※本稿には『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』のネタバレを含みます。ご注意ください。

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『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』TVerより

 バラエティ番組『Aマッソのがんばれ奥様ッソ!』(BSテレ東にて2021年12月27日~30日全4回/以下、『奥様ッソ!』)が、SNSを中心に話題となっている。

 この番組はお笑いコンビ・AマッソをスタジオMCに据え、「おせっかい芸能人が世の奥様をお助け!」という建て付けで、声優金田朋子がバツイチ子連れ夫婦の8人大家族(12月27日・28日放送分/本記事ではPart1とする)を、お笑い芸人・紺野ぶるまが山間にある集落に住む一家(12月29日・30日放送分/Part2)のもとを訪れるロケVTRを放送。VTR中はAマッソによるワイプ画面でのコメントが入り、合間には2人が夫婦生活にまつわるミニトークをスタジオで展開する構成だ。

 そんな一見のほほんとした情報バラエティ番組が、なぜ話題になっているのか。

 実は本作は、ドキュメンタリーの形式を取りながらも実はフィクションという”フェイクドキュメンタリー”の手法を取り入れたバラエティ番組なのだ。そうとは知らずに見た視聴者も見ているうちに違和感を覚え、映像に隠された裏設定に気づく仕掛けに気づいていく。

結果、作中の伏線やメッセージに関する考察を含め、放送後に大きな盛り上がりを見せることとなった。

 話題になるバラエティ番組の常として、本番組もTVerで見逃し配信を実施。その紹介欄には「この番組は不自然です」という1文が仕込まれている。

 フェイクドキュメンタリー好きの筆者からすると、『奥様ッソ!』には素晴らしいところと気になるところがそれぞれあった。本記事では、その両者を取り上げ、さらにおすすめの日本のフェイクドキュメンタリーを紹介していきたい。そのため、ここでは『奥様マッソ!』劇中の伏線などを具体的に解き明かすような考察はあまり扱わない。

何が言いたいのか丸わかりのカメラワーク

 筆者の視聴のきっかけは、「事前情報を入れないほうが楽しめる番組」として本番組を取り上げた記事を読んだことだった。そこから興味を持ちTVerで視聴したのだが、先述の「この番組は不自然です」といった文言などもあり、観る前から本作がフェイクドキュメンタリー的番組であることは半ば予想がついていた。同じように、多少勘付きながら後追い視聴をした人は多かったのではないだろうか。

 フェイクドキュメンタリーと構えて番組を見始めると、Part1に登場する大家族の兄妹は全員顔立ちが似ておらず、妙に顔が整っているのも「この子たちは役者だろう」という確信を強めてくる。そして、番組開始から6分50秒頃、連れ子である長女がテーブルの下で夫に触れようとする様子を不自然にクローズアップするカメラワークで、「夫と長女が家庭内不倫をしている」というPart1の裏設定に早くも気づくことができる。その後も夫と長女の関係と、それをほかの兄妹が疎ましく思っていることを強調するカメラワークやカットがこれでもかと挟まれていく。

 このように、『奥様ッソ!』の一見した裏設定はすぐに気付けるようになっており、そこからの話の展開やドンデン返しはほとんどないように感じられる。

ひとたび裏設定がわかってしまうと、タネのバレた手品を延々と見せられているような気持ちになってしまうだろう。

Aマッソ『奥様ッソ!』フェイクドキュメンタリーとしての美点と欠点
Aマッソ『奥様ッソ!』フェイクドキュメンタリーとしての美点と欠点の画像2
YouTube「BSテレ東」チャンネル「Aマッソのがんばれ奥様ッソ!|BSテレ東」より

 しかし、ここに『奥様ッソ!』最大の罠がある。裏設定のわかりやすさから、筆者も初見時は「これはフェイクドキュメンタリー初心者向けの番組かな」と軽んじていた。だが、本作は劇中のテンプレじみた平板な展開とは裏腹に、スタジオやVTR内の小物や衣装といった細部に、執拗なまでの伏線を仕込んでいる。

 実はこの練りに練った小道具などから導かれる結論こそが『奥様ッソ!』最大の大仕掛け。つまり、本作は初見でもわかる裏設定によって初心者向けフェイクドキュメンタリーを装いながら、「画面に映し出された小道具などから考察する」というフェイクドキュメンタリー慣れした人だけがたどり着ける大ドンデン返しを用意しているのだ。

 この大ドンデン返しが素晴らしいのは、本作がバラエティ番組のフォーマットをも巧みに利用しているからだ。

 そもそもドキュメンタリー風の映像を盛り込んだ”バラエティ”というフォーマットは、フェイクドキュメンタリーとしてはマイナスに働きやすい。

 ドキュメンタリーが(編集などで一定の恣意性が介入するものの)”真実を映すもの”とされているのに対して、バラエティはある種の”演出”が前提となっている。フェイクドキュメンタリーは「ドキュメンタリーが嘘を映し出すこと」自体に驚きや面白さがあるが、視聴者はバラエティ番組に対して一定の”演出=嘘”が含まれている前提で視聴する。そのため、”嘘”がわかったところでドキュメンタリーほどの驚きは生じにくくなる。

 しかし、『奥様ッソ!』は、このバラエティについてまわる演出という名の”嘘”までも作品の中に取り込んでいく。

 本作で視聴者が”バラエティ的な嘘”に強く違和感を覚えるシーンとして、Part2の終盤で村長との儀式(性的交渉の強要を匂わせる)を嫌がる少女が逃げようとするシーンが挙げられる。

 この段階ですでに多くの視聴者は裏設定に気づき、少女の行動に理解を示しているはずだ。レポーターである紺野ぶるまも、現場の不穏さを察している様子を見せる。

 スタジオでVTRを見るAマッソの2人は「(儀式に対して)プレッシャーがあったんかな」と、違和感にまったく気づいていないようなコメントをする。

 VTRの上にタレントの顔を載せるワイプは、視聴者に共感を促すための一種の装置だ。テレビに関する記事や著作を多く持つライター・てれびのスキマ氏は「視聴者が驚いて欲しいところで驚き、泣いて欲しいところで泣いて、視聴者を誘導する役割をワイプは担っている」と指摘している(2018年5月11日「Yahoo!個人」掲載「日本テレビの“罪”――ワイプの発明」)。

 だがAマッソはここで視聴者の感覚とひどく乖離したコメントをしている。結果として、オーバーリアクションで視聴者に不快感を与える”過剰なワイプ芸”(=バラエティ的な嘘)と同様に、視聴者はAマッソに対して「番組側とグルになって視聴者を騙そうとしている」という印象を受けてしまう。

 正直、初見時のこのシーンで筆者も「Aマッソが裏設定に気づかないのはさすがに無理がある」と感じ、本作の評価を下げる大きな要因となっていた。だが、後にその考えは180度ひっくり返る。なぜなら、先述した通り、番組中に配置された小道具などを読み解いていくと「実はAマッソや番組制作側はPart2の新興宗教団体の仲間であり、その意向の下で本番組が制作されていた」という説――本作の大ドンデン返しが浮かび上がってくるからだ。

 Aマッソは最初から視聴者を騙すつもりの仕掛け人側だから、ワイプで見当違いなコメントをするのも当然なのだ。『奥様ッソ!』は、バラエティ番組が抱える演出、ここでは「台本に沿ったタレントのコメント」という”嘘”をフェイクドキュメンタリーの仕掛けの一部としてあえて使うことで、日常的に見慣れたものを異様なものに見せる”異化効果”を最大限に発揮させている。

 この最大の仕掛けに気づいた時、本作の評価は一気に逆転し、フェイクドキュメンタリーならではの醍醐味を味わえることとなる。

Aマッソ『奥様ッソ!』フェイクドキュメンタリーとしての美点と欠点
Aマッソ『奥様ッソ!』フェイクドキュメンタリーとしての美点と欠点の画像3
劇場版『放送禁止 洗脳~邪悪なる鉄のイメージ~』(2014年公開)公式HPより

 一方、『奥様マッソ!』のどうしても払拭できないフェイクドキュメンタリー的な欠点として、「なぜこの映像が撮影されたのか?」という疑問は残る。前述の通り、本作では裏設定を明示するようなカットやカメラワークが強調されている。むろん視聴者に気づいてもらうためだが、結果として、作品が掲げるストーリーと私たちが見る映像の間に齟齬が生じてしまっている。

 その点、フェイクドキュメンタリーの代名詞的作品となった『放送禁止』(フジテレビ/2003年~)が巧みだったのは、「当時放送が禁じられていたある“お蔵入りテープ”を発掘し、その当事者たち等から了解を得て再編集したもの」(同番組ナレーションより)という設定を設けていたことだ。

 この前提があることで、『放送禁止』では隠された裏設定にフォーカスした編集やカメラワークが許容される。しかし、『奥様ッソ!』はあくまでも一般的な家族密着バラエティの体(てい)を突き通す。そのため、どうしてもその編集やカメラワークは”確信犯”的なものとして画面に映し出される。

 つまり、『奥様ッソ!』は映像の作りからして「一般的なバラエティとして作っています」という建前が崩れており、これがこの番組への没入感を少なからず薄める要因となってしまっているのだ。

なぜ裏設定を明示する構成になっていたのか

 人気フェイクドキュメンタリー『戦慄怪奇ファイルコワすぎ!』シリーズ(2012年~)を手がける白石晃士監督の著書『フェイクドキュメンタリーの教科書』(誠文堂新光社)には次のような記述がある。
「フェイクドキュメンタリーにとって編集作業というのは、普通の劇映画よりも重要性の比率が高いです。(中略)その編集にも劇中と地続きのリアリティがないといけないんです。撮影アングルでも『なぜ、この位置からの表情を撮れているんだ?』と観ている側が思った時点で成立しなくなりますが、編集でも『なぜ、ここで繋いでいるんだ?』『なぜ、この続きをカットして見せないんだ?』『なぜ、ここの間をカットしているんだ?』などと疑問をもたせては観客が劇中世界に没頭できなくなります」

『奥様ッソ!』では、裏設定を明示するような編集・カメラワークを採用している理由はついぞ明かされない。そこだけはどうしても引っかかりを感じてしまった。

 最後に、『奥様ッソ!』でフェイクドキュメンタリーの面白さを知った人に向けて、日本のフェイクドキュメンタリーの良作をいくつか紹介したい。

 フェイクドキュメンタリーはリアルタイムでの実況文化と相性が良い。『奥様ッソ!』が放送後ながらTwitterで話題となり注目を集めたことは象徴的だ。筆者は前出の『放送禁止』の放送当時、2ちゃんねるの実況スレが盛り上がるのを見ながら、番組を楽しんでいた記憶がある。また、毎夏ニコニコ生放送で放送される、いわゆる”ニコ生ホラー”にはフェイクドキュメンタリー風の作品が多く、カルト的人気を博している。画面上にツッコミのコメントが流れるニコニコ生放送とフェイクドキュメンタリーは強い親和性がある。

 この”ニコ生ホラー”、ひいてはこの枠で放送されるホラービデオ作品群が日本において意欲的なフェイクドキュメンタリーが育つ場として機能していると、筆者は考えている。

 海外劇映画では『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999年)や『パラノーマル・アクティビティ』(2007年)のヒットが「フェイクドキュメンタリー×ホラー」の相性の良さを証明した。一方の日本では、ホラービデオ界隈を中心にフェイクドキュメンタリーが進化していった(フェイクドキュメンタリーの歴史は、先の『フェイクドキュメンタリーの教科書』に詳しい)。

 その立役者となったのは「おわかりいただけただろうか?」というワードでおなじみ、現・映画監督の中村義洋氏が初代監督を務めた人気ホラービデオ『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズ(1999年~)だろう。本シリーズでは、スタッフが怪奇現象の背景を追うドキュメンタリーパートが定番となっている。この、いわば「ほん呪フォーマット」とでもいうべき手法は、後続のホラービデオ作品に広く取り入れられていった。

 そして、「ほん呪フォーマット」をベースとしたさまざまなホラービデオが作られた結果、フェイクドキュメンタリーと別の要素をかけ合わせた作品性の強い良作が数々生み出されていく。

地上波やYouTubeにも良作が増えてきた

Aマッソ『奥様ッソ!』フェイクドキュメンタリーとしての美点と欠点
Aマッソ『奥様ッソ!』フェイクドキュメンタリーとしての美点と欠点の画像4
『ノンフェイクション』TVerより

 前出の『戦慄怪奇ファイルコワすぎ!』シリーズは、異色のオラオラ系ディレクターを主人公にして少年マンガやアニメ的な想像力をふんだんに盛り込み、”汚いまどマギ”や”汚いシュタゲ”とも呼ばれるような一大エンタメ作品となった(なお、本作がVTuberを含めたTRPG界隈で目下人気再燃中のクトゥルフ神話的世界観を導入しているのも興味深い)。

 また、寺内康太郎監督による『監死カメラ』シリーズ(2012年~)は、ぶっ飛んだキャラクターとギャグに振り切ったことでバカらしく笑える作品として、マニアの間でその地位を確立した(多くのホラー作品にも言えることだが、ポリコレ的には問題の多い作品であろうことは付言しておく)。さらに同監督が手がけたDVD作品『境界カメラ』シリーズ(2018~2019年)は、スタッフの失踪事件を主軸に、登場人物の嘘が明らかとなる過程で事態が二転三転していくミステリー・サスペンス要素が際立った快作である。

 このようにホラービデオ界隈で進化を続けていたフェイクドキュメンタリーだが、近年では今回の『奥様ッソ!』に限らず、さまざまなメディアで活況を見せ始めている。多種多様なドキュメンタリー監督を起用した『ノンフェイクション』(テレビ大阪/2019年、2022年)や、寺内監督とYouTubeチャンネル「ゾゾゾ」の皆口氏によるYouTubeドラマ『Q』(2021年~)などが、その例として挙げられる。また、2020年末にお笑いコンビ・ニューヨークのYouTubeチャンネルで公開され話題を呼んだ『ザ・エレクトリカルパレーズ』も、一種のフェイクドキュメンタリーだったと筆者は考えている。

 現在YouTuberとして人気を博すひろゆき氏の言葉をもじると、「うそはうそであると見抜ける人でないと、フェイクドキュメンタリーを楽しむのは難しい」かもしれない。それでも『奥様ッソ!』がネットで盛り上がりを見せたように、フェイクドキュメンタリーには多くの人を引きつける魅力がある。今後も、私たちをより楽しませてくれるフェイクドキュメンタリーの登場に期待したい。