――芸能界を牛耳る巨大アイドル帝国・ジャニーズ事務所。ジャニー喜多川社長率いる、この帝国からは数々のスターが誕生した。
1988年12月に出版された『光GENJIへ』(データハウス)という一冊の本がある。
著者は、68年にレコードデビューを果たし、70年から7年連続NHK紅白歌合戦への出場を果たした、ジャニーズ事務所の人気グループ「フォーリーブス」の元メンバ−・北公次。 その内容は、ジャニー喜多川との出会いと、彼から受けたいき過ぎた寵愛、さらには覚せい剤地獄という転落人生......。
元トップアイドルが、華やかな活躍の裏にあった真実を、ありのままに綴った同書は、当時、大変な話題となりベストセラーとなったのだ。なかでも衝撃的だったのは、ジャニー氏によるホモセクハラの一部始終が明かされたことだった。
とにかく、その描写の生々しさたるや、すさまじかった。
ジャニーさんは勃起したおれのペニスを口に含み、音を立ててしゃぶっていく。微妙な舌と唇の動きでたちまちのうちにおれはジャニーさんの口の中に射精すると、そのままジャニーさんは飲み込んでいく----日劇ウエスタンカーニバルに出演するジャニーズを観に行ったときに、ジャニー氏にスカウトされ、ジャニーズの付き人になった北は、すぐに彼らとの共同生活をはじめるのだが、それは同時に、ジャニー氏とのホモ行為に悩まされる日々のはじまりでもあったという。
出会いから、実に4年半もの間、その行為は毎晩のように続いたと、同著にはある。
とはいえ、その"満足"が、ジャニー氏に可愛がられなくなったら最後だと信じる心の裏返しであったことはいうまでもなく、トップアイドルとしてフォーリーブスが国民的な人気を得るようになると、北は、ジャニー氏の求めを拒絶するようになったという。
そうする間に「より若い男を」と、ジャニー氏の興味が郷ひろみや豊川誕、川崎麻世らの10代の新人タレントに向けられるようになり、フォーリーブスへの情熱を失っていくようになると、人気は低迷。解散へと進んでいったのだという。
そして北はその後、フォーリーブス時代から、メリーに小遣いをせびっては購入にあてるなど、どっぷり漬かっていた覚せい剤を手放せなくなり......という絵に描いたような転落人生へ----。
そんな自分に、当時、人気絶頂にあった光GENJIを重ね合わせ、「俺の二の舞にだけはなってくれるな!」との思いから、北は同著を書き上げたという。
■02年フォーリーブス再結成に関わる裏取引
全10冊にも及んだ、『光GENJIへ』シリーズの出版を「戦い」と称し、長く攻めの姿勢をくずさなかった北とジャニーズ事務所の関係は、当然のように修復不可能になっていた。しかし、02年に、なんとフォーリーブスはオリジナルメンバーでの再結成を果たす。
ジャニーズとの関係がこじれていたのは、北だけではなく、江木俊夫や青山孝(後に孝史に改名)も同様だっただけに、これに驚いた関係者は多かった。
江木は99年に、覚せい剤取締法違反(自身での使用。さらに知人女性に飲ませるなどの容疑)で逮捕されているのだが、その裁判では、青山が情状証人として出廷し、「フォーリーブス時代、はじめの頃は3万円の小遣いのみ。解散するころになって、やっと月給50万円ほど。
にも関わらず、楽曲の使用や、フォーリーブスという名前での活動が、許された背景には、99年に勃発した「週刊文春」(文藝春秋)のジャニーズ糾弾キャンペーンの存在があると噂されている。
「焦点は、ジャニー喜多川氏のホモセクハラ。多くの元ジャニーズJr.たちが取材に協力し、ジャニー氏のホモセクハラを告発する中、青山もコメントを寄せるなど盛り上がりを見せ、さらにはかつてその実態を赤裸々なまでに暴いた『光GENJIへ』存在もクローズアップされ、北にも注目が集まりました。しかし、このキャンペーンに北が加担することはありませんでした。このときフォーリーブスの再結成を交換条件に、北がジャニーズサイドからの口止め交渉に応じたとも噂されています」(音楽関係者)
昨年1月に、青山氏が肝がんで急逝。フォーリーブスは、3月29日の東京厚生年金会館でのコンサートを最後に活動休止となっている。
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『フォーリーブス メモリアル写真集 (単行本)』
「ブルドッグ」はいまも歌われる名曲
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