ソトは印象深い選手に巨人の阿部現監督やチームメイトだった井端氏らの名前を挙げた(C)産経新聞社、右は本人提供写真

 かつて、中日、DeNAでプレーしたエンジェルベルト・ソトは、現役を引退した2017年より母国ベネズエラで指導者としてのキャリアをスタートさせた。現在はカナダの野球アカデミーで、リトルリーグ年代の育成に携わっている。

 先発、リリーフの両方で活躍したサウスポーは、来日1年目には中日のリーグ優勝にも貢献している。日本でのプレー当時の思い出や、今後の夢について語ってもらった。

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 NPBでプレーしていた2011年から2014年の4シーズン、対戦した中で特に印象に残っている打者が誰だったかという質問には、「本当に色々な選手が思い出されるので難しい」と笑顔を浮かべながら教えてくれた。その答えではやはり、当時の強打者の名前が並ぶ。

「もちろん、印象に残る選手は多いです。その中でも、後に監督になった阿部(慎之助)さんやラミちゃん(アレックス・ラミレス)、また、最初はチームメイトとしてもプレーしていた井端(弘和)さんとの対戦もよく覚えています。

この3名の選手は、なかなかアウトが取れなかったですね。また、巨人の高橋(由伸)さん、坂本(勇人)さんも打ち取ることがとても難しいバッターでした」

 2000年代以降、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)などの国際試合で実績を残したことにより、日本野球への評価は米国にも匹敵するまでに高まる時代を迎えた。日本がWBCで2度の優勝を果たした後に来日したソトは、当時の日本のレベルをどう捉えていたのだろうか。

「私が中日やDeNAでプレーしていた当時も、米国で活躍できる日本人選手は大勢いました。現地の環境に慣れることができれば、日本の選手のプレーはメジャーレベルで十分活躍するだろうという思いは常に持っていました。また、現在ドジャースで活躍する大谷(翔平)選手は、日本ハムでのルーキー時代からみていましたし、プロ入り直後より『二刀流』へのチャレンジがスタートしたことも覚えています。

やはり彼にも当時からメジャー並のポテンシャルを感じました」

 NPBでは、招待選手として中日の春季キャンプへの参加から始まり、テストを経て契約を勝ち取るも、そこから4シーズンの間には故障にも苦しみ、2軍落ちや移籍も経験した。異国での4年間、苦難を乗り越えながら過ごした日々の中でも、多くのことを学んだという。

「日本では色々なことを経験できたのですが、特に『考える』ということを教えていただきました。プレーを向上させるために、パワーだけではなく細かい部分まで変える、研究するという姿勢が重要であると強く感じました。また、そのために、人の話にしっかりと耳を傾けるなど、チームメイトやコーチとのコミュニケーションの大切さにも気づくことができたんです」

 最後に、ソトがこれから実現を目指す夢を語ってもらった。

「私は野球を通じて、多くの人々と出合い、色んな文化を知ることができました。

それは引退後の現在も同じです。子供たちに競技としての技術や魅力はもちろん、野球に携わることで、人生が豊かになることを伝えていきたいですね」

[文/構成:ココカラネクスト編集部]