矢野浩二という俳優をご存知だろうか。現在、『警視庁・捜査一課長』(テレビ朝日系)で鑑識課主任・武藤広樹役を務めているが、実は彼、中国では知らない人はいないというスーパースター。
中華圏から日本へ凱旋、と聞くと、どうしてもディーン・フジオカを思い浮かべてしまうが、独自の道を歩んできた矢野は、試行錯誤の末に現在の地位まで上り詰めたという。これまで歩んできた俳優人生を矢野自身に聞いてみた。

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 中国でトップスターの地位を掴みながら、「いつかは母国・日本で演技をしたい」という思いを募らせていた矢野。海を渡って15年、様々な苦境を乗り越えて、ようやくその夢が叶った。ところで、そもそもなぜ、中国だったのか?「俳優としてなかなか芽が出ず、森田健作さん(現・千葉県知事)に弟子入りし、運転主兼付き人をやっていたんですが、忘れもしません、8年の歳月が過ぎた1999年12月、突然チャンスが巡ってきた」と当時を振り返る。

 「所属事務所から、中国で日本人俳優を探しているという話が舞い込み、なぜか自分を指名してくれまして。もう迷うことなく飛びつき、気付いたら北京入りしていました。それが2000年4月」。節目の年月を鮮明に覚えている生真面目さと、大阪出身ならではの軽妙な語り口で聞き手をぐいぐい引き込んでいく。『永遠の恋人』という連続ドラマで、日本人留学生役だったそうだが、「現場は上下関係が全くない。みんな平等の立場で撮影に臨んでいる風景がとても新鮮でした」と、まず環境面が矢野のハートを捉える。

 さらに、「スタッフや役者陣が “コウジ、中国でやれば絶対にスターになれるよ!”と、やたら誘ってくるんです。
すぐに真に受ける性格なので(笑)、そうか、ここに入ればスターになれるのか!と思い込んでしまい、拠点を中国に置くことを決心した」と屈託のない笑顔で語る。かくして、中国での俳優人生をスタートさせた矢野だったが、現在のように大スターになるまでには、葛藤の道のりが待っていた。

 「当初、抗日的なドラマのオファーが多く、ステレオタイプの日本兵役ばかり。肝心の日本人の心の部分は台本に組み込まれておらず、表面的な悪ばかりを演じていたのですが、“これでいいのか”という思いが限界に達していた」と当時を回想する。そんな時、矢野の気持ちを察してか、ある監督から、「コウジはもうこんな役はやらなくていい。やりたい役を追求していけ」との助言を受けて、肩の荷が下りたという。 その後、仕事を選ぶようになった矢野は、一時仕事が激減するが、たまたま出演したバラエティ番組で、軽妙なトークが評判を呼び大ブレイク。それまで知名度はあったが、“悪”のイメージしかなかった矢野に光が差し込む。「ギャップが受けたんでしょうね。番組の締めくくりに、僕が日本のアニメソングを歌うのが恒例になっていて、特に『ドラえもん』を歌うと大喜びです」と顔をほころばせる。

 これをきっかけに俳優としても人間味あふれる役が来るようになり、ひいては、念願だった日本ドラマからもオファーがかかる。『警視庁・捜査一課長』はいわば、中国での苦労が実った一つの象徴。
「現場は楽しいですね。撮影日数も中国の3倍は時間をかけていてゆったりしている。内藤(剛志)さん、金田(明夫)さん、斉藤(由貴)さんを軸に本当にまとまっている」と絶賛。「夢が叶いました」としみじみ語る矢野は、2月に拠点を東京に移し、日本での活動を本格化。中国で磨いた才能が母国で花開く日もそう遠くはないだろう。(取材・文・写真:坂田正樹)

 『警視庁・捜査一課長』はテレビ朝日系にて毎週木曜20時より放送中。
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