着実に調子を上げている村上。節目の200号アーチが待たれる(C)産経新聞社

 5月5日の子どもの日に、背番号55を背負うヤクルト・村上宗隆の期待された節目の一発はお預けとなった。

前日に両リーグ単独トップに立つ8号アーチを描き、通算199号として史上最年少での200号に王手をかけて迎えた5日の中日戦。抜群の出来だった相手先発の高橋宏斗の球威に押され、二ゴロ、空振り三振、四球、一ゴロで、3打数無安打、1打点だった。

【動画】待望の今季1号!村上宗隆がバックスクリーン左へ本塁打

 背番号にちなみ、端午の節句に一発を期待したスタンドのヤクルトファンからはため息が漏れた。もっとも、新記録誕生は時間の問題だろう。村上は前日まで3試合連発、5戦4発という固め打ちをみせていた。今季は自身最も遅い、54打席目にようやく1号を放った。

生みの苦しみを味わい予想外のスロースタートとなったが、すでに「定位置」であるリーグトップに浮上。昨年は打率.256、31本塁打と苦しんだが、史上最年少での三冠王に輝き打率.318、56本塁打だった2022年の打席での圧力を取り戻しつつある。

 ちなみに村上は現在24歳と3か月。最年少記録の保持者は1992年の西武・清原和博で24歳10か月であり、新記録誕生は確実視される。清原に次ぐのが1965年の巨人・王貞治と1999年の巨人・松井秀喜の25歳3か月なので、歴史に残るレジェンドをはるかに上回る速さで200号という節目に到達することになる。

 ただし、年齢だけでは速さを計ることはできない。

誕生月のタイミングも記録に影響するからだ。では出場試合数ではどうか。村上は5日の中日戦が通算723試合目だった。ちなみに清原の200号は824試合目。出場試合数で比較しても、村上は清原より100試合近く速く到達する可能性がある。松井は841試合、王は870試合目だった

 ただ、出場試合数で比較した場合、村上の200号到達は史上最速ではない。

外国人選手を除き日本人選手限定で見ても、すでに上の選手が3人いる。

 もっとも、史上最速の山川穂高(697試合)、2位の田淵幸一(714試合)は、ともに大卒選手。そのため、高卒の村上との比較は、別の意味でフェアではない。なお田淵と並んで2位タイの秋山幸二は西武時代の1990年、すでに村上よりも速い714試合で200号の節目に達していた。だが、その時点で28歳0か月と、年齢でははるかに後れを取る。秋山は高卒1年目の1981年に3試合の1軍出場を果たしたが、1982年から米国へ3度の野球留学を経験。

その間はマイナーリーグでプレーした。1軍定着したのは5年目の1985年からで、そういった環境を考慮すれば、大卒選手に近い括りとした方が健全なのかもしれない。若さでも、試合数でも、歴代の名選手をはるかに凌駕するスピード到達と断言していい。

 3日の中日戦では今季7号ソロで、本拠地の神宮球場通算100号に到達。山田哲人の26歳10か月を抜いて史上最年少記録を樹立したばかりだ。2年前の三冠バッティングを取り戻しつつある今、200号到達にとどまらず、どんどん最年少記録を更新し続けそうだ。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]