74歳にしてますます俳優としての魅力が冴えている奥田瑛二。現在は、杏が主演を務める映画『かくしごと』で、主人公・千紗子が長く絶縁状態にあった、認知症を患う父・孝蔵を演じて、一見したところ奥田だとは分からないほどの凄まじい役作りを披露している。
『かくしごと』は、事故で記憶を失い、体中に虐待の痕のある少年と出会った女性・千紗子が、彼を守ろうと母親と偽って暮らし始めるミステリー。千紗子は父を介護するために長野の田舎に帰郷し、そこで少年と出会うことになる。「スタートラインの真っ白なところに自分を置くため」、介護施設に自ら通って役作りしていったという奥田。そうした役との向き合い方の原点とも言える、熊井啓監督作品の逸話や、自身が、名優・緒形拳を迎えてメガホンを取った『長い散歩』の成り立ちなど、その岐路を聞いた。
○名匠・熊井啓監督との仕事は、映画における自分のベース
――新作『かくしごと』の物語は長野県が舞台で、ロケ撮影もされています。長野県といえば、奥田さんが『海と毒薬』(86年)に始まり幾度も組んできた熊井啓監督の出身県です。熊井監督との出会いは、奥田さんにとって大きなものでしたか?
大学に入って教養課程がありますよね。熊井監督との出会いは、僕にとっての映画におけるそうした期間、最初のベースとなり、とても中身の濃い時間でした。
――『海と毒薬』は社会派の重厚な作品です。単独主演作ですが、当時、プレッシャーを感じることはありましたか?
プレッシャーはなかったです。オーディションだということも知らなかったんですよ。主役に決まっていると思っていました。
――短かったのは、そもそも話ではなく、終わってからの後ろ姿が見たかったから。
そう。正面よりも後ろ姿。「瑛ちゃんがドアを出て長い廊下を帰っていったでしょ。その後ろ姿で君は決まったんだよ」と。『海と毒薬』の本編で、手術シーンから、夜の廊下を打ちひしがれた主人公がいたたまれずに歩いていくシーンがあったんです。そこのイメージが監督には最初からあったんです。
『千利休 本覺坊遺文』では自ら丸坊主にして着物で生活
――そこを撮れる役者が欲しかったんですね。
そういうことです。
――自主的に?
もちろん。「君で行くから」と言われてすぐに坊主頭にして、裏千家の親戚筋のお宅に1年間通ってマンツーマンで茶道を習いました。そのあと、クランクインの1カ月前に「すまないが、お茶を習いに行ってもらえないか」と言われたんです。
――そのころにはすでに準備万端ですね。
「嫌です」って言ったんです。
――「嫌です」?(笑)
それでも頼むからと言われて、「しょうがないですね」って裏千家の本家に近い方のお屋敷に行ったんです。そこで「実家が愛知県で茶碗は作ってましたが、お茶は母親が趣味でやっていたくらいです。まず通しで1度やらせてください」と言ったら、先生もみんなもビックリしながら「じゃあ、とりあえず」ということになったんです。それで一緒にいらした(共演者の)「萬屋(錦之介)さんがお客ということで」と始めたら、先生が「奥田さん、もう続けなくていいです。
――(苦笑)。すぐに出来ると分かったんですね。
それくらい熊井監督の撮る作品の重さというのがあったんです。命がけでやらないと。周りには三船敏郎さんや萬屋さんといった、そうそうたるメンバーがいらっしゃって、若造の僕がダメなら作品が終わりですから。熊井監督の作品で教養課程をみっちり過ごしました。
高校3年で「故郷を捨てます!」その決意があって今ここにいる
○監督作『長い散歩』は「誰も見たことのない緒形拳」を撮るため――なるほど。『かくしごと』では児童虐待について描かれますが、奥田さんの監督作『長い散歩』(06年)でも児童虐待が描かれていました。主演の緒形拳さんは、「ぜひ!」と奥田さんがオファーされたそうですね。
百戦錬磨、鍛えに鍛え抜かれた大スターとして君臨していた人です。そんな緒形拳というすごい俳優を「日本の映画界は60歳を過ぎると、なぜ一番ケツ(止め)や、2番手に回してしまうんだ」と憤ってたんです。
――ベースに浮かんでいた作品を緒形さんに託したのではなく、そもそも緒形さんありきで生まれた作品なんですね。
「なぜ緒形拳をもっと使わないんだ!」と。「出ずっぱりで主役で使えよ」と。それで誰も撮ったことのない緒形拳を撮ろうと思ったんです。同じ俳優であり後輩である自分が、きちっと尊敬の念をもって立ち向かえば緒形さんもOKしてくれるんじゃないかとオファーしました。
○主演映画『洗骨』から新作『かくしごと』へ。
――2019年公開の主演映画『洗骨』は、奥田さんが口説かれた側ですね。
5年前だから69歳かな。それまで、求められる役と自分がやりたいような役にはギャップがあった。
――そうなんですか?(苦笑)
説明セリフをベラベラしゃべったり。「もうそういうのはやめて、これからは人生を描けるような役を演じるぞ」と思っていたら『洗骨』の話が来たんです。ゴリちゃんからね(ガレッジセールのゴリ。監督名義は照屋年之)。調べたらショートフィルムなんかを撮っていて、「よし、一発、彼にかけてみよう」と決めました。
――こちらもステキな作品でした。
このときのプロデューサーのひとりだった小西啓介さんが、『かくしごと』のエグゼクティブプロデューサーのひとりなんですよ。
――そうなんですね! 本作は登場シーンから、奥田さんと分からないほどでした。
俳優はね、いつも傲慢不遜でなきゃダメなんです。
――今回もご自身で調べて行ったんですね。
そこに入っている人たちと一緒に話したり、もちろん先生にもいろいろ質問したりしましたが、「僕たちも気づきませんでした」といったところまで観察しましたよ。みなさんと仲良くご飯を食べたりして見ていきましたから。そこから自分なりのキャラクターが出来ていくわけです。そういうことから始めないと、この役はできませんでした。1人でそういうことをするのが好きなんですよ。ところで、監督が「よーい、スタート」と言って、「OK!」となったとき、「OK」にもいろんな言い方がありますよね。同じ人なのに。たとえば「はい、OK」(あまり感情をこめず)、これは何点だと思いますか?
――70点くらいでしょうか。
100点。OKはすべて100点なんです。
――なるほど。
でも監督が思っている以上のことをやらなきゃいけないのが役者だから、七転八倒するわけです。「もう1回お願いします」と言っても監督がOKと言ったら、「俺が言ってるんだから」となる。
――奥田さんも「もう1度やりたい」と言ったりしますか?
ほとんど言ってませんね。やりたいことがあればその前に話し合いますし、どうしてももう1度やりたいと思ったときは、わざとNGを出すんです。
――(笑)
「ああ、すみません」と噛みながら、わざとNGを出す。それくらい根性なかったらダメですよ。とにかく監督のOKは100点。99点だとか、40点の赤点だとか、そういうのはないんです。
――少し逸れますが、奥田さんは有言実行、不言実行どちらのタイプですか?
めちゃくちゃ言葉に出します。有言実行。人はちゃんと思って考えなきゃダメだし、それを僕は口に出します。子どもの頃から。父親には「お前は口ばっかりでダメだ」と言われましたけど、「今に見ておけ」と思ってました。
――それくらいの気持ちがないといけませんね。
“気持ち”じゃないの。もっとすごいもの。今だと死語になっちゃうけど、ど根性の決意。そういう決意をもって「故郷を捨てます!」と言ったのが高校3年生の時。捨てるってことは命がけです。そうじゃなかったら、いまここに座っていません。
■奥田瑛二
1950年3月18日生まれ、愛知県出身。1976年に俳優デビュー。79年『もっとしなやかに もっとしたたかに』で認められる。初の単独主演作となった熊井啓監督の『海と毒薬』(86)で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。『千利休 本覚坊遺文』(89)で日本アカデミー主演男優賞受賞。2001年には初の映画監督を務める。長編3作目となる『長い散歩』(06)でモントリオール世界映画祭グランプリを受賞。多岐にわたって活躍を続ける。近年の主な出演作・映画に連続テレビ小説『らんまん』(23)、『99.9-刑事専門弁護士-THE MOVIE』(21)、『アキラとあきら』(22)、『花腐し』(23)など。