よく知られている通り、海外セレブは兄弟姉妹揃って芸能界に身を置いている人が多い。昨年歌手デビューしたノア・サイラスは、姉のマイリー・サイラスと大の仲良しだ。ビヨンセとソランジュも絆の強い姉妹として有名で、今年アカデミー主演男優賞を獲得したケイシー・アフレックも、兄のベン・アフレックととても仲が良いことで知られている。

 しかし、彼らのように兄弟姉妹で大成功を収めているケースはまれだ。ハリウッドは実力と強運の持ち主でないと、成功をつかめない世界である。兄弟姉妹が大スターであっても、そう簡単にはブレークできないのだ。今回はそんな「えっ! このセレブの兄弟姉妹も芸能活動していたの!?」という驚きのケースをご紹介しよう。

■ブレイク・ライブリーの兄は俳優でモデル、フォトグラファー

 ブレイク・ライブリーは、子役として活動を開始し、18歳の時に青春映画『旅するジーンズと16歳の夏』(2005)で注目され、その2年後に放送開始したドラマ『ゴシップガール』(07~12)で大ブレークした。レオナルド・ディカプリオと交際中には自撮りヌードが流出するスキャンダルに見舞われたが、その後『グリーン・ランタン』(11)で共演したライアン・レイノルズと結婚する。2人の子どもをもうけた後、第二のグウィネス・パルトロウを目指してライフスタイル提案サイト「Preserve」を立ち上げたものの、不振により撤退している。

 そんなブレイクの兄エリックも、俳優として長年活動している。エリックは、2歳の時にクリストファー・ウォーケン主演のカルトSF映画『ブレインストーム』(1983)でデビューした。国民的コメディ『フルハウス』でステファニーの初彼役として出演したり、大ヒット作『アメリカン・パイ』(99)にも出演。テレビ映画『Speak』(04)ではクリステン・スチュワートとキスシーンを演じた。また、米ディズニーチャンネルの超常現象ドラマシリーズ『どこかでなにかがミステリー』(99~01)にメインキャラクターとして出演し、人気ドラマ『Lの世界』(04~09)にゲスト出演したこともある。

 美女の兄は当然のように美男子で、エリックは15歳の時に学校を中退しニューヨークに移り住んだ直後、大手モデル事務所フォード・モデルズからアプローチを受けた。これがきっかけでモデルとしても活躍するようになり、リーバイス、アバクロンビー&フィッチ、トミーヒルフィガーの広告モデルを務めた。

 ブレイクとエリックの両親はタレントスカウトで、再婚同士。血が半分つながった兄姉たちも芸能界で活躍しているが、ブレイクは両親とも同じエリックと一番仲が良い。エリックはフォトグラファーとしても活動しており、妊婦のブレイクの美しい写真を撮影したこともあった。彼のインスタグラムには子どもの頃のブレイクとの写真、兄弟5人が全員集合した貴重な写真などもあり、ファンの間では必見のアカウントとなっている。

 

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 エマ・ワトソンといえば、今や『ハリー・ポッター』のイメージよりも、女性の権利についての活動を行う聡明な女性として認知されつつある。2014年には国連組織UNウィメンの親善大使に任命された。もちろん女優としても評価は高く、今年公開されたディズニー映画『美女と野獣』は世界的なヒットとなった。

 エマの弟のアレックスは、役者・モデルとして活動している。彼が最初にメディアに登場したのは、8歳の時だ。エマにくっついて『ハリー・ポッターと賢者の石』(01)の上映プレミアに出席し、堂々とインタビューを受け「かわいい!」「そっくり!」と話題になったのだった。その後『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(07)で、ホグワーツ魔法魔術学校の寮のひとつ、ハッフルパフの生徒として、ちょい役出演したのが映画デビューとなった。

 その後、バーバリーのモデルとしても姉弟で共演している。10年のコレクションでは、「エマのイケメンすぎる弟」として騒がれた。この共演にエマは大喜びし、メイキングビデオで「弟も一緒なのよ。すごく嬉しいわ」とコメント。アレックスはこの年、ピクシー・ロットの「Broken Arrow」MVにも出演したが、その後積極的には芸能活動を行わず、大学に進学し学業を優先するようになった。

 現在もモデルとして活動しているが、仕事の仕方はマイペースなようだ。エマとは相変わらずとても仲の良い姉弟で、自分が通う大学のある街を案内するほんわかした姿がパパラッチされ話題になった。

■ジェニファー・ロペスの妹リンダはジャーナリスト

 ジェニファー・ロペスは、2000年代初めにアメリカに巻き起こったラティーノ・ブームの立役者だ。ムチッとした女性らしい体つきにプエルトリコ系の美しい顔、舌ったらずな喋り方が最高にかわいいと老若男女から愛され、歌手としても女優としても大活躍している。

 ジェニファーには、テレビ・ラジオ界で大活躍している妹がいる。ロングアイランド大学で放送コミュニケーション学を専攻し、地元ラジオ局でキャリアをスタートさせたリンダだ。ラジオ局で5年間働いた彼女は、ニューヨークのThe CW系放送局WPIXにジャーナリストとして就職する。デイタイム・エミー賞を受賞した朝のニュース番組『WB 11 Morning News』でレポーターを務め、大手CBS系列ラジオ局のニュースアンカーへと上り詰めていった。

 リンダは00年代前半に、アメリカで大人気のエンターテインメント専門ケーブルテレビ・チャンネル「VH1」のVJを務めた。このチャンネルでは世界的に大ブレークしたばかりの姉ジェニファーと頻繁に共演し、00年に放送されたジェニファーの特番では聞き手を務めて話題になった。姉妹の中でいちばん年の近い2人は特に仲が良いらしく、インタビューでもその関係性が伝わってくると好評だった。

 02年には、女性の美について掘り下げる番組『GLOW』(米Styleネットワーク)の司会を担当し、ジャーナリストとして大きくステップアップする。プライベートでは08年に、当時交際していた男性の子どもを未婚のまま出産し、彼とは別れてシングルマザーになる道を選んでいる。ジェニファーは妹のことを、「どんなに大変でも弱音を吐かない。一人でなんでもこなす強いシングルマザーなのよ」と自慢している。

 08年は、ジェニファーも双子を出産した年だった。姉妹揃って母親になった2人は翌09年、女性と子どもたちの健康向上のために活動するNPO団体マリベルを設立し、14年には故郷ブロンクスに子ども達の健康のための施設を開設するなど、積極的に慈善活動を展開している。こうした活動に関連する種々のイベントでも、2人が揃って登壇するのは珍しくない。

 リンダは13年、CBS系列のラジオ局の仕事を辞め、ロサンゼルスに住むジェニファーのそばに1年間滞在した。14年11月にジェニファーが自叙伝『True Love』を出版した際にはプロモーションにも同行し、「心から信頼できる姉妹がそばにいるって素敵」とうらやましがられたものだ。

 その後、リンダはラジオ界に見事カムバックを果たし、16年には大手米ABCラジオ局の人気番組『GMA After Hours』の司会者に大抜擢され、現在もバリバリ働いている。

 パトリック・スウェイジは、2009年9月14日に57歳の若さで死去した後も『ダーティ・ダンシング』(87)、『ゴースト ニューヨークの幻』(1990)などの名作でその名を世界に遺している。08年にすい臓ガンだと診断された後、治療をしながら主演したテレビシリーズ『THE BEAST』も話題作となった。その死後、パトリックの妻とともにメディアの取材に応じたのは、弟で役者のドンだった。

 ドンの役者としてのキャリアは長い。テレビドラマにチョイ役として出演するようになったのは、80年代のことだ。『L.A.ロー 七人の弁護士』(86~94)、『マトロック』(86~95)などの人気番組にゲスト出演し、アンドレイ・コンチャロフスキー監督の『或る人々』(87)で映画デビューを果たした。

 その後の90~00年代もテレビドラマを中心に活躍しており、05年に放送された『クリミナル・マインド FBI行動分析課』で演じた連続殺人鬼の父親役は高く評価された。10年代に入ってからは、大ヒット吸血鬼ドラマ『トゥルー・ブラッド』、国民的昼メロドラマ『The Young and the Restless』『Days of Our Lives』に複数回出演している。主演ドラマはまだないが、これまで挙げた作品のほかにも人気ドラマに数え切れないほど多くゲスト出演しているため、海外ドラマ好きは「見たことある顔!」だと思うかもしれない。

 パトリックとドンの年の差は6歳とやや開いているが、兄弟の絆はとても強かった。亡き兄の妻とCNNのトーク番組に出演したドンは、「兄が医師から肝臓に転移しているという告知を受けた時、そばにいたんだ。言葉が出てこなくて、兄の目を見つめるしかできなくてね。兄だってもちろんマズいことだって理解してたのに、一瞬もひるまなかったんだ。15秒くらいの沈黙の後、『よし、これから忙しくなるぞ!』って闘志を燃やし始めたんだ。それから20カ月後、何度も行く手を阻まれたけど兄はくじけずに病に挑んでいった。その姿は素晴らしかったよ」と告白。「葬儀では、兄はやっと痛みから解放されたんだって思った」と回想した。

 パトリックが亡くなる前年の08年、最後の映画となった『Powder Blue』にドンも出演し、念願だった兄弟共演を実現。最後まで役者として精力的に活動していた兄の良き理解者だった彼は、トーク番組で「闘病で痩せて弱った姿を撮影するパパラッチには怒りを感じた。兄が一番みんなに見てほしくなかった姿だったのに」と語り、怒りをにじませたのだった。

■デビュー作から一緒! オーウェン・ウィルソンの3兄弟

『ナイト ミュージアム』シリーズやジャッキー・チェンとの共演作「シャンハイ・ヌーン』シリーズなどで知られる俳優のオーウェン・ウィルソンといえば、ブロンドに童顔、チャーミングな優しい笑顔が印象的だ。一方で、脚本家としても高く評価されており、『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001)ではアカデミー脚本賞にノミネートされたこともある。そんな彼の兄アンドリューと弟ルークも、ハリウッドで活動している俳優だ。

 オーウェンの映画デビューは1996年に公開されたウェス・アンダーソン監督の『アンソニーのハッピー・モーテル』。この作品でオーウェンは共同脚本家も務めている。そして実は同作には、アンドリューとルークも出演。早々と三兄弟共演を果たしていたのである。

 兄のアンドリューは1993年に放送されたテレビ映画『ザ・ラストUボート』で役者として本格的に活動を開始した。185cmの長身に男臭いワイルドな顔立ちで、オーウェンとはあまり似ていない。監督としても活動しているが、メインは役者だ。しかしいまだに当たり役にめぐり逢えておらず、「オーウェンに役者の兄がいたの!?」と驚かれることも少なくない。『アンソニーのハッピー・モーテル』でも、主演級の弟たちとは違い脇役だ。

 弟のルークは『アンソニーのハッピー・モーテル』後、数多くのコメディ映画に出演している。90年代のコメディ映画を盛り上げた喜劇役者ベン・スティラー、ウィル・フェレル、ヴィンス・ヴォーン、スティーヴ・カレル、そして兄のオーウェンと共に「フラット・パック」と呼ばれ、アメリカで人気を得るようになった。

 2000年代になるとテレビ界でも活躍するようになり、『ザット’70sショー』『エンライテンド』など高く評価されたコメディに出演。昨年はヒットメイカーのJ・J・エイブラムスが手がけたコメディ『Roadies』に主演した。

 兄オーウェンがケイト・ハドソンとのロマンスで世間を騒がせたのと同様に、ルークも有名女優との交際歴がある。『リスキーブライド/狼たちの絆』(97)、『100万回のウィンク』(98)で共演したドリュー・バリモア、そして『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』で共演したグウィネス・パルトロウと付き合い、タブロイドを賑わせた。

 ルークとオーウェンは『アンソニーのハッピー・モーテル』以降も、前述の『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』などでたびたび共演している。『The Wendell Baker Story』(05)ではアンドリューとルークが監督を務め、オーウェンとルークが主演となり、再び3兄弟で映画製作を行なった。

 3兄弟はテキサス出身で、幼い頃、馬に乗りながらBBガンで撃ち合いをする遊びをし、オーウェンの球がアンドリューの手に命中してしまい、今でもその球が手の中に残っているという逸話がある。また、ルークとオーウェンは一緒に暮らしていた時期も長く、ルークは「リアリティ番組にしたらヒットしたと思うよ」「あまりにも長く一緒に住んでたから、自分の家を購入しても1年間は引っ越せなかった。変化が怖くて」と語っている。

 3兄弟はとても仲良しで、今も互いの作品の上映プレミアに出席することが多い。長兄アンドリューが2人に追いつく日が楽しみだ。