着実に調子を上げている村上。節目の200号アーチが待たれる(C)産経新聞社
5月5日の子どもの日に、背番号55を背負うヤクルト・村上宗隆の期待された節目の一発はお預けとなった。
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背番号にちなみ、端午の節句に一発を期待したスタンドのヤクルトファンからはため息が漏れた。もっとも、新記録誕生は時間の問題だろう。村上は前日まで3試合連発、5戦4発という固め打ちをみせていた。今季は自身最も遅い、54打席目にようやく1号を放った。
ちなみに村上は現在24歳と3か月。最年少記録の保持者は1992年の西武・清原和博で24歳10か月であり、新記録誕生は確実視される。清原に次ぐのが1965年の巨人・王貞治と1999年の巨人・松井秀喜の25歳3か月なので、歴史に残るレジェンドをはるかに上回る速さで200号という節目に到達することになる。
ただし、年齢だけでは速さを計ることはできない。
ただ、出場試合数で比較した場合、村上の200号到達は史上最速ではない。
もっとも、史上最速の山川穂高(697試合)、2位の田淵幸一(714試合)は、ともに大卒選手。そのため、高卒の村上との比較は、別の意味でフェアではない。なお田淵と並んで2位タイの秋山幸二は西武時代の1990年、すでに村上よりも速い714試合で200号の節目に達していた。だが、その時点で28歳0か月と、年齢でははるかに後れを取る。秋山は高卒1年目の1981年に3試合の1軍出場を果たしたが、1982年から米国へ3度の野球留学を経験。
3日の中日戦では今季7号ソロで、本拠地の神宮球場通算100号に到達。山田哲人の26歳10か月を抜いて史上最年少記録を樹立したばかりだ。2年前の三冠バッティングを取り戻しつつある今、200号到達にとどまらず、どんどん最年少記録を更新し続けそうだ。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]