ハトのマークを付けたレトロなスクーターに遭遇! どこのメーカーが作ったなんというモデルでしょうか?

旧・財閥が戦後に作ったスクーター

作ったのは終戦直後の1946年(昭和21年)、戦闘機の零戦などを製作していた軍需産業から、平和産業として再出発したメーカーです。車名はハトの英語名でした。


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○問題をおさらい!

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○【答え】中日本重工業(現・三菱重工業)「シルバーピジョン」

太平洋戦争の敗戦直後となる1946年(昭和21年)、中日本重工業(現・三菱重工業)が製造を開始したのが「シルバーピジョン」というスクーターです。車名には平和の象徴であるハトを意味する「ピジョン」を取り入れました。

初代モデルの「シルバーピジョン C-10型」は、GM(ゼネラルモータース)に32年間勤めて帰国していた丸山康次郎氏が持ち帰った米サルスベリー社のスクーター「モーターグライド」の図面を元に、三菱の技術陣が心血を注いで製作しました。全長1,550mmの特徴的なボディの後部に1.5PSを発生する112ccの2ストローク単気筒エンジンを搭載しており、最高速度は50km/hでした。

フロントには平和の願いを込めたハト(ピジョン)のシルバーエンブレムを装着。エンジンルーム後端にはおしゃれな「SILVER Pigeon」のロゴが描かれています。1948年には細部を改良したC-11型が登場し、その性能の良さから当時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)に献上されたといいます。

ライバルとなる富士重工(前身は中島飛行機、現在のスバル)が作った「ラビット」とともに、スクーターは庶民の足として人気を獲得し、モデルチェンジも頻繁に行われました。1951年(昭和26年)の「C-35型」は、ボディが1,985mmへと拡大されるとともに自動変速機を改良し、乗り心地も向上。エンジンは175ccへと排気量をアップして3.5PSを発生し、最高速度は60km/hとなりました。

1960年の「C-L10」型では、新しい時代のライトスクーターとしてボディ各部に樹脂材を多用し、軽量化と操縦安定性の向上を図りました。1964年の「C-240型」は、初代「デボネア」のデザイナーだったハンス・ブレッツナー氏がデザインを担当。
ロケットイメージのアメリカンスタイルで、フロントフェンダーには三菱のエンブレムが入るという、最終型に相応しいモデルになっていました。

シリーズの総生産台数は46万台以上に達しました。以降、三菱は四輪車生産へと舵を切ることになります。

それでは、次回をお楽しみに!

原アキラ はらあきら 1983年、某通信社写真部に入社。カメラマン、デスクを経験後、デジタル部門で自動車を担当。週1本、年間50本の試乗記を約5年間執筆。現在フリーで各メディアに記事を発表中。試乗会、発表会に関わらず、自ら写真を撮影することを信条とする。RJC(日本自動車研究者ジャーナリスト会議)会員。 この著者の記事一覧はこちら
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