだったけれど、バンドにとって致命的ではなかった。BCNRは誰か一人がメインというわけではなかったから。



アイザックが歌っていた歌をいまぼくたちが演奏しないのは、やはり彼でしかできない表現があるし、それにとって代わるものはないと思っているから。それをあえて再現しようとは思わないし、そんなことをしても元のバージョンほどうまくできないだろうし、敬意に欠ける行為だと思う。



チャーリー:ぼくたちはアイザックがいなくなったあともBCNRとして続けたいと思ったし、続ける価値があると思った。この先、ぼくたちにどんなことができるか知りたかったんだ。



いまのところぼくたちはうまくやっていけてると思うし、今後どうなっていくのかも楽しみだよ。それから、アイザックは、これからもぼくたちが音楽をつくっていくようにと促してくれた、ということは言っておきたい。それもぼくたちがバンドを続けていけた要因だった。



メイ:BCNRとして続けるようにと言ってくれたしね。



ルーク:「バンド名はそのまま使っていいよ」って言ってくれたよね(笑)。たしか、「バンド名はそのままにしてくれたら嬉しい」って言っていたと思う。



─音楽的にも、BCNRというバンドにはアイザックさんの脱退以前/以降で変わらない「同じ部分」があると思いますか?



ルーク:同じ部分はたくさんあると思うよ。メンバーはそれぞれ独特な演奏の仕方をするし、たとえばチャーリーのドラム演奏はすごく独特だから、ドラムを聴くと彼の演奏だということがすぐにわかる。たとえ演奏する曲が変わったとしても、そういう要素は簡単に失われない。それは変わらない大きな部分。



それにぼくたちの作曲方法も特殊で、同じ音量で聴かれることを想定して、みんながそれぞれのパートを書いているんだ。ほかのパートがすごくうるさいときに、別のパートがすごく繊細に聴こえるというケースはあまりないと思う。バンドがユニット(単体)として作動している感じがする。それがBCNRの変わらないサウンドの一因でもあると思う。



チャーリー:ぼくも同感だな。



Black Country, New Roadという友情の物語。その音はどのように育まれてきたのか、日本で語る

左から:チャーリー・ウェイン、ルーク・マーク、メイ・カーショウ

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