かつての「舎弟コンビ」が今、格好の「的」になっている。

 テレビ出演時の発言が元で炎上してしまった元木大介

ブログを始めただけで「らしくない」と大ブーイングの清原和博。15年ほど前、巨人軍と球界を跋扈(ばっこ)した「清原軍団」の姿が、もはや懐かしい。

 ただ、今の非難のされ方には、ちょっと気の毒に思えてしまう部分もある。とかく、生き方が不器用すぎるのだ。

 たとえば元木大介。先月末に『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)に出演した際、現役引退後は「高卒だと仕事がない」「大卒は有利。
大学というつながりで仕事がある」と発言したとネットニュースで取り上げられ、「仕事は探せばある。選り好みするな」「そんな心構えだからラーメン屋も失敗するんだ」といった非難がネット上で飛び交った。

 この一連の流れには同情せざるを得ない。なぜなら、「高卒だと仕事がない」は、元木の発言内容とズレがあるからだ。

 実際の趣旨は「高卒だと“野球界に”仕事がない」「球団の上層部は大学閥で固まっている。大卒選手は関係性で球団職員になれたりもするけど、高卒選手の場合はそれがなく、野球界以外に仕事を求めなければならない」というもの。
くだんのニュースサイトの記事は、その趣旨をわざわざ省き、意図的に炎上を狙ったようなものだった。

 また、『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(同)に出演し、ラーメン店失敗のあまりの無策ぶりを披露したばかりだったことも、マイナスに作用したと思われる。

 もう一点擁護するならば、「仕事がない」発言の主語は元木自身ではなく、多くの高卒選手に対してのもの。球界セカンドキャリアの現状を憂いてのものだった。むしろ引退後、タレントとして仕事が途切れない元木は、たとえラーメン店が閉店しても、まだ成功している部類に入るはず。そして、一般的な認知度は低くとも、元木の本業は今でも「野球」だ。


「TBSラジオ『エキサイトベースボール』での解説業は、コアな野球ファンからも定評があります。データをマメにつけたりするタイプではないようですが、記憶力が抜群によく、試合中の微妙な変化や『前回の対戦でも同じ攻めをしていましたね』といった的確なコメントは、隣に座る実況アナウンサーからも評判がいいです」(民放ラジオ局アナウンサー)

 元木がアピールすべきは「失敗」ではなく、地道な「本業」であるはず。セルフプロデュース力が乏しいと言わざるを得ない。

 そして同じことは、清原和博にも当てはまる。

 ブログを開設しただけでニュースになるのだから、さすがは清原! と思う半面、今度はその内容が「らしくない」の大合唱だ。

 確かに、今さら清原の食事内容や歯医者が怖い・痛い、といったエピソードはいかがなものか、とも思う。
そして、やれFacebookだInstagramだといわれているなか、なぜ今さらブログなの? という感覚にも疑問を抱かざるを得ない。

 だが、そもそも清原の「らしさ」とは、なんなのか。

 いわゆる「番長キャラ」は1997年の巨人移籍後に定着したもの(かのフライデー「おぅワイや!清原和博番長日記」の連載も97~03年)。さかのぼれば、西武時代、日本シリーズで因縁の巨人相手に勝利目前、思わず涙を流した「純」な姿こそ、本来の清原和博であったはず。ブログでは、そんな「純粋」で「無垢」な清原像をあらためて堪能することができる、ともいえる(それが面白いかどうかは、また別なのだが)。

 ただ、清原の場合は元木よりもさらに問題の根が深い。
本人が切望する「野球の仕事」への道のりが、かなり険しい状況だからだ。

「野球賭博騒動で揺れているのが今の球界。この状況下で、真偽はあれど薬物疑惑があり、暴力団関係者との関わりもウワサされる清原にポストを用意する球団は、まずあり得ないでしょう」(野球雑誌編集者)

 それでもなお、野球界に戻りたいのならば、今やるべきことは、かつての「純」な気持ちであらためて野球に取り組むことのはず。プロが無理であれば、それこそ場所を選ばなければ、アマチュアでも海外でもコーチ修業はできるはずなのだ。

 それなのに、今年の清原といえば、お遍路巡りがニュースとなり、そこからあらためてメディアでの露出も増え始めた。だが、ユニフォームを今一度着たいのならば、踏み出すべき場はメディアでもお遍路でもなく、グラウンドのはず。
土の上で、日の光の下で、クスリとも暴力団とも関係がない身の潔白を証明することのはず。やはり、自分をどう出していくべきかというセルフプロデュースを見誤っているとしか思えない。

 皮肉にも、最新のインタビューで、清原自身こんなことを口にしている。

「イチローとも話したんですけど、そういう自分をセルフプロデュースすることが大事だなって。でもいまはプロの選手がプロの選手の物真似をしている。僕たちの時代は王さんの物真似をしたように、いまの子どもたちに真似されなければいけないと思う」(「読む野球 No.10」主婦の友社)

 かつて清原に、元木に憧れて物真似をした元少年たちが、もう一度「そんな生き方もいいな」と思える生きざまを示してもらいたい。
(文=オグマナオト)