Text by 今川彩香
安倍元首相銃撃事件をきっかけに、注目を集めた宗教2世の問題。価値観の違いから家族とのあいだに埋めがたい断絶ができたり、宗教とは縁がない友人や恋人と分かり合えなかったり、当事者はさまざまな困難を抱えながら生活をしている。
宗教2世である若者と、その周囲の人々を描く群像劇『そういう家の子の話』が、週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)で連載中だ。その著者であり、自身も宗教2世であることを公表した漫画家の志村貴子にインタビュー。
なぜいま、物語として「宗教2世」というテーマを選んだのだろう? 志村は「昔は、自分の家のことを誰にも打ち明けるつもりはなかった」「いまだからこそ、描きたいと思えた」と語る。これまでの体験を交えながら、本作のことはもちろん、抱えてきた葛藤や思いを語ってもらった。
—志村さんは2023年、SNSではじめて、自分も宗教2世であることを明かされましたね。そのときnoteには、ご自身の生い立ちや抱えている思いについて綴られていました。「エッセイのようでエッセイでない漫画に起こしてみるかなあ」とも書かれていましたが、それが『そういう家の子の話』だったのでしょうか?
志村貴子(以下、志村):文章に書き起こすのも思考の整理になって好きな作業なんですが、それよりもさらに漫画に描き起こしたくなるんです。
もともと、ほかの宗教2世の方の告白本を読むことがあって、自分も何か残したいと思うようになりました。それがnoteに書いたことなんですが、書きながら「これを漫画にしたいな」って気持ちが徐々に固まっていきました。
—連載が途中で終了になったことでも話題になった菊池真理子さんの『「神様」のいる家で育ちました』も読まれたということでした。
志村:はい。もともと宗教2世の方の本をあまり読むつもりはなかったんです。
読んでいくうちに、多くの方が壮絶な体験をされて、つらい出来事が大半という印象を抱きました。だから、自分だったら違う切り口で書きたいなと。読みながらどんどん「自分だったらどう書くかな」という方向に思考がシフトしていって、ネタ被りしないように、後半はリサーチを兼ねて読んでいましたね(笑)。

あらすじ:志村貴子が描く、宗教2世×群像劇。「ふつうの家」に生まれたかった——。「私の家」のことは誰にも話していないイラストレーターの恵麻(えま)。恋人との結婚を考え始め、秘密を打ち明けたい浩市(こういち)。ずっと「いい子」として生きてきた実家暮らしの沙知子(さちこ)。同じ宗教を信仰する家庭に育った幼なじみの3人は、現在28歳。
—『そういう家の子の話』の特徴として、例えば家庭崩壊があったり、暴力的な事件が起きたりするような壮絶なものではなく、淡々と日常が描かれているのが印象的でした。
志村:ドラマチックに描かない、ということを目指しました。そういうものは世に溢れているので、そうではない、スポットが当たらないわりと淡白に暮らしている人々の目線で見る宗教2世の家庭を掬い上げたいなと。ただ、ごく普通に暮らしているといっても、それぞれ思うところは違うと思いますし、派手なことは起こらなくても、そういう視点のものを書きたいんです。
—いわゆる「普通の家庭」というものも、特に基準があるわけではないですもんね。
志村:その中にいると、その異常性に気づかないこともあります。よそに比べてうちはまだ普通……といった感覚も何かがずれているのかもしれないし、その辺は自分もかなり危ういものを持っていると思います。そもそも「普通の家庭ってなに?」というのも、ありますよね。

©️志村貴子/講談社
—noteには、家族に信仰があることについて「私にはこの環境がもう無理だった」と綴られていましたが、そう感じ始めたのはきっかけがあったのでしょうか?
志村:強制されるわけじゃないけど、同調圧力的なものがどうしても生まれてしまうんですよね。例えば、どこの宗教団体にも、支持政党があるじゃないですか。なぜそこに投票しなければいけないのかとか、疑問を持つようになりました。
亡くなった父が幹部だったので、子どものころから、大人の社会に紛れ込むことがあったんです。会合のお手伝いをさせられるなかで、「良くない大人」も見てきました。例えば選挙中に「応援してくださいね」と挨拶していたおじさんが、あとから不正をしていたことが発覚するなど。そういうことの積み重ねで、活動に加わりたくなくなったんです。大半は純粋に教え導こうとする善良な大人たちの集まりだと思うんですけどね……。
中学に上がって、いろんな小学校から子どもたちが集まってくることで、新しい友達の家に遊びに行くと大人の反応が違うことにも気づきました。それまでは牧歌的な雰囲気だったのが、都会的な空気に変わって「うちは普通じゃないの?」と思って息苦しくなってきたんです。

©️志村貴子/講談社
—『そういう家の子の話』に登場する3人の主要人物、エマ、さっちゃん、こうちゃんの3人はどのように生まれたのでしょうか?
志村:3人ぐらいの幼馴染で、男女どちらかに偏らない方がいいだろうと考えました。それぞれに自分の要素が入っているんですが、一番その要素が強いのがエマです。宗教を拒絶しているけど、家族に打ち明けきれてない、みたいなところがある。
実家にいた10代の頃、ほかの人に打ち明けることはできないけど、言われるがままに会合に出るという部分はさっちゃん。こうちゃんは身近な異性の親戚がモデルになっています。
漫画を描いていると何かしら、どのキャラクターにも自分の要素が多少なりとも入りがちなんですけど、今回は意識的に自分の要素を分散させていて、「家を出なかった世界線の私」がさっちゃんかもしれない……といった感じで割り振っていました。
—ご自身が宗教2世であることは、例えば友人ら、周囲には伝えていなかったのでしょうか?
志村:これまでの私は、家が宗教をやっていることは、絶対に誰にも話したくなかったんです。実家にいた学生時代は、家に友達を招くといろんなことが知られてしまうので、だんだん呼ばなくなりました。知られてしまったときには「もうこの人間関係は終わりだ」と思うぐらい。つねに、どこかで知られてしまうんじゃないかとハラハラしていました。
別の宗教の家庭の、宗教2世の知り合いがいて、その人は早々に自分の家のことを明かしてくれていたんですが、私は何年も自分のことは話さなかった。ある日苦しくなって「うちも家が宗教やってるんだよね」とぼかして話したとき、「大変ですよね」という感じでお互いに話せたんです。
noteで初めてはっきりと書いたときに、思ったよりもだいぶ楽だった。「こんな簡単なことだったのか」という感じで。ずっと溜め込んでいてばかみたいだったな、と思うぐらいあっけなかった。そうすると、漫画に描き起こしたいという欲がムクムク出てきました。
ー思ったよりも楽だったというのは、どういう気持ちだったんですか?
志村:別に自分が悪いことをしているわけではないのに、家族の存在を後ろ暗く感じていたんですよね。

©️志村貴子/講談社
—2022年、安倍元首相銃撃事件で山上徹也被告が殺人罪などで起訴されました。山上被告は、母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に多額の献金をして生活がはたんし、「教団と関わりが深い安倍氏を狙った」と供述したことから、宗教2世の問題が大きく注目されるきっかけとなりました。そのことは、志村さんが自身のことを公表する理由や、本作を書く動機にもつながったのでしょうか?
志村:なくはないけれど、ただあの一件がきっかけになって書こうと思ったわけではなくて。なにか問題提起をしたいとかいうことではなく、事件の前からぼんやりと、本当にすごく個人的な思いとして、ずっと吐き出したいとは思っていたんですよね……たぶん。
ほかの宗教2世の方のエピソードや社会的な事件が積み重ねとなって、一つひとつが背中を押したのだと思います。なんとなくモヤモヤした気持ちみたいなものを、絵なり言葉なりで表したいという思いはあれど、それをテーマに据えて書くところまでは、昔だったらその勇気はなかったかな。
ー昔だったら勇気がなかった、いまだからこそ書けた——それはおそらく、逡巡も経てのことだったのかなと思います。
志村:これまで読むことも避けてきた、ほかの宗教2世の方のエピソードを目の当たりにして、もしかしたら自分も何か話せることがあるんじゃないかと思うようになって。詳らかに話している人のことをすごいなあと思っていたのですが、宗教2世と一口に言っても、うちとは違う宗教だし、どこか「同胞」って感じもしなくて、わからなくて。
難しいところなんですが、例えば私は明確に暴力を受けていたわけではないし——それはもちろん、当事者として苦しまれた人にとっては、その告白にどれだけ勇気がいることかとも思うのですが——そこに至らない自分がわざわざ明かす必要があるのだろうか、別に明確なSOSというわけではない告白になにか意味があるのだろうか、おこがましいのではないか? そんなふうに感じて、宙ぶらりんな気持ちでいました。
でも次第に、そうか、言ってもいいのか、という気持ちに変わっていったんです。
—エッセイではなく、物語のかたちを選んだ理由は?
志村:コミックエッセイも好きなんですが、フィクションとは別の難しさがあって、エンタメとして消化するためにはものすごいスキルがいると思いますし、どうしても自分だけの話になっちゃう側面もあると思うんです。
この作品に関しては、自分の経験や体験がベースになっていても、いろんなキャラクターに当てはめて、いろんな側面で見てみたかったから、オムニバス群像劇というかたちにしました。そうすることによって、自分だけの経験だったものが、いろんな人の体験としてかたちを変えて、いくつも書けるかなと思いました。

©️志村貴子/講談社
—ほかの人の話を聞いたり、自ら打ち明けたりすることによって、不思議と気持ちが軽くなっていった、ということをおっしゃっていました。問題提起がしたいわけではないとも言われていましたが、漫画というエンタメとして表現されていることが前提としてあるにしても、どこか宗教2世の方々との連帯したいという側面もあるのでしょうか?
志村:それはありますね。以前『淡島百景』という作品で宗教2世の女の子を描いたことがあります。そのとき私は宗教2世だということを公表していなかったんですが、読者の方が「自分のことかと思った」と書いてくれたんです。その感想を読んだときに、すごく込み上げるものがありました。なんかもう、たまらないというか。
『淡島百景』を描いた当時は、家のことは絶対誰にも話さないで墓場まで持っていこうってぐらいの気持ちでいたときだったので、仲間を見つけたような気持ちでもあったし、複雑な感情でした。単純にうれしかったのが大きかったんですが、短いつぶやきにこっちが勝手に救われた気持ちになったんです。あれは何だったのか。
同じ2世の方が読んで、負担になるんじゃなくて、ちょっとでも軽くなることがあればいいなと思っています。こういう家があるんだよということをニュートラルな視点で書いていきたい。ついでに面白がってもらえればいいなという思惑もありつつ、その一方で、それを読むことによって、少しでも「うちと同じじゃん」って思ってもらえればいいなという思いがあります。

©️志村貴子/講談社
—答えのない質問だとは思いつつ……。家族を愛する気持ちもあるなかで、自分とは相容れない価値観の宗教が、その関係性のあいだに横たわっているというのは、語り切れない難しさがあるのだろうと考えています。信仰は自由で、宗教そのものが「悪」というわけではないし、じゃあ、どうしていくのが最適解なんだろうか、ということも考えてしまいます。
志村:家族との付き合い方は、私の人生の課題なんですよね。たぶん宗教が絡まなければ、たまに会う存在としては何の問題もない。その障壁になっているものが厄介なんですが。
母と衝突することが多かったので、距離を取ることが自分のなかでの最適解になってしまいました。でも、決して仲が悪かったわけではなかったし、家族のことが好きな部分もあります。それだけに憎めないし嫌いになりきれない、拒絶しきれないという難しさがありますよね。
—お話をうかがって、宗教に限らず、家族との価値観の違いによる苦悩はさまざまなところであることだとも感じました。『そういう家の子の話』というタイトルからも、登場人物は私たちと地続きであり、すぐ隣にいる存在であると感じさせます。宗教2世の問題を、そんなふうに捉えてもらいたいという思いもあるのでしょうか?
志村:それはすごくありますね。漫画のなかにも、宗教2世ではない、外から見た視点の話も入れていきたいと思っています。宗教2世というのは、本当に要素の一つでしかないんです。