SMAP解散には、やはり“あの人”が暗躍していたようだ。ジャニーズ事務所に非常に近い芸能関係者が、解散の引き金となったメンバー対立の裏で、元チーフマネジャーの飯島三智氏が動いていたことを明言しているのだ。



「香取(慎吾)が1月の独立騒動以降、飯島さんと頻繁に連絡を取っていたことがわかったと、ジャニーズの人間が言っていた。SMAPは事務所と木村(拓哉)、中居(正広)がなんとか存続の方向で着地させようとしていたのに、香取がやけに強気で解散を望んでいたのは、彼にとって不利な話だったが、受け皿があったというなら話は別」(同)

 SMAPが解散すれば、メンバーの仕事が減少することは予測できるが、中でも俳優業などソロ仕事がやや見劣りする香取にとってはデメリットしかない話だったはず。それでも解散を強く望んだというのは、その背中を押してくれる“SMAPの母”といわれる飯島氏の存在があったからだというわけだ。

 結果的に失敗に終わったSMAPの独立騒動は、定年退職を控えているメリー喜多川副社長ら経営陣と対立していた飯島氏に、メンバーらが「自分たちもついていく」と事務所脱退を決意したことが発端だった。しかし、SMAPの商標登録などを持つジャニーズ事務所に背を向けての活動に無理を感じた木村がひとり態度を翻し、その動きごと事務所に筒抜けになったことで総崩れになった。

 飯島氏は当初、ジャニーズ事務所の報復を警戒し、大手芸能プロの田辺エージェンシーに後ろ盾を頼んでいたことも伝えられたが、結局は独立失敗で、ひとり退社。
残ったメンバーが、番組で生謝罪させられる屈辱の幕切れとなった。

 飯島氏にとっては完敗といえる結果に見えたが、これで終わらなかったのが今回の事態。前出関係者によると、7月にも飯島氏は田辺エージェンシー社長と会談をしていたという。

「飯島さんは芸能界以外の仕事をするとも伝えられていたが、実際は違った。メンバーの脱ジャニーズに向けて、水面下で動いていたということになる。中でも香取は飯島さんへの依存度がので、自然と結びつく。
自分大好きな木村は放っておいてもセルフプロデュースに長けていて、中居もあの通り如才ないけど、香取は不器用なところもあって、番組収録でも飯島さんのヘルプが大きかった。そんな中、飯島さんがいなくなって、木村は来年の連ドラの仕事も入って事務所から厚遇を受けて、中居もジャニーズが傘下に個人事務所を作らせて手のうちに収めようとするウワサもあった。そうなると、香取からすれば面白くなかっただろうし、飯島さんと連絡を取るうちに『俺は納得できない』となったんだろうな」(同)

 結果、ジャニーズが進めていた25周年のイベントをギリギリになって「やらない」と言いだしたのが香取。騒動後、事務所内で孤立していただけなら“針のムシロ”を我慢するしかなかったが、ここに飯島氏が「辞めても私が後押しする」というバックアップを約束していたのなら、思い切った行動に出たのも理解できる。

 ただ、ジャニーズ事務所もこれを黙って見ていたわけではないようだ。メンバーのレギュラー番組『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)は年内終了を発表したが、9月でも10月でもない区切らせ方は「香取の独立を見据えた、飼い殺し措置と見ていい」と関係者。
年内いっぱいとすることで、香取はそれまで身動きが取れなくなるばかりか、SMAPとしての仕事を渋々やる姿を露呈せざるを得なくなる。

 いずれにせよ、飯島氏がどこまでメンバーと連絡を取っているのか、どんな話をしているのかは実際にはわからずとも、音信不通なんてことはないはずだ。その中で、事務所から解散のA級戦犯扱いを受けた香取が、飯島氏と再合流を決意したとしてもおかしくはない。

 関係者は「飯島さんが田辺さんのところに行ったのは、香取の引き受けなどではなく、『ジャニーズから独立するメンバーへの妨害』についての、最小限のお願いだったとか。本当かどうかはわからないが、あり得る話」と話す。

 飯島氏は7月、広告代理店と強いコネクションを持つCM関連の企業の役員と会っていたことがわかっており、その動きが香取の独立を見据えたものなのか、予断を許さない状況が続く。

(文=片岡/NEWSIDER Tokyo)