『仮面ライダー』50周年プロジェクトとして、庵野秀明が監督と脚本を務めた映画『シン・仮面ライダー』。公開前は多くのことがベールに包まれていた本作は、3月17日に劇場公開されるとさまざまな反響を呼び、特にラストでの仮面ライダーと仮面ライダー第0号の戦いは大いなる衝撃を与えた。

公開からしばらく経ったいま、本郷猛/仮面ライダーを演じた池松壮亮と、チョウオーグ/仮面ライダー第0号を演じた森山未來が、壮絶な撮影を振り返る。

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■それぞれが演じたキャラクターへの理解

――作品公開後、おふたりの周囲の反響はいかがでしたか?

池松:普段からあまり作品の感想の連絡とか来ないのですが、この作品は多くありました。家族や知り合い、知り合いの子ども、友人たちからたくさんの連絡をもらいました。こちらがそんなに観なくても良いのにと思うくらい何度も何度も観てくれている人もいると聞き、この作品がたくさんの人に愛され、応援してもらっていることを日々感じています。

森山:周囲というわけではないのですが、賛否両論さまざまな意見が出るなあという印象がありました。でも、『仮面ライダー』のリアルタイム世代やアニメファン、特撮ファン、まったく仮面ライダーに触れていない人など、いろいろな層の方が観てくれているからこその反応だと思うので、通り一辺倒な反応よりもいいなと思っています。
同じ作品で面白いと感じる人と、そうでもないという人が混在していることも映画の醍醐味だと思うので。

出来上がった作品を観たとき、庵野監督がアクションをどう切り取るのかということに対して、現場で悩まれていた足跡みたいなものが見えるのがいいなと思いました。ザ・格闘アクションから、どんどん悩みながら最終的には泥仕合的なものになっていく。これだけ大きな規模の作品で実験的なことをやれるということが、非常に興味深かったです。

池松:周りの反響や宣伝活動でも感じましたが、あらゆる世代、たくさんの人がこの作品の完成を待っていてくれたんだと深く実感しました。どんなものに仕上がっているのか、とても待ち望んでもらえた作品だったんだと何度も感じました。
それぞれがそれぞれに鑑賞し、煮るなり焼くなり好き好きに感じてほしいと思っています。そして願わくば、これからも愛され続ける作品になってくれたらなと思っています。

――改めて脚本を読んだとき、ご自身が演じたキャラクターについて、どう解釈していったのでしょうか?

森山:まず、分量が非常に多くて2時間で収まるのかなと思いました(笑)。でも、それぞれのキャラクターの役割みたいなものがすごく現代的に解釈されているのが単純に面白かったです。コウモリオーグは、COVID-19から来ているものだし、ハチオーグもアリやハチが持つ真社会性みたいなものから人間社会を見ようとしている。チョウオーグに関しても、ハビタットとかメタバースという、ちょっとさかのぼれば映画の『マトリックス』の世界ですよね。
そのアレンジメントがとても魅力的でした。ただ、脚本を読んで物語を知っていても、映画を観たとき情報量が多すぎて、なかなか1度ではすべてを把握できない。リピートして観るとさらに深く感じられるんだろうなと思いました。

池松:物語の情報量は膨大でしたが、個々のキャラクターの情報量はそれほど多く描かれているわけではありませんでした。この作品ならではの特異な脚本の作りで、ここからどんな世界が広がっていくのか、いかようにも広がる可能性を感じてワクワクしました。どうキャラクターに肉付けしていけるのか、この作品がどこに向かうのか、とても楽しみでした。


■未体験の撮影となったラストのアクションシーン秘話

――仮面ライダーと仮面ライダー第0号が対峙するラストシーンは、特に大きな反響があったと思いますが、撮影を振り返ってみていかがでしたでしょう。

池松:すごい試みだったと思います。もう殆ど事件です(笑)。この作品以外ではあり得ないものだったと思います。時間無制限、セリフはありますし、物語的な段取りはあるものの「はい、やってみましょう。映り込むカメラは後で消します」という言葉で始まって。
ほとんどストリートファイトでした(笑)。15人ぐらいいたかな。カメラを抱えてみんなが周りから撮っているなか、森山さんとふたりだけの呼吸でおよそ3分間、ぎりぎりやり遂げたシーンでした。客観的に見れば面白い試みですが、良い子は真似しないでほしいですし、もう二度とやりたくありません(笑)。

森山:ライダースーツがぴっちりしていて、皮膚呼吸ができない状態でしたからね。酸素が入ってこないなか、ランダムな泥仕合のようなアクションを提案されたので。
あとから見ると、非常に生々しい映像になっていましたが、やっている僕らは取っ組み合っている状況だったので、どう映っているかなんてわからない(笑)。どっちがマウントをとっても成立するような感じなので、本当に僕らの呼吸だけでやった3分間でしたね。酸欠になりかけました。

――これまでにないような経験でしたか?

池松:ラストシーンに関してはずっと伏せてきたので、あまりしゃべらない方がいいのかもしれないですけれど。「すごいことをやりました」というのもちょっと違う気がする。ただ、2度とできないすさまじいことが映っているという事実があるだけです。それまで1ミリ単位で細かだったキャラクターの動きと、最後にあそこまで行き着くこと。それが庵野秀明作品ならではのことだと感じました。

森山:庵野監督も「こうしたい」ということではなく、ラスボス的な仮面ライダー第0号と、主人公の仮面ライダーの戦いというなかで、定型文みたいなものをどう打ち崩せるかを試行錯誤してあの形にたどりついたと思うんです。あのアクションシーンが、作品として残されたすべてなのですが「素晴らしいシーンになった」と手放しにほめるのも違うし、だからと言って「ダメ」だとも思っていない。その意味で、なかなか不思議な体験でしたね。

池松:庵野さんはよく「マーベルやDCの作品と同じ映画鑑賞料をとるのだから、どうやってこの作品を魅せればいいのか」ということを模索されていました。あらゆるアクション的な答えや、CGなどのテクノロジーをも排除して、最後は仮面ライダーを肉体に戻すという作戦は、庵野さんらしい答えの出し方だと思いました。庵野さんの『式日』という映画では、ラストシーンが3人の俳優さんのアドリブでした。何か起こるまでずっと待っているというとんでもないラストで、今でも頭に焼き付いています。僕と森山さんのシーンでは、ふとあのシーンを思い出しました。

■酸欠になりそうななか、対峙したことで感じられた思いとは

――そんな想像を絶するシーンで対峙してみてお互いどんな思いを抱きましたか?

池松:森山さんとじゃなかったら絶対やれなかったと思いますし、違うラストになっていたかもしれません。自分がバランスを崩しても、絶対的な安心感があります。お互いが崩れても戻ってこられるというのは、森山さんだったからこそです。身体能力が俳優の域をはるかに超越している森山さんとだったからこそのシーンですし、もし違う俳優さんだったら、間違いなく無理だったと思います。

森山:池松君はしっかりトレーニングされていたと聞いていましたし、体つきも違いましたよね。撮影前にケガをしてしまったというのは知っていましたが、それでも撮影を続けていると聞いていたので、あまり心配はなかったです。本の読み方というか、そこから入ってくるものを体や表情に落とし込んでアクションをしてくるので、自然と動きにも説得力があります。アドリブにしても、型があるアクションでも“動き”で捉えるのではないので、信念で動いているような……そんな印象がありました。

――大ヒット御礼舞台挨拶の会場では、リピートされている方が非常に多かったですが、2度、3度観てくださる方に向けて注目点をいただけると。

森山:庵野監督の言葉じゃないのが恐縮ですが、監督がどういうアクション映画を見せたかったのかを踏まえたうえで、作品を観ると、ラストの泥仕合のようなアクションシーンの必然性が分かるような気がするんです。マーベルやDCのようなCGガチガチの面白さがあるなか、この映画ならではのアクションの意味みたいなものを考えながら観ていただくと、また違った趣を感じられると思います。

池松:さまざまな角度から楽しめてたくさんの注目ポイントのある作品ですが、ひとつ提案するとすると、『仮面ライダー』という作品において仮面そのものの行方、仮面がどう登場し、どう扱われて、最後どういうところに行き着くのか……その視点で観ていただくと、またひとつ面白いと思います。

(取材・文:磯部正和 写真:高野広美)

 映画『シン・仮面ライダー』は、公開中