日本サッカー史上、最大の悲劇として語られているのが、1994年のFIFAワールドカップアメリカ大会アジア最終予選での対イラク戦、いわゆる“ドーハの悲劇”だ。この試合、2-1でリードし、最後のコーナーキックを守り切れば初のワールドカップ出場となった日本だが、ここでまさかの失点。

残り数秒で、ワールドカップへの切符を失ってしまった。だが、“悲劇”として語られているように、当時は「よくやった」として日本選手をたたえる声が大多数だった。

 一方で悲劇ではなく、最大の失態とされているのが、06年ドイツ大会でのグループリーグ敗退。史上最強という期待を一身に受けて臨んだものの、結果は1勝もできず。その敗因として語られているのが、第2戦となった対クロアチア戦でのFW柳沢敦のプレーである。ゴール前で触るだけでよかったパスを、なんと柳沢はアウトサイドでゴール外に“ナイスクリア”してしまう。
0-0での引き分けとなってしまった試合後、「急にボールが来たので」と柳沢が語ったことから、“QBK”と揶揄され、日本サッカー史上最大の失態として刻まれている。

 そんな日本サッカー史に、新たな大失態が生まれた。それは、リオ五輪第2戦の対コロンビア戦。負けた時点で敗退となる日本は、立ち上がりからギア全開。34分には、DF藤春廣輝がフリーでヘディングシュートを放つが、なんと枠外に。そうこうしているうちに、コロンビアに先制点を奪われてしまう。
それでも前を向く日本だが、65分、藤春が大失態を起こしてしまう。自陣ペナルティーエリアにこぼれてきたボールにフリーの状態で反応するものの、クリアするかトラップするかで迷い、自陣ゴールにキックミス。これがオウンゴールとなり、結局、日本は2-2で試合を終えることになる。当然、藤春はサッカー専門メディアなどから近年まれに見る最低点をつけられ、ネット上でも「コロンビア代表かよ」「藤春は泳いで帰ってこい」「YOUは何しにブラジルへ?」などと、戦犯扱いする書き込みのオンパレード。世間的には無名だった藤春だが、いったいどのような選手なのか?

「藤春は大阪体育大学に進学するまでは、全国的には無名の選手で、結果も残していません。それが、同大学の独特のトレーニングで花開いた。
スピードも増し、接触技術を身に付けたことで、当たり負けもしなくなった。ただ、近年は、その独特の動きを失ってしまったように見えます。守備での“らしさ”がプロ入り後から徐々になくなり、それがリオ五輪で悪い意味で顕著になってしまった。とはいえ、繊細な柳沢さんとは違って、藤春はよく言えばマイペースで、悪く言えばおおざっぱな性格なので、第3戦には切り替えられると思います」(サッカーライター)

 チームが決勝トーナメントに進めれば、藤春の大失態も笑い話となる。柳沢と同じく汚名を着せられてしまうかどうか、すべては3戦目にかかっている。
(文=TV Journal編集部)