いまなお昭和の雰囲気を残す中央線沿線の穴場スポットを、ご自身も中央線人間である作家・書評家の印南敦史さんがご紹介。喫茶店から食堂まで、沿線ならではの個性的なお店が続々と登場します。


今回は、吉祥寺の喫茶店「武蔵野珈琲店」をご紹介。

○吉祥寺の喫茶店「武蔵野珈琲店」

吉祥寺駅南口を出て、真正面に見えるマルイの右脇が「七井橋通り」(個人的には「マルイの横」と読んでいたんですけどね)。かつては個性的なお店が軒を連ねていた、井の頭公園へと続く小さな商店街です。長く続いていた古着の「サンタモニカ」も店を閉めちゃったらしいし、いまではずいぶん様変わりしちゃいましたね。

でもそんななかにあって、もう40年以上も同じスタイルを貫き続けているのが、今回ご紹介する「武蔵野珈琲店」。ファミリーマートの真正面、1階に古着屋さんがあるビルの2階。


階段を上がってすぐ右側の突き当たり。

「おいしい珈琲をどうぞ」の看板が目印。

入るとすぐ左に4人用のテーブル席があり、

右側に折れると、コーヒーカップが並んだ厨房に向き合ったカウンター席が表れます。

その向かいにはテーブル席もあるので、ひとりだったとしても周囲を気にせず落ち着けるはず。いい具合にすすけた白壁も、長い時の流れを感じさせます。

ただ個人的には、そのさらに先、すなわち窓際の席が好きなんですよねー。


学生時代、井の頭池の向こう側に住んでいた暗い女の子とこの席に座り、ときおり通りに目をやりながら暗い話をしていた(なにしろ暗黒の青春)思い出が懐かしくてですねえ。

社会人になってからは、古い友人でもある漫画家 / イラストレーターの江口寿史先生ともここで打ち合わせしたな。

つまりここに座ると、さまざまな記憶が蘇ってくるわけです。でも、改めてお店のことを調べなおしてみて意外に感じたのは、創業が1982年だということ。ってことは、暗いあの子と訪れていたころは、まだオープンから数年しか経っていなかったわけです。とてもそうとは思えなかったなー。


さて、店名からもわかるようにここはコーヒー屋さんです。

ただ、ひさしぶりにお邪魔するにあたっては、コーヒーと一緒に絶対に頼みたかったのが「クロックムッシュ」なんですよ。

初めて食べたとき、他店のそれとは明らかに違う味に感動した記憶があるからです。「他店のそれ」のレベルが低すぎただけかもしれませんけれど、ともあれまた味わいたくて。

そこで、ブレンドコーヒーとクロックムッシュをオーダーしました。

静かな店内には、バッハの教会カンタータ。
メニューの表紙にはバッハ「珈琲カンタータ」の一節が引用されていますし、レジにはクラシックのCDがズラリと並んでいますし、マスターの一貫した好みが伺えます。

それはともかく、大倉陶園のカップに入ったブレンドをいただいてみた瞬間、過去のいろいろな出来事を思い出しました。キザな表現だし気のせいかもしれないけれど、苦味の強いその味が、当時とまったく変わっていなかったから。

気がつけばカウンターには数人の常連さんが並んでいて、なにやら楽しそうに、あれこれマスターに話しかけています。考えてみるとカウンター席に座ったことはなかったし、マスターと話をした記憶もないのだけれど、常連さんにとっては居心地がよさそうです。一方、向かいの席ではひとりの男性が熱心に本を読んでいたりして、その姿も含めてみんないい雰囲気。


なんてことを考えていたら、お待ちかねのクロックムッシュが運ばれてきました。

白い皿にはレタスが並べられ、2切れのオレンジの横に、見た目も香ばしいクロックムッシュの姿。

パンのなかにはハムが見え、もちろんチーズもたっぷり。

チーズは2種を使っているそうですが、なるほど鈍感な舌でさえ味わいの違いがわかります。サクッとした食感のあとにふんわりとした質感が追いかけてくるその味わいも、これまた懐かしさ満点。

そこそこにボリュームもあるので、ランチにも最適です。


ところでクロックムッシュをいただいているとき、伝票に「もう一杯いかがですか!」の文字を発見したんですよ。「2杯目はブレンド350円です」とのこと。こんなサービスあったっけ? 覚えてないけど、ちょうど「もう少し飲みたいな」と思っていたタイミングだったので、ボブ・ディランよろしく「コーヒーもう一杯」(関係ないけど、1975年に出たディランのヒット曲です)。

2杯目のカップはロイヤル・コペンハーゲンで、少し小さめなところが量的にはちょうどいい感じ。

苦味を感じながら読みかけの本に向き合い、飲み終えたころにまたふたたび20代のころのことを思い出してみたりもしたのでした。

そういえば井の頭池の弁財天は女の神様なので、カップルがいると嫉妬して仲を引き裂くとかいう伝説があったよなあ。池の向こうに住んでいたあの子との仲も、もしかしたら弁財天さんが終わらせたのかも(いやいや、自分のせいだろう)。

窓の外に見えたカップルの姿を目で追いながら、そんなことをふと考えたりしたのでした。

●武蔵野珈琲店
住所: 武蔵野市吉祥寺南町1-16-11 荻上ビル 2F
営業時間: 12:00~20:00(L.O. 19:30)
定休日: 無休

印南敦史 作家、書評家。1962年東京生まれ。音楽ライター、音楽雑誌編集長を経て独立。現在は書評家として月間50本以上の書評を執筆。ベストセラー『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社、のちPHP研究所より文庫化)を筆頭に、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『読書する家族のつくりかた 親子で本好きになる25のゲームメソッド』(星海社新書)、『書評の仕事』(ワニブックスPLUS新書)、『読書に学んだライフハック――「仕事」「生活」「心」人生の質を高める25の習慣』(サンガ)、『それはきっと必要ない: 年間500本書評を書く人の「捨てる」技術』(誠文堂新光社)、『音楽の記憶 僕をつくったポップ・ミュージックの話』(自由国民社)、『「書くのが苦手」な人のための文章術』(PHP研究所)、『いま自分に必要なビジネススキルが1テーマ3冊で身につく本』(日本実業出版社)ほか著書多数。最新刊は『先延ばしをなくす朝の習慣』(秀和システム)。 この著者の記事一覧はこちら