日本に根を下ろして活動するジョニー・セリス氏(写真は本人提供)
2012年から現在まで、日本国内、数多くの独立リーグ球団に所属してきたジョニー・セリス。今季より、北海道フロンティアリーグ「KAMIKAWA・士別サムライブレイズ」に選手兼ヘッドコーチとして入団、豊富な経験で若いチームを支える存在だ。
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来日以前は米国や母国であるベネズエラでマイナーリーグや独立リーグでもプレーし、日本ではNPBで通訳としても活動した経歴も持つ。国内外でさまざまなキャリアを積んできたジョニーに、自身の足跡を語ってもらった。
もともと、日本には野球の強豪国というイメージを持っていたというジョニーは、エージェントからのオファーをきっかけに日本行きを決意。関西独立リーグの「神戸サンズ」から日本での選手生活をスタートさせた。
「日本の選手はみんな、野球に対する意識が高いと感じました。普段から練習に一生懸命、取り組んでいましたし、外国のスタイルや技術を知りたいと、僕に聞きに来る選手も多かったです。
来日当初より、チームメートたちの野球への意欲、そして上達することへの貪欲さが特に印象強かったと振り返る。その一方で、異国での生活ではやはり、乗り越えるべき「壁」もあったようだ。
「最初は言葉の面で苦労しました。僕は英語とスペイン語を喋るんですけど、もちろんチーム内での会話は日本語で行われており、通訳がいない状況などもあったので、初めの頃は監督やコーチ、チームメートとのコミュニケーションで困ることも多かったです。それでも、そういう経験から『自分でも日本語を覚えたい』という想いが生まれました」
その後、公私両面で支障が出ない程に日本語が上達。8年にわたり選手生活を送った後、2020年には日本ハムからのオファーを受け、外国人選手の専属通訳も務めた。
「日本ハムで通訳として活動し、シーズン終了の報告のため、栗山英樹監督(当時)の部屋に行きました。翌年の独立リーグ監督就任が決まったことなどについて話すと、栗山監督やコーチの皆さん、スタッフの皆さん全員が『おめでとう』と言ってくれたんです。『これからも応援するね』と激励の言葉もかけてくれて、その時の祝福に自分はすごく感動しました。僕の日本のキャリアの中でも特に思い出として残っていますね」
2021年以降は監督や選手兼任コーチなど、指導者としての役割も担うようになった。
「自分はいつも『エンジョイベースボール』という言葉を選手に伝えています。その言葉には、もちろん野球を楽しむという意味もありますが、“一生懸命”や“ハングリー”という想いも持って欲しい、“心を燃やしてプレーに取り組んでほしい”、そういう意味も込めた言葉なんです」
すでに来日から10年以上が過ぎたものの、野球への情熱が衰えることはない。日本で培われた熱いハートは今もなお、燃え滾っている。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]