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母子家庭に育ったが、14歳で母を亡くしてしまった成宮は、親代わりとして小学生の弟を育てていかなければならなくなった。成宮は高校進学をあきらめ、引越しのアルバイトなどを経て、芸能界へ。弟を高校、理科大学へと進学させ、見事一流企業に就職。めでたく結婚することになった。
成宮は「弟が偏差値の低い大学に行こうとしたとき、この大学では弟は幸せにならないと思って、お願いして一浪してもらった」と振り返り、「僕は中学もほとんど行かないで卒業したので、学歴が世間に出るためにどれだけ大事かというのを見にしみていた」としみじみ語った。また、「どうなったら、大学を卒業した人を超える生活ができるのかと考えたときに、偶然この仕事のオーディションを受けに行った」と述懐した。
俳優として階段を昇っていく成宮。最初は裸電球だったものがシャンデリアになり、ブラウン管のテレビだったものがホームシアターになっていった。成宮は「弟が欲しいと言っていたものよりちょっとだけいいものをあげるようにした。お金の大切さというか、豊かになればこういうものが買えるんだよということを教えたかった」と回想。しかし、弟がバイトして買ったワインを成宮に贈ったところ、2ヵ月後、弟は成宮からそのワインを「ファンからもらったんだけど、お前飲むか」と言われたそう。
番組の最後にMCの笑福亭鶴瓶が、弟からもらった手紙を読み上げた。手紙には成宮への感謝の気持ちを綴られていた。成宮は「これ、反則ですよ」と目頭を熱くしていた。